幕末の英雄は誰かと問われれば、管理人が最初に思い描く人物は「勝海舟」です。
彼が成し遂げた江戸城無血開城。
でも、そこに至る動きが管理人にはとても不自然に思えます。
江戸城無血開城の海舟の動きは、情報戦を制した者の動きのように、管理人には思えるのです。
そこで、今回、本腰を入れて調べることにしました。
まずは、超詳細な年表作り。本サイトで歴史記事を書くときには必ず作成するものです。誰も見たことのない年表を作成中です。八割方完成しています。後ほど公開します。
勝海舟は、とても頭の良い人物だと思います。逆境に立たされても粘り強く立ち回れる不屈の精神の持ち主だと思います。
ところで、『氷川清話』という書物により、勝海舟が大ぼら吹きであるかのような定説があるようです。
「頭の良い勝海舟」の欠点を見つけたと勘違いすることで、自己満足に浸っている執筆者がいるようです。
管理人の視点からは、少し滑稽に見えます。
管理人のスタンスは、特定の人物を極端に高く評価したり低く評価したりしない、ニュートラルを保つこと。山岡鉄舟に思い入れのある方は、勝海舟を嘘つきとして、「江戸城無血開城」の本当の立役者は山岡鉄舟である、という論陣を張ろうとします。
管理人は、特に思い入れはないので、誰が立役者でもかまいません。知りたいのは、そんな陳腐な思い入れで書かれた一方通行の文章より、本当はどうだったのかということです。
坂本龍馬が現代、都市伝説化しているのを見ると、いたたまれなくなります。
今回、『氷川清話』とはそもそも何なのか、そこに書かれている内容を批判するのはそもそも筋違いではないのか、という視点で執筆作業を進めています。
執筆中の原稿は、まだ3割程度。いつ終わるか分からない状況です。
でも、勝海舟の記事を執筆していると楽しい。一人の人物に焦点を当てると奥深いことに改めて気づかされます。和宮シリーズ以来の奥深さを感じています。そして、和宮ともつながります。
勝海舟について松浦玲氏の900ページもある書籍「勝海舟」を読んでいるところです。
氷川清話に関する複数の書籍を読んだり、松浦玲氏の本を読んだり、ネットで調べたりしていると、管理人の考え方が二転三転します。
「氷川清話」は勝海舟が書いたものではありません。吉川襄という誰も知らない人物が編者となり著作権を主張していた書物です。本の半分は他者が書いた内容や新聞の内容なのに、しっかり著作権を主張しています(笑)。
ベッキーさんの『センテンススプリング』の内容を、これは正しい、いや、ここが違う、この部分はホラだ、これは裏がとれている、などと批評しているようなもの。そんなことはどうでもいい。
『氷川清話』は『センテンススプリング』と同程度とすると、その内容を調べる気力すら無くなります。庶民受けするように脚色を加える手口。
『氷川清話』が編者の吉川襄により脚色されていることは広く知られているようです。
やはり、『氷川清話』ではなく、まっとうな研究者である松浦玲氏の書籍に依拠する方が良さそうです。
現時点で、どのような分析枠を採用するか決めていません。
現在の所、だれも分析していない①階位との関係、②咸臨丸での渡米後の勝の変化、子息の米国との関係、がキーとなるように思います。勝批判論を一掃できる視点です。
①の視点は、(勝大ぼら吹き論者の主張する)嘘つきな勝がなぜ「位階勲等爵位は正二位勲一等伯爵」になれたのか、という素朴な疑問。特に、「正二位」という位階。②の視点は、「岩倉使節団」との関連です。勝が放談の中で決して触れないアメリカ関連と渡航歴にまつわる視点です。 キーバーソンは、大久保利通と伊藤博文。
ここまで書くと、勘の良い人は管理人が何を書きたいのかが分かると思います。でも、まだ、(問題分析)枠が定まらない。ずーっと悩み続けています。まさに産みの苦しみ。
今日は、次回記事の宣伝です。とにかく時間かかかるので、前振り記事としてアップしました。
乞うご期待! まあ、たいした記事ではありませんが。