『聖ヨゼフの螺旋階段の謎』にそろそろ終止符を打とうよ

古代の謎・歴史ヒストリー

『ロレットチャペルの螺旋階段』のことをご存じでしょうか。『聖ヨゼフの螺旋階段』とも呼ばれるようです。この階段は、現代の技術では再現不可能な奇妙な螺旋階段として有名です。

果たしてそれは本当でしょうか。

今日は、この謎に迫りたいと思います。

ロレット礼拝堂(ロレット・チャペル)とは

今回の謎は、アメリカのニューメキシコ州サンタフェ市内にあるロレット礼拝堂(チャペル)(Loretto Chapel)に設置されている130年以上前に造られた螺旋階段です。ゴシック様式の礼拝堂が完成したのは1878年のこと。


Loretto Chapel

奇跡の螺旋階段、Photo: Butler Cain

アメリカへ観光で何度も行ったことのある人でもニューメキシコ州までは行くことはあまりないように思います。サンタフェ(Santa Fe)は同州の州都ですが、人口は6万人程度。宮沢りえのヌード写真集『Santa Fe』が撮影された場所でもあります。

この小さな市に毎年25万人も押し寄せる観光客のお目当ての1つが ロレット礼拝堂の螺旋階段 を見ることです。

ロレット礼拝堂は初期のカトリック教会の一部でしたが、現在は売却され博物館及び結婚式の際に使われています。この礼拝堂は『支柱のない奇妙な螺旋階段』で知られています。このらせん階段は360度を完全に2回転して昇る構造です。とても不安定に見えるのですが、人が20人乗っても落ちない。

階段の建築に接着剤や鉄釘は一切使われていないとされています。ただし、木製のペグ(木釘)は使われているそうです。

さらに不思議なことに、この精巧な螺旋階段を誰が造ったのかはわかっていません。

ロレット礼拝堂の螺旋階段とは

1872年、サンタフェの大司教区のジャン・バプチスト・ラミー(Jean Baptiste Lamy)が修道院礼拝堂を建設することとし、ロレット修道女会がその担当者になりました。

Jean Baptiste Lamy

ロレット修道女会がサンタフェにやってきたのは1852年のこと。翌1853年に「私たちの聖母のためのアカデミー:Academy of Our Lady of Light (Loretto)」を開設しました。当初の生徒数は約300人程度の小さな学校からの始まりでしたが、次第に成長していきました。学校の敷地には10の建物が建てられました。そして、礼拝堂が必要となります。

礼拝堂の建設は1873年に始まり、1878年に完成しました。ところが、礼拝堂の建設が終わりに近づいたとき、二階の聖歌隊席に行くための階段がないことに気づきます。1877年のことです。

日本人には礼拝堂や教会の構造が理解しにくいと思いますが、聖歌隊席は二階に設けられる場合もありますが、一階の場合もあります。下の写真は、管理人が以前住んでいたボリビア・スクレにある教会 ”La Merced” の二階の聖歌隊席から撮影したものです。大きなパイプオルガンが設置されていたり、聖歌隊のための豪華な椅子がしつらえられている場合もあります。

La Merced, Sucre Bolivia、Ⓒネコ師


スクレのカテドラルの聖歌隊席は一階にあるのですが、下の写真のように、とても豪華な装飾が施されています。

Cathedral, Sucre, Bolivia, Ⓒネコ師

二階に行くための階段がないなど、どうすればそんなことになるのか不思議なのですが、礼拝堂の設計者アントワン・ムリー(Antoine Mouly)が急死したことが原因とされています。彼は、同時期に建設されていた『聖フランシスコ大聖堂』(建設期間:1869-1886)を造るために大司教ラミーにより招聘されたフランス人の建築家でした。この大聖堂は、ロレット礼拝堂の直ぐ近くに位置しています。徒歩3分の近さです。


Source: Google Map

礼拝堂は既に完成間近で、設計を変更して階段を付けるにも小さな礼拝堂にはそのためのスペースを確保できないことが分かりました。小説家でも書かないような設定ですが、真実は小説よりも奇なり・・です。

