「謎のニセ札事件」のナゾの解明

ディープ・プロファイリング

世にも不思議な『謎のニセ札事件』

 世の中には不思議な事があるものだとつくづく思うことがあります。

 そのひとつが1954年暮れに発生したとされる外国紙幣の『ニセ札事件』らしき事件。

 この回りくどい表現をしているのには、もちろん理由があります。

 ニセ札事件とは、「本物」ではない「偽物」のお札を誰かが作った場合に言います。

 ところがこの事件は、「本物」が確認できていない。したがって、「偽物」と言うことはできない。

 つまり、ニセ札っぽいのだけれど、どこの国の紙幣のニセ札なのかも分からないという、とても奇妙な「事件」なのです。いや、事件とすら言えないかもしれません。

「謎のニセ札事件」とは

 管理人がこの「事件」を知ったのはつい先日のこと。事件の発生は1954年(昭和29年)なので、今から64年も前の事件ですが、これまで一度も聞いたことがなかったので、少し驚きました。

 この事件のことはあまり知られていないように思います。ネットで調べても全く同じ情報しか書かれていない。ぼーっと書いている人の何と多いことか。

 単なる観光旅行として自由に外国へ旅行できるようになった、いわゆる海外渡航自由化は、1964年(昭和39年)4月1日以降のこと。それまでは、海外旅行は厳しく制限されていました。この事件は、海外渡航が自由化されるちょうど10年前に発生したものです。そして、有名な『帝銀事件(1948年)』から6年後に発生した事件です。時代背景をしっかり押さえておくほうが良いでしょう。

 この事件についてWikipediaには、次のように書かれています。

1954年12月上旬、東京都中央区新富町にある印刷所に興信所の捜査部長を名乗る男が現れ、「宗教団体の寄付の領収書」に使うものだとして紙幣のようなもの1,000部の印刷を一部50円で発注した。表面の左右にアラビア数字で「100」と印刷されその横に意味不明な文字があり、中央には旗を掲げ乗馬する白い騎士、そして裏面には昇る太陽とダビデの星が描かれていた。

依頼者の「警視庁の公安部長と親しく、了承ももらっている」との説明を信用した印刷所は“紙幣のようなもの”を注文通り刷り上げ、同月中旬までに依頼者へ引き渡したが、あまりにも異様な印刷物の内容に不安になり、数日後に警察へ届け出て事件が発覚した。

警視庁捜査3課の調べで男の名乗っていた興信所は実在しないことが判明。そして印刷所に残っていた“紙幣のようなもの”を入手した警察は日本銀行へ問い合わせたが「世界の紙幣にこれに該当するものはない」との回答であった。ダビデの星が印刷されていたことからイスラエル公使館へも問い合わせたが、やはり「この種の紙幣は通用していない」との返答を得るだけであった。

表面の両側に書かれている文字についても判読不能で、都内の研究機関や大学の言語学者などに問い合わせたが、結局どこの文字や言語なのかは判らなかった。

Wikipedia、「謎のニセ札事件」

 警視庁はこの印刷物について国際刑事警察機構(ICPO)にも連絡したが、結局わからずじまいだったようです。

 ここで、この情報の出典は何か確認してみると、「昭和30年(1955年))2月6日付の朝日新聞の記事」がこの情報の発信元になっています。

どこの国の紙幣なのか

 64年も前にはインターネットもなく、「都内の研究機関や大学の言語学者などに問い合わせたが、結局どこの文字や言語なのかは判らなかった。」という、問い合わせを受けた人たちは、そもそも情報をほとんど持っていなかったと考えられます。

 現代であれば、どこの国の紙幣なのかくらいは特定できるのではないでしょうか。

 早速やってみます。

 ヒントとなるのは、「表面の左右にアラビア数字で「100」と印刷されその横に意味不明な文字があり、中央には旗を掲げ乗馬する白い騎士、そして裏面には昇る太陽とダビデの星が描かれていた。」という情報です。

 つまり、

  1. 表面の左右に「100」と書かれている。
  2. 中央に旗を掲げ乗馬する白い騎士の絵が描かれている。
  3. 意味不明な文字が書かれている。⇒ 英語圏の紙幣ではない。
  4. 表面についてはこれ以外の情報がない。つまり、表面には紙幣でよく見られる肖像画は描かれていない。

