岩倉使節団の太平洋横断航路を調べる

岩倉使節団の謎

 明治維新の頃、世界一周の旅に出かけた公家と元武士たちがいました。世に言う『岩倉使節団』です。

 使節団は、明治4年11月12日(1871年12月23日)正午に横浜港を出港し、明治4年12月6日(1872年1月15日)早朝、サンフランシスコに到着します。

 今日は、この時の太平洋横断の航路がどこを通ったものだったのか調べてみることにします。

 なぜ、こんなことを調べたのかというと、最近読んだ『幕末外国奉行 田辺太一(尾辻 紀子著)』の中で、岩倉使節団がハワイのオアフ島に立ち寄ったように書かれていたから。 田辺太一は使節団のメンバーの一人です。

 とうぜん、そんなはずはありません。この時の航路は、どこにも立ち寄らず、島ひとつ見えない船旅を終えてサンフランシスコに着いたはずです。でも、本当は、どのような航路だったのだろうかと、改めて思いました。

 そこで、久米邦武の『米欧回覧実記』に記載されている緯度経度をGoogle Earthに落としてみました。上の地図は、それをGoogle Mapに移植したものです。

 ここで気になるのが、1871年12月27日の緯度経度。明らかに間違っていると思います。

Google Earth用kmzファイルを欲しい方は、下のリンクからダウンロードしてください。

 http://firestorage.jp/download/1bb137be6c94e900ae3227eb3ec329cc17c13db1
 ダウンロードパスワード zwxm0cvm

 岩倉使節団を乗せたアメリカ号の太平洋横断航路

西暦和暦緯度経度備考
1871年12月23日明治4年11月12日横浜正午出港
1871年12月24日明治4年11月13日33.6336111111111 142.633611111111雨上がる 風強し
1871年12月25日明治4年11月14日32.1836111111111 146.266944444444晴れ 綿雲 穏やかな風
1871年12月26日明治4年11月15日31.4836111111111 150.083611111111晴れ 雲少なし 微風
1871年12月27日明治4年11月16日30.9669444444444 150.400277777778快晴 微風
1871年12月28日明治4年11月17日30.7836111111111 158.500277777778風雨起きる
1871年12月29日明治4年11月18日30.5336111111111 162.116944444444風雨なお甚だし
1871年12月30日明治4年11月19日30.8336111111111 166.300277777778小雨 風衰える
1871年12月31日明治4年11月20日30.6669444444444 170.616944444444風雨また起こる
1872年01月01日明治4年11月21日30.5336111111111 175.033611111111風雨ややおさまる
1872年01月02日明治4年11月22日29.9669444444444 -176.116944444444快晴 風なし
1872年01月03日明治4年11月23日29.8336111111111 -171.783611111111湿った霧 微風
1872年01月04日明治4年11月24日30.0002777777778 -167.416944444444暗い雨 風起こる
1872年01月05日明治4年11月25日29.8336111111111 -163.033611111111風雨やや強し
1872年01月06日明治4年11月26日30.3836111111111 -158.633611111111快晴 爽やかな風
1872年01月07日明治4年11月27日30.0502777777778 -154.233611111111晴れ 風強し
1872年01月08日明治4年11月28日30.1002777777778 -149.900277777778晴れ 微風
1872年01月09日明治4年11月29日30.1002777777778 -145.783611111111晴れ 微風
1872年01月10日明治4年12月01日30.7336111111111 -140.783611111111曇り 風立つ
1872年01月11日明治4年12月02日31.9002777777778 -136.233611111111曇り 風静まる
1872年01月12日明治4年12月03日33.5002777777778 -132.283611111111微風
1872年01月13日明治4年12月04日35.0169444444444 -128.333611111111微風
1872年01月14日明治4年12月05日36.6502777777778 -124.366944444444薄曇 無風 夕方濃霧
1872年01月15日明治4年12月06日37.6169444444444 -122.100277777778晴れ サンフランシスコ着

 航路を見ると、ハワイのかなり北側を通過していることが分かります。

 この日付は、『実記』によるものですが、日付変更線を無視しているため、どこかでつじつまを合わせている感じです。

 日付変更線を越えたのは、『実記』によれば1871年1月1日深夜か2日未明のようですが、日付けが戻るので、実際には1月1日早朝になります。地図を見ると、日付変更線をはさんでかなり間隔が広がっていると思います。それもそのはず、1月1日は二度あったのですから。

 『実記』を読むと、「地球上を東に回ると一日を余すことになる。そこで、経度180度の線を通過した日時を一日重ねることを航海規則で定めている。太平洋上に英国のグリニッジから180度の経度線があり、前に掲げた表の21日にこれを通過した。そこで21日をもう一度数え、航海暦を合わせた」([1], pp.32-33)との記述があります。21日とは、西暦では1月1日になります。

 

出典:

1. 『現代語訳 特命全権大使 米国回覧実記 普及版、1 アメリカ編』、久米邦武、慶應義塾大学出版会、