ハシゴを使って二階まで昇るという案も出されますが、修道女たちによりそのアイディアは却下されます。ワンピースのような修道服を着る修道女たちにとって、ハシゴを使って聖歌隊席まで昇るという案は受け入れられなかったのです。まあ、修道女会の礼拝堂なので、ミサへの出席者は女性だけだと思いますが、・・・。だから、この案は却下されたのかも。

修道女たちの服装は下の写真のようなものでした。この写真はサンタフェではないのですが、同じ修道女会です。カラー写真にしてみました。


Sisters of Loretto Callege

困り果てたロレット修道女会の修道女たちは、9日間、(大工だった)聖ヨゼフに解決策を祈願しました。苦しいときの神頼みです。そして、お祈りの最終日、ロバを連れた一人の老人が現れ、自分ならば造れると言いました。

そこで女子修道院長は、この老人に梯子の建設を依頼しました。

この老人が持っていたのは、カナヅチとノコギリ、T定規などのわずかな大工道具だけ。修道女が作業場を覗くと、そこには木材を浸した桶とバスタブのようなものがありました。

都市伝説では、この大工は作業を引き受ける条件として作業場を覗かないことを申し出ます。謎を少しでも多くしようとする都市伝説ねつ造者のいつもの手口です。

3ヶ月後に螺旋階段が完成すると、老人は修道女会が申し出た謝礼も受け取らず、いずこともなく旅立ったのでした。このため、この螺旋階段を誰が造ったのかは、今も分かっていません。

この「3ヶ月」というのは怪しい情報で、6~8ヶ月という情報もあります。つまり、階段建設期間についての記録が残っていないのです。木材を螺旋状に曲げていく作業が必要なので、実際にはもっと時間がかかったはずです。別の資料には、この螺旋階段の建設期間を1877年から1881年までの”いつか”としているものもあります。

完成当時の螺旋階段には手すりがなく、階段を上るたびに揺れて怖いという修道女たちの苦情があり、建設されてから10年後の1887年に、フィリップ・アウグスト・ヘッシュ(Phillip August Hesch)によって手すりが付けられました。

完成以来、近年までこの螺旋階段は使われ続けたにもかかわらず、びくともしません。

聖歌隊の少女達が20人くらいこの螺旋階段に乗っている画像が残されています。見かけによらずとても堅牢な造りのようです。

また、YouTubeにアップされているテレビ番組の動画で、レポーターが階段の上から降りていくシーンがあるのですが、全く揺れません。この点は螺旋階段の構造を考える上で着目する価値があります。

『聖ヨゼフの螺旋階段の謎』とは?

巷では、この螺旋階段は支柱がないのになぜ落ちないのか、どうやって造ったのか、ということが謎とされているようです。

たしかに、支柱のない螺旋階段は見たことがありません。しかも、360度を二回まわる階段で、外見上とても不安定に見えます。

それを良いことに、「 建築の専門家が現在の技術でも建造は不可能 」と言っている、というデマを流している人たちがいます。

この手の謎に必ず登場する『専門家の話では』というワンパターンです。

これが嘘っぱちなのは下の写真を見れば分かります。『聖ヨゼフの螺旋階段』と構造的には同じ造りです。『専門家』の話というのが本当だったとしたら、その専門家のレベルがとても低いということでしょう。現在では、螺旋階段を設計するソフトをネット上で購入できます。

つまり、この程度の階段は、専門家は簡単に造ることができると言うことです。


Photo: fotel w grochy


Photo: ピーター・ダンダス家(PETER DUNDAS)の螺旋階段(木製)

どうやって造ったのか

上で、『簡単に造れる』と書きましたが、それは、現在の部材を使ってのこと。管理人が見てもこの螺旋階段は不思議な構造です。

何が不思議かというと、階段自体の自重とそれに乗る人の体重をどこで支持しているのかが分からないこと。

最初にこの螺旋階段の写真を見たとき、さらに、「揺れて怖いので、後になって手すりを付けた」という記述を目にしたとき、螺旋階段を支える最上部の構造はヒンジになっているのではないかと思いました。