 ここで注意すべき点があります。Wikipediaと朝日新聞の記述とでは、裏面の記述が全く異なること。

 Wikipediaの記述は、上に示したとおりですが、朝日新聞には「裏面」についての記述はなく、ダビデの星や太陽が昇る国の絵は表面の白騎士の下に描かれていると書かれています。

 この事件は、朝日新聞の記事以外、出典が存在しないようです。ということは、Wikipediaの執筆者が情報を意図的に捻じ曲げて記載していることになります。

 本記事では、一応、Wikipediaの記述にしたがい話を進めることにします。これだけの情報が分かれば何とかなりそうです。

 世の中便利になったもので、検索エンジンの画像検索だけでなく、数百枚の紙幣の写真を収録した古紙幣販売のカタログを何冊も閲覧することができます。時間さえかければ何とか探すことができるかも知れません。

問題の「紙幣」ってこれじゃない?

 紙幣の画像を5千枚以上閲覧していると、気になる紙幣を見つけました。

 それがこれ。

リトアニア100リタス紙幣のフェイク

 この紙幣は、バルト三国のひとつ、リトアニアの100リタス紙幣(のフェイク)です。

 中央に描かれているのは、リトアニア、ヴィータウタス大公の紋章(Coat of arms of Lithuania , Vytautas the Great)。この紋章には様々なデザインがあり、旗を持っているものもありますが、この紙幣では剣を持っています。ただ、たなびく兜の飾りが旗のように見えなくもない。

 紙幣の両側に100の文字。中央に馬に乗った白騎士が描かれています。

 そして”読めない文字”。リトアニア語なので、当時の日本人には意味不明の文字に見えた。

 いかがでしょうか。

 ところで、上の記述で、「100リタス紙幣(のフェイク)」と書きました。実は、この紙幣は存在しません。管理人が作ったものです。

 なぁーんだ、フェイクかよ、と思ったあなた。これは、フェイクではない可能性があるのです。

リトアニアってどこにある国?

 リトアニアと聞いて、すぐに場所が頭に浮かぶ人は少ないかも知れません。

 本サイトの過去記事でリトアニアは何度か登場します。

100年前に亡くなった少女の朽ちない遺体の謎は解かれているらしい』という記事では、このミイラ研究の第一人者であるダリオ・ピオンビーノ=マスカリ博士がリトアニアのビリニュス大学医学部で主任研究員をしていることを紹介しています。

ヴォイニッチ手稿の謎に迫る』という記事では、ウィルフリド・マイケル・ヴォイニッチが、1865年11月12日、リトアニア北西部のテルシェイで生まれたことを紹介しています。

 『世界遺産 オランダ領キュラソー島と杉原千畝』(ネコサイト)では、杉原千畝がビザを発行したのがリトアニアですね。

 『たった一人でどうやって造ったのか:コーラル・キャッスルの謎』という記事では、この城を造った エドワード・リーズカルニンという人物の出身地ラトビアのことを書いています。ラトビアはリトアニアの隣の国ですね。


Source: Google Map

フェイク画像がフェイクでないかも知れない理由とは

 現在のリトアニアの通貨単位は他のヨーロッパ諸国と同じ共通通貨ユーロです。しかし、リトアニア共和国の通貨は「リタス(litas; Lt)」でした。

 管理人が作った100リタス紙幣は、実は、「10リタス紙幣」にゼロを一つ書き加えたものです。つまり、このデザインのリトアニア紙幣は存在していたのです。

 さらに、、1000リタス紙幣が下の画像です。1000リタス紙幣も10リタス紙幣と基本的に同じようなデザインです。10リタス紙幣をベースに横に継ぎ足したような奇妙なデザインになっています。

 では、本物の100リタス紙幣はというと下の画像のようにデザインが異なります。

 10リタス紙幣と1000リタス紙幣がほぼ同じデザインなら、100リタス紙幣も同じデザインのものがあったのではないか。そのように考え作成したのが上で示した100リタス紙幣(フェイク)です。紙幣は偽造を避けるため、度々デザインの変更が行われるからです。

 100リタス紙幣だけデザインが違う理由として考えられるのは、(日本で作られた)100リタス偽造紙幣が出回ったため、急遽、100リタス紙幣だけ新たに作った。

 でも、この仮説は間違いでしょう。

 当初は、10リタスと100リタス紙幣だったものが、急激なインフレにより、急遽、高額額面の1000リタス紙幣を作ることになった。しかし、原版をゼロから作るだけの時間的余裕がなく、10リタスの原版のコピーを基本に一部横長に伸ばしたサイズの大きな紙幣を作った。これが真相でしょうね。などと調べもしないで書いていると、リトアニアに詳しい方から叱られそうなのでまじめに書きます。ニセ札事件当時、リトアニアという国は存在しないのです。これは後ほど説明します。

