「いろは歌」の謎のなぞ

古代の謎・歴史ヒストリー

はじめに

 「いろは歌」の謎について関心のある方が当然知っていること。

 それは、7行7列のマス目に書かれた「いろは歌」の一番下の文字を右から左に読むと、

 「トカナクテシス」(咎なくて死す)と読めること。

 このことを初めて本で読んだときの驚きは今でも忘れません。

 でも、これって本当なの?

いろは歌に隠された暗号

 いろは歌に隠された暗号。こんな本が一時期たくさん出版されたようです。

 暗号とは、上で書いたように、「トカナクテシス」(咎なくて死す)と書かれている、あるいは、そう読めることを根拠に、いろは歌の作者を推測する内容です。すべての推測はここから出発しています。

 死んだのは誰? いろは歌の作者は? そこで浮かび上がるのが「柿本人麻呂」という飛鳥時代の歌人です。

 柿本人麻呂については史料に乏しく、分からないことだらけなのですが、哲学者の梅原猛氏が『水底の歌』(みなそこのうた)という柿本人麻呂に関する評論を発表したことで、注目が集まりました。

(『水底の歌』:1972年(昭和47年)6月から1973年(昭和48年)6月まで雑誌「すばる」に連載、1973年11月に出版された。)

 『「人麻呂は下級官吏として生涯を送り、湯抱鴨山で没した」との従来説に対して、梅原猛は『水底の歌-柿本人麻呂論』において大胆な論考を行い、人麻呂は高官であったが政争に巻き込まれ、鴨島沖で刑死させられたとの「人麻呂流人刑死説」を唱え、話題となった。」Wikipedia、「柿本人麻呂」

 これを根拠に、いろは歌の作者を柿本人麻呂と比定しているのが既存の出版物です。無実の罪で死んでいく無念を歌に託したと、筆者は考えたようです。まさに、「咎なくて死す」と。

「咎」の意味が違う

 ところで、「咎」という意味が問題になります。

 ある本を読んでいたら、「咎」は「罪」より軽いと書かれています。

 「咎は人から指弾されるような欠点、過失」 1) pp.162-163)。

 源氏物語(須磨)には、「すきずきしさも人な咎めそ」という一文があります。

 『「琴の音にひきとめらるる綱手縄たゆたふ心君しるらめや すきずきしさも、人な咎めそ」と聞こえたり。ほほ笑みて見たまふ。いと恥づかしげなり。』

 また、万葉集では、

 「筑波嶺にそがひに見ゆる葦穂山悪しかる咎もさね見えなくに」〈万・三三九一〉

 と、非難されるような欠点について「咎」と書かれています。

 いろは歌は10世紀末から11世紀中葉までの間に成立したものとみられる。

 一方、「源氏物語」は平安時代中期に成立したとされ、文献初出は1008年(寛弘五年)。

 また、「万葉集」は、奈良時代末期(~794年)に成立したとみられる日本に現存する最古の和歌集です。

 当時の「咎」という意味は、現代の「罪」とは違うようです。 

なぜ、7行7列なのか

 「いろは歌の謎」とされているのは、7行7列のマス目に「いろは歌」を入れた場合に生じる暗号(?)です。

 「いろは歌」が和歌として詠まれたものであるなら、これはおかしいことになります。本来であれば、下のように8行で記述されます。しかし、これでは、暗号とされる文字列は出てきません。

 あるいは、下のように4段で書くのが正解かも。

 高野山の大師教会本部大講堂前に空海の真筆という「いろは歌」が刻まれた大きな石碑が建っています。「弘法大師御誕生一千二百年記念」で建立されたもので、なんと「弘法大師御真筆」として七五調の「いろは歌」が 8行にわたって平仮名で書かれています。2)

 いろは歌に隠された暗号(?)「咎なくて死す」は、既に江戸時代中期には知られていました。近年になって誰かが気づいたわけではありません。

 これを暗号だと主張するためには、管理人の提示した二つの疑問、①当時の「咎」という単語は「罪」より軽い意味で用いられており、意味が通らない、②7段書きにする意味、に答える必要があります。

 「咎なくて死す」は、井沢元彦さんの推理小説『猿丸幻視行』(1980年・講談社)で一躍有名になりました。管理人はこの小説がとても気に入っています。中身は忘れてしまいましたが。