この構造体がスプリング構造と推測した「専門家?」もこの記述に依っているのでしょう。

管理人もそうかもと思った理由の1つは、下の写真です。この写真は、「手すりを設置する前の写真」とされているのですが、実際には、合成写真です。19世紀末、カラー写真があるはずもないので。写真ではカットされていますが、この写真の下部に、写真の説明書きが映っていて、手すりがない当時(1877年から1887年にかけて)の状況を再現した写真と書かれています(オリジナル写真はこちらでご覧下さい)。

管理人が特に気になったのは、写真に写っている螺旋階段の最上部の構造です。素人がイメージ写真を作るだけならこの部分にはこだわらない筈。これは何だろう?

Photo: “The One Truth

これは、とても不思議な一枚の写真です。

螺旋階段に手すりが取り付けられたのは、1887年のこと。手すりが取り付けられる以前のカラー写真は絶対に存在しません。当時、カラー写真がまだ開発されていなかったからです。だから不思議な写真なのです。

実際には、手すりを付ける前のオリジナルのイメージ写真として作成されたもののようです。それにしてもよくできた写真です。

管理人が気になったのは階段上部の構造です。上部の接合部が「ヒンジ構造」ではないかと思ったのは、この写真と、「揺れて怖い」という記述からでした。

ところが、YouTubeの動画を見ると全く揺れません。これは、螺旋階段と二階部分の床とが完全に結合されていることを示しています。すると、この螺旋階段の構造が何となく分かります。

螺旋階段の構造

螺旋階段の底面を見ると、綺麗にカーブしています。また、階段の側面を見ても綺麗にカーブしているのが分かります。
これはどうやって造ったのでしょうか。

管理人が考えるには、薄い板を曲げて、それと同じ物を複数枚作り、それらを接着剤(ニカワなど)でくっつけたのではないかと考えました。手すりを付けられるくらい厚い木材をらせん状に曲げるのは無理です。このため、合板ではないかと考えました。合板は1860代にフランスで開発されたようです。

どうやって造ったのか。頭で考えていても立体構造はイメージするのが難しいので、模型を造ってみます。

この螺旋階段の高さは、22フィート(6.76m)。ステップは33段です。最後の1段は二階への上がり部分なので、螺旋階段本体のステップの数は32段になります。1段の高さ(けあげ)は21cmです。

段ボール箱で試して見ます。
まず、CDを使って型を取ります。

ところが、これだと曲がらない。そこで、幅を小さくカットします。

これを二階部分の床に固定します。そして、一階部分の床にも固定。

このモデルでは、手近にあった箱を使ったので、高さが足りないのですが、雰囲気は分かると思います(汗)。

このモデルでは、螺旋階段そのものではなく、背骨に相当する部分、船で言えば『竜骨(キール)』を表現しています。これを最上部で聖歌隊席の床と完全に結合しなければ、この構造では荷重を支えることは不可能です。

この背骨部分に踏み板を載せ、その両側を板ではさむ構造なのではないでしょうか。この両側の板はかなりの厚さがあるようです。後付けで手すりを付けることができるほどに。

背骨にあたる部分の構造は下のようになっているのではないでしょうか。360度を2周する螺旋構造では、側板だけでは荷重を支持できないように思います。

木を曲げて螺旋状に階段を作る工程は下の動画が参考になりそうです。特殊な器具は使いません。木材を固定する工具としてクランプを使っていますが、クランプは18世紀後半には既に建築分野で使われていた工具です。

 Source: YouTube “Custom Spiral Staircases by Zane Smith”

上から見るとこんな感じです。

うまく絵が描けないのですが、イメージとしては下の図です。中央に切り込みを入れたらせん状の骨組みを作り、その切れ込みに踏み板を乗せていく。最後に側板を取り付けて完成。

構造的には下の写真が最も近いと思います。メインの縦桁に踏み板を乗せるタイプです。

重要なことは、下の写真のように、縦桁が1本の構造と、側板が縦桁となる2本の縦桁構造があること。そして、縦桁2本タイプでは、木材を使って強度を確保しながら曲線構造を作るのは難しいということです。