 100リタス紙幣が問題の偽札の本物版だったと主張するには別の難点があります。裏面が偽札のデザインと全く違うのです。ダビデの星(星六芒星(ヘキサグラム))は描かれていないのです。

リトアニアの謎を追う

 このニセ札がリトアニアの紙幣であると仮定して話を進めます。

 当時、リトアニアはソビエト連邦の一部になっていたはずで、使われていた貨幣はルーブルです。リトアニアの旧紙幣のリタスを偽造しても意味がない。

 そこで、リトアニアの歴史を調べてみると、このニセ札事件が起きる前年に、大きな出来事がありました。スターリンの死です。ソ連の最高指導者である連邦共産党書記長、スターリンが死んだのが1953年3月5日。

 大部分の日本人は、スターリンがどんな人物だったのかを知らないのではないでしょうか。

 スターリンは、ヒットラー以上に人を殺しまくった指導者でした。ソ連に侵略され属国にされたバルト三国の人々は、強制移住を強いられ、結果として殺されたり、逮捕殺害されたりと、ひどい目に遭いました。スターリンは自国民に対しても粛正を繰り返し、一説には、ヒットラーの1千7百万人より多い2千3百万人を殺害したとされています。

 第一次世界大戦が始まると、リトアニアは1915年にドイツ帝国に占領されます。大戦終了後の1918年に独立を宣言。この短い独立時代は1918年から1940年まで続きます。問題の100リタスはこの期間に発行された紙幣です。

 第二次世界大戦でリトアニアは、1940年にまずソ連に占領され、翌1941年6月にドイツが入れ替わり侵攻して1944年までドイツの占領支配下に置かれます。

 1944年から再びソ連の占領下に入り、数十万のリトアニア国民はシベリアなどに強制移住させられます。旧国民をシベリアに移住させ、リトアニアにはロシア人を入植させるというスターリンが採った民族浄化策です。このソ連のスターリン主義の弾圧が収束するのはスターリンが死んだ1953年になります。

 そして、1954年、日本で、リトアニアの旧紙幣100リタスの偽造紙幣が作られる。

 これに何の意味があるのか。

 これは、リトアニアの独立との関係で見た方がよいかも知れません。

 1991年12月のソビエト連邦崩壊。その引き金となったのがリトアニアの独立でした。

 1990年3月11日、リトアニアは再度、独立を宣言し、ソ連邦の共和国の中で最初の独立国となりました。1991年12月のソ連崩壊へとつながります。

 リトアニアの国民は常に独立を求めていました。スターリンによる圧制下でもリトアニアではゲリラ活動が続いており、それは1953年まで続きました。

 そして、1954年、日本でリトアニアの旧紙幣が復活する。もちろん、その通貨としての価値はありません。偽造通貨ですらないのです。リトアニアという国が存在しないからです。

 インターポールでさえ、どこの国の通貨か分からなかった理由は、国が存在しなかったから。

 この旧紙幣を復活させた理由は、独立運動の一環だったのかも知れません。旧通貨を国民に見せることで、愛国心を鼓舞する。たとえその価値がないものだとしても、関係者には宝物のような存在だった。

 ニセ札がリトアニアの紙幣だったと仮定すると、このような推測も可能かも知れません。

これが限界

 今回の調査で、たぶん、5千枚以上の紙幣の画像を閲覧しました。紙幣は度々デザインを変更します。偽札対策です。このため、同じ額面の紙幣でもデザインは時代により大きく変わっています。したがって、多くの種類の紙幣が存在します。

 管理人が閲覧した5千枚以上の紙幣の中で、今回の偽札に該当しそうな紙幣は、今回取り上げたリトアニアの紙幣が唯一のものでした。

 紙幣には肖像画が多く使われます。その理由は偽造対策です。閲覧した紙幣の大半に肖像画が使われており、逆に、肖像画を使わない紙幣は全体の二割に満たないと思います。

 管理人としては、裏面のデザインが贋作と類似しているのであれば、さらなる深追いをしたかったのですが、デザインが全く異なるのでは仕方ありません。ここで諦めます。

 本当は、当時のリトアニアの独立運動とその支援者たちについても調べたかったのですが、これ以上調べるだけの糸口がありません。

 管理人が疑問に思ったのは、裏面に描かれているのは本当に「六芒星」なのかということです。「五芒星」の勘違いでは?

