歴史小説の日付けの間違い:西暦はうかつには使えない

古代の謎・歴史ヒストリー

 先ほど「信長の暗号(中見利男)、ハルキ文庫」を読み終わったところです。とても感動しました。

 この小説の中身についてはそのうち書くとして、今日は、歴史小説の日付けについて書きたいと思います。

 この小説の最後の章で、オルガンティーノがローマ教皇に書いた手紙として「・・・・徳川家康は1616年4月17日、午前10時頃、75歳の生涯の、その幕を下ろしました」(p.297)という記述があります。

 ところが、これはとんでもない間違いです。ローマ教皇に出す手紙でこの日付はあり得ないのです。
 正しくは、1616年6月1日としなければなりません。

 何が間違っているのか。

 徳川家康が亡くなったのは、元和2年4月17日です。元和2年は1616年なので、1616年4月17日で問題ないじゃないかと思われがちですが、違います。

 元和2年4月17日は、グレゴリオ暦では1616年6月1日です。そして、ローマ法王庁は1582年にグレゴリオ暦を定めています。つまり、ローマから派遣されたオルガンティーノが教皇宛に手紙を書く場合、グレゴリオ暦が使われることになります。家康の命日はユリウス暦では5月22日であるため、そもそも1616年4月17日という日付けは意味がありません。

 歴史小説などで年月日を書く場合、元和2年4月17日(1616年6月1日)という記述の方がわかりやすく好きです。Wikipediaはこの書き方になっています。さすがです。

 「元和2年(1616年)4月17日」という記述は、日付けが和暦なのか西暦なのかわかりません。書いている本人も混乱しているのではないでしょうか。

 「信長の暗号」はとても緻密にデザインされた驚くべき優れた小説ですが、最後に見落としがあったようです。いや待てよ。もしかしたら、これも「信長の暗号」の一部なのかも知れませんね。

家康の命日
  出典:換暦