Image: https://spsbud.kiev.ua/idei/

聖ヨゼフの螺旋階段とほぼ同じ構造をしているのが下の螺旋階段です。しかし、下の螺旋階段は側板の縦桁構造により荷重を支えているため、木造建築では使えません。鉄板を使うからできる構造です。

誰が造ったのか

この螺旋階段を誰が造ったかを16年以上にわたり調べている方もいるようです。

それによると、螺旋階段の製作者は、フランス人建築家フランソワ=ジーン・ロシャス(Francois Jean Russia (Frank Rocha))のようです。
彼は、1843年9月22日生まれで、1894年12月26日にサンタフェで満51歳で亡くなっています。彼の友人によれば暗殺されたらしい。このこと、さらに、ロシャスがロレット礼拝堂階段の製作者であることは、彼が死亡した翌年、1895年1月にサンタフェで発行された新聞の訃報記事で確認できます。

ロシャスがサンタフェにやってきたのは1881年9月のこと。螺旋階段の製作が1877年頃なので年代があいません。階段製作年について、1881年という説を採用すればピッタリ一致します。彼はサンタフェに着いたばかりなので、彼のことは誰も知らなかった。彼がサンタフェに着いたのは、37歳の時ということになります。老人ではないことが引っかかりますが。

彼は、螺旋階段をフランスで加工し、それを分解してサンタフェまで運び、ロレット礼拝堂に設置した、と考えている方もいるようです。実際にこれをやるためには、聖歌隊席までの高さを正確に知る必要があります。分解して持ってきた螺旋階段をたまたまこの礼拝堂に取り付けたわけではないことは、正確に360度を2周する構造になっていることからも分かります。(本項記述出典については、上のYouTube動画を参照)

螺旋階段の建設者を見つけたのは誰?

ずっと疑問だったのが、螺旋階段の建設者を見つけたのは誰かということです。このため、この項を追記します。

見つけた人物は、メアリー・ジーン・ストロー・コック(Mary Jean Straw Cook)という文筆家の方です。

彼女は “Loretto: The Sisters and Their Santa Fe Chapel” という随筆を公表しました。最初に出版されたのは1990年代のようですが、現在入手可能なペーパーバックスは2002年刊行のものです。

本の著者であるメアリー・ジーン・ストロー・コックさんは、クラッシックコンサートのミュージシャン、著名な郷土史家として活躍された方のようです。2019年11月7日にニューメキシコ州アルバカーキで亡くなられ、サンタフェ国立墓地に埋葬されました。サンタフェに旅行する機会があれば、彼女のお墓参りをしたいと思います。

タイムラインのまとめ

伝承の間違いにより、タイムラインが分かりにくくなりました。今回、判明した事実を踏まえタイムラインを整理すると以下のようになります。

タイムライン
1852年 大司教ラミーの要請により、ケンタッキー州のロレット修道女会から7名のシスターがサンタフェに派遣(途中1名死亡)

1853年 「私たちの聖母のためのアカデミー:Academy of Our Lady of Light (Loretto)」を開設

1869年 フランス人建築家アントワン・ムリー(Antoine Mouly)により『聖フランシスコ大聖堂』の建設開始(建設期間:1869-1886)

1873年 ロレット礼拝堂の建設開始

1877年 二階の聖歌隊席に行くための階段がなく、その設置スペースがないことに気づく。

1878年 ロレット礼拝堂完成(二階に行く階段なし)

1879年 建築家アントワン・ムリーが急死

1881年9月 フランス人木工職人フランソワ=ジーン・ロシャス(Francois Jean Russia (Frank Rocha))がサンタフェにやってくる。

1881年 ロシャスにより螺旋階段の建設開始

1882年 ロレット礼拝堂の螺旋階段完成

1887年 螺旋階段の手すりを追加工事

1894年12月26日 ロシャス、サンタフェで満51歳で死亡

1968年 ロレット・アカデミーは閉鎖される。

1971年 ロレット礼拝堂が民間に売却される。

この表で明らかになったことは、螺旋階段はロレット礼拝堂の建設中に造られたものではなく、礼拝堂が完成した後で設置されたものだということです。これもタイムラインを整理しないと見えてこないことです。

螺旋階段建造者の謎を追う

この螺旋階段はとても不思議な構造をしています。そもそもなぜ、ロシャスはこのような螺旋階段を造ることができたのでしょうか。とても不思議ですね。

不思議に思っても誰も踏み込んで考えない謎の一つです。この禁断の謎に挑みます。

この記事をご覧の方で、熟練職人集団「コンパニヨン」のことを知っている人はいるのでしょうか。管理人の推測では、ロシャスは、「コンパニヨン」のメンバーだったのではないかと考えています。

さて、「コンパニヨン」とは何か?