 五芒星なら、モロッコの紙幣に多く描かれています。表面のデザインは全く違いますが。

 やはり、ニセ札とされる画像が閲覧できなければ、これ以上の追求は無理です。

 ついでにもう一つ、この紙幣の額面価値について書き加えます。

 上述したように、第一次世界大戦後の1918年にリトアニアは共和国として独立。しかし第二次世界大戦中にソビエト連邦やナチス・ドイツからの侵攻を受け、リトアニア・ソビエト社会主義共和国としてソ連に編入されます。

 リトアニアがドイツに併合されたのは1939年3月23日のこと。これにより、リトアニアのリタスは廃止されます。リタスは1939年5月20日までドイツ公式通貨Reichsmarkと交換が可能でした。(ライヒスマルク(Reichsmark, RM):1924年から1948年6月20日まで使用されたドイツの公式通貨。)

 この頃、リタスは世界市場においてとても安定した強い通貨として高い評価を受けていました。

 偽造に使われたのがリトアニアの100リタス紙幣だったとしたら、その価値は当時いくらだったのでしょうか。

 調べたのですが、当時のレートがよく分からない。1992年以降なら分かるのですが・・・。

気になっているイラスト

 実は気になっているイラストがあります。それが下の画像です。

 馬にまたがった騎士が旗のようなものを持っています。

 このイラストは、クー・クラックス・クラン(Ku Klux Klan、略称:KKK)に関する本に描かれていたイラストです。ミステリー好きの方はよくご存じの「秘密結社KKK」です。KKKは1865年に誕生し、何度かの浮き沈みがあった後、

第二次世界大戦後、KKKはアメリカ南西部で労働者階級を主体として息を吹き返したが、統率力に欠け、影響力の低い組織だった。1964年にミシシッピ州フィラデルフィアで、地元警察と結託したKKKが3名の公民権運動家を殺害し、リンドン・ジョンソン大統領がFBIに対KKK作戦を命じて郡保安官や副保安官を含む21名を逮捕させた事件は、公民権運動における重要な出来事のひとつとなった。

Wikipedia,「クー・クラックス・クラン」

 偽札偽造が行われた1954年は、ちょうどKKKが第二次世界大戦後に勢力を拡大していた時期にあたります。何か関係があるのか、ないのか。

おわりに

 この偽札事件を知って、ワクワクしました。これまで一度も聞いたことがなく、しかも、謎めいている。

 ニセ札事件はたまに発生しますが、その詳細は常に闇の中。詳細が明らかにされることはないようです。警察が情報を抑えているのでしょう。詳細な情報を公開すると、それをまねする奴が必ず出てきます。

 ニセ札事件はとてもミステリアスなジャンルです。

 今回の事件の出典が朝日新聞の記事だけというのが気にかかります。そもそも、こんな事件、本当にあったのでしょうか。誰かが本にこの事件のことを書いているようですが、結局はたった一つの新聞記事が出典になっています。紙幣の偽造などなく、本当は記事の方が偽造だった、という可能性も排除できません。

 こちらの方がミステリアスです。

 今回のリトアニア紙幣説は一つの仮説として提示したものです。管理人は自分で提示したこの仮説を全く信じませんが(笑)。しかし、古紙幣の閲覧作業を通じて、リトアニアの紙幣以外ニセ札の元になる紙幣は存在しないだろうという確信が生まれました。肖像画を使わない紙幣はほとんど存在しないのです。紙幣以外に有価証券、たとえば株券なども調べましたが、様式がそもそも違います。

 もう少し謎を追いたかったのですが、今回はこれでオシマイです。

 これ以上追うには、まず、事件が本当に存在したのか、他の新聞社の報道で確認する必要があります。当時の縮刷版で確認することになりますが、管理人は情報源が一つしかないという時点で、この事件は都市伝説に属するのではないかと疑います。したがって、作業はこれでオシマイです。

 本サイトでは『世にも不思議な明治の贋札事件の謎を追う』というニセ札関係の謎を追う記事も書いています。今回の謎以上に不可解なニセ札事件です。なかなか面白く仕上がっていると思うので、是非、読んでみてください。