魏志倭人伝の謎にマンガで突っ込みを入れてみた(その3)

古代の謎・歴史ヒストリー

 日本の長い歴史の中で、女王と呼ばれるのは「卑弥呼」とその後を継いだ「壹与」くらいでしょうか。

 女性の天皇は何人かいますが、天皇制という枠組みの中で誕生したもので、卑弥呼の場合と全く違います。

 卑弥呼ってどんな出自の人だったのかは分かりません。史料が魏志倭人伝しかないので、現時点で、それを知る手立てはありません。出典も示さず、空想古代小説を書く人がいますが、フィクションには関心がないのでそのようなものは読みません。

 卑弥呼が美人だから女王になったということはありません。むしろ、醜い容貌だったのではないでしょうか。もし、美人だったら、容姿が衰えた時点で交代させられます。容姿ではなく別の基準で選ばれたから高齢で亡くなるまで女王でいられた。

 呪術に優れていたから? 卑弥呼は「呪術カリスマ」のある呪術を司る巫女(シャーマン)だった?

 よく聞く説ですが、管理人にはその意味が理解できません。呪術に優れているって具体的に何よ?

 それって、30カ国を束ねるのにどう使ったの? ひとつの国に優れたシャーマンがいたとしたら、その人は周辺国から暗殺のターゲットにされます。戦いで相手の指揮官を多く殺した方が勝ち。雑兵の死者数ではありません。

 30以上の小国家を束ねるのに必要な能力を卑弥呼は持っていたらしい。この「束ねる力」とは何だったのかが問題です。

 通常は、武力を背景に諸国を束ねるのでしょうが、当時、そのような卓越した軍事力を持つ国はなかった。だから、諸国間の争いが絶えなかった。

 男の王だと争いがやまず、それで女の王として卑弥呼が選ばれた。

 単純に考えると、男か女かの違いを言っているに過ぎません。

 両者の違いは何か?

 男王はどこでもいくらでも子作りができる。権力者の特権のようなもの。しかし、女王が子作りするにはどこでもいくらでも、というわけにはいかない。この権力者の特権は、男と女で内容が全く違います。

 醜女のシャーマンを”一代限り”の女王とすることで、各国の利害が一致した。そのシャーマンには、親戚縁者に利益誘導するような者ではなく、九州北部でかつては有力で誰もが知るものの今は落ちぶれてしまった家柄の “醜女の娘” が選ばれた。この “醜女の娘” は、未婚で、子供を産める年齢がすでに過ぎている。この娘が子供が生んだ場合に生ずるさまざまなトラブルを回避できる。実家はすでに力がなく、家族は弟が一人いるだけ。この娘を女王にしても実家が大きな権力を持つ恐れはない。

 もし管理人が周辺国の代表だったとしたら、この条件なら、和平に応じると思います。だれも戦は好まない。

 各小国家がこの娘に期待するのは、各国をまとめること。そのために、呪術を司る巫女(シャーマン)に徹し、その技術を磨くこと。

 管理人はこのように考えます。卑弥呼が優れたシャーマンだったから女王になれたのではなく、諸国の利害が一致する代表として選出され、その後、シューマンとしてのカリスマ性を演出するようにお膳立てされた、と考えます。

 卑弥呼は未婚で子供がいなかった ⇒ 実家、子孫、縁者等縁戚による権力集中を回避。卑弥呼を男から遠ざける。

 卑弥呼の死後、国が乱れる ⇒ 卑弥呼が実家、子孫、縁者等縁戚による権力集中をしなかった証。長生きしたのに後継者を指名するだけの権力が卑弥呼にはなかった。

 卑弥呼の次に女王になる壹与。彼女の場合は卑弥呼とは少し違います。なにしろ若い。