Atlas Obscuraというサイトの”Marvel at Tiny, Perfect Staircases Made by a Secret Society of French Woodworkers“という記事で、この「コンパニヨン」のことを紹介しています。

フランスには、中世から現在に至るまで「コンパニヨン」と呼ばれる超熟練の職人集団が存在しています。

以下、Gigagineからの引用です。
「フランスの職人集団「コンパニヨン」には、1万2000人の職人が所属しているといわれています。コンパニヨンは木材・金属・石材・皮革・織物という5つの材料ごとのグループに分かれており、メンバー間で強い仲間意識が存在するのが特徴です。コンパニヨンの一員になりたい若者たちは、フランス各地の街にある寄宿舎に共同で宿泊し、その土地に住む熟練の職人について技術を学びます。1カ所につき約6カ月の修行を終えたら、次の場所へ移動して再び別の職人のもとについて技術を学び、次第に熟練の技術を身につけていくとのこと。コンパニヨンの一員になるためには少なくとも5年の修行が必要とされているため、コンパニヨンの一員として認められるには非常に長い道のりが要求されます。」

現在、「コンパニヨン」の職人たちは超精巧なミニチュア家具などを作っているようですが、 昔からそのようなものを作っていたわけではないでしょう。

彼らの卓越した木工技術は、中世以降現代まで受け継がれています。

彼らの作品の中に下の写真のようなミニチュアがあります。まさに、ロレットチャペルの螺旋階段です。

Staircase model, Paris, France, late 19th century; Carved, bent, joined and veneered cherry and walnut; 31 x 13 x 17.2 cm (12 3/16 x 5 1/8 x 6 3/4 in.); Gift of Eugene V. and Clare E. Thaw, 2007-45-8; Cooper Hewitt, Smithsonian Design Museum; Photo by James Hart © Smithsonian Institution

Image: Atals Obscura

精巧なミニチュアを作るには、実物大の構造物を造れるだけの知識と技量が必要です。

ロシャスがコンパニオンの熟練技術者だったことはもはや疑いの余地がないと管理人は考えます。

追記

本文中の翻訳を間違えていたようです。修正しました。

”The sisters”を『姉妹』と訳していたのですが、Wikipediaの”Sisters of Loretto“を見ると、修道女会が正しい訳のようです。1852年、サンタフェの大司教ラミーの要請により、ケンタッキー州のロレット修道女会から7名のシスターがサンタフェに派遣されました。この旅は大変困難なものだったようで、コレラによる死者まで出て、一部のシスターはケンタッキー州に戻ったようです。

この螺旋階段のあるロレット・アカデミーは、1968年に閉鎖され、1971年に民間に売却。現在は、冒頭に書いたように博物館及び結婚式の際に使われており、入場料を取られます。保存のため階段を昇ることはできません。もし、昇れるのなら行ってみる価値がありそうですが。

以上で、謎解き終了です。

管理人は、謎は大好きなのですが、根拠のない都市伝説は嫌いです。

最後になりますが、階段を付け忘れた礼拝堂の二階に行くには、現代ならどうするか。

その答えは、下の動画を観れば分かります。オーストラリアのデザイナーの作品のようです。

【出典】

Redirecting to https://www.lorettochapel.com/history.html
How do I design a steel spiral staircase?
Answer (1 of 2): OK, first off, determine where the staircase is going and measure the space to determine how high it wi...
Sisters of Loretto - Wikipedia
Miraculous Staircase of St. Joseph
Devotion to Our Lady

The LORETTO CHAPEL, Our Story