 ところが、現存で日本最古のいろは歌は「金光明最勝王経音義(こんこうみょうさいしょうおうきょうおんぎ)」(1079年)にあり、7文字7行で、万葉がなで書かれている。各行の末尾の字を読むと「とかなくてしす」(咎なくて死す)、各行の初めの文字を読むと「いちよらやあえ」となる。3)

承暦本金光明最勝王経音義の以呂波歌より作成

 古いものはほとんどが7行書きなのだそうです。さらに、「金光明最勝王経音義」には現行の五十音図が記載されています。古い形の五十音図はそれから百年近く前の『孔雀経音義』(1111年写本)が醍醐三宝院に伝わっており、国宝に指定されています。

 いろは歌はいつ作られたのか

 「970年成立の源為憲『口遊(くちずさみ)』には同じ手習い歌とし
てあめつちの歌については言及していても、いろは歌のことはまったく触れられていないことから、10世紀末~11世紀中葉に成ったものと思われる。」

 しかし、最古のいろは歌は、源氏物語が書かれた年より70年も後の時代のもの。もっと古い時代のいろは歌が見つからないと何とも言えないと感じます。

 一応、②の疑問は、これで解消としましょう。

カタカナについて

 ちょっとカタカナについて考えてみたいと思います。

 下の五十音図は、日本人なら誰でも知っているものです。

 ここで二つの疑問が沸きます。表の灰色に着色した5文字部分はなぜ空欄なのでしょうか。ヤ行は「ヤイユエヨ」、ワ行は「ワイウエヲ」と習ったと思います。「イ、ウ、エ」が重複するから空欄なのでしょうか。それとも別の理由があるのでしょうか。

 二つ目の疑問は、なぜ、横に読むと「アカサタナハマヤラワ」という順なのでしょうか。

 次に、下の五十音図をご覧下さい。

 なにやら変わった五十音図ですね。50音の表すべてが埋まっているだけでなく、「アカサタナハマヤラワ」の並び順も違います。

 この五十音図の出典は、保延二年(1136年)源実俊の奥書を持つ『法華経經單字』1册の裏表紙です。この表で目を引くのが「ホ」の文字です。一見、誤字のように感じますが、同じ文字が真福寺、書陵部、石山寺の古文書などで確認されています。

 「いろは歌」は空海(774-835)の作と説もありましたが、空海の生きた時代には、「え」の音節は2種類あったことから、47文字で書かれた「いろは歌」は空海の時代のものではなく、後世の作と考えられるようになりました。

 いろは歌の作者については、たくさんの文献に書かれていたと思います。しかし、現在、それらの文献は全て失われてしまった。

 「アカサタナ・・」ではなく、「アカヤサタ・・」となっている理由は何なのでしょうか。「アカサタナ・・」の順になっている理由を説明している人(大名力氏)がいるようですが、なぜ、1136年代に「アカヤサタ・・」の順だったのかは説明していません。証明の手順が違うように感じます。 

おわりに

 本サイトの記事としては、いかにも中途半端な記事になりました。その理由は、新型コロナウイルス。図書館に行って調べるわけにもいかず、このような内容でアップします。

 本当は、もっともっと書きたいのですが、史料が閲覧できないのでは仕方ありません。

 管理人が疑問に感じるのは、なぜ、いろは歌は47文字なのかということです。いろは歌が作られたとされる時代にはもっとたくさんの「音」があったはずで、47文字で日本語を表記するなど明治時代の話しかと思えるレベルです。

 なぜ、いろは歌は47文字しか使っていないのか。もしかしたら、いろは歌には、続きがあるのではないでしょうか。

 奨学生の頃、友達が不思議な文字を書いていたことを思い出しました。彼のノートには、「とさ゜んは」みたいな文字が並んでいました。「さ」に「゜」がついた「さ゜」というひらがなを見たことがなかった管理人は、「これは何て読むんだ?」と聞きました。その答えは、・・・。づづく。

 図書館が再開したら、また、追記したいと思います。

出典:
1) 「日本語の源流を求めて」、大野 晋、岩波新書、2007
2) ”<いろは歌> ひらがな手習いの歌の作者は空海(弘法大師)?
3) ”「いろはにほへと」のスピリチュアル
4) 「いろは歌」、Wikipedia
5) 「いろはうた」と「あめつちのうた」「たゐにのうた」、萩原義雄、駒澤大学、2006
6) hellog~英語史ブログ
7) 『英語の文字・綴り・発音のしくみ』、大名 力、研究社,2014年
8) 雑学「いろは」、広島大学