たった一人でどうやって造ったのか:コーラル・キャッスルの謎

古代の謎・歴史ヒストリー

謎のあらまし

 コーラル・キャッスル(Coral Castle)のことをご存じでしょうか。日本語では「サンゴの城」という意味です。

 このお城は、アメリカ・フロリダの最南端近くにある実在の城で、1923年から1951年にかけて建設されたとされています。このお城を造ったのは、エドワード・リーズカルニン(Edward Leedskalnin: 1887–1951) 。彼が64歳で死ぬまで城の建造は続きました。


  Source: Google Map

 Google Earthで計測すると、コーラル・キャッスルは海岸線から10Km内陸に位置しています。

 このお城の何が謎なのでしょうか。それは、リーズカルニンが誰の助けも借りずにたった一人で巨石を組み上げ、大きな建造物を造ったことにあります。彼はこの城を秘密裏に建造し、作業は真夜中に、ランタンの灯りの下で行われました。作業は彼一人だけで行われ、誰も手伝ったものはいません。

 リーズカルニンは、『ピラミッドやストーンヘンジの建造に用いられた、石を運んで組み上げる古代の秘密を再発見したと』と主張しました。このことから、リーズカルニンは、反重力を操る方法を発見したのだとする憶測が生まれ、彼が残した不思議な装置に注目が集まりました。

エドワード・リーズカルニンとは

 
 エドワード・リーズカルニンは、1887年1月12日、バルト海に面した国ラトビアで生まれました。

 病弱な子供でしたが、26歳の時、10歳年下のアグネス・スカッフス(Agnes Scuffs)と婚約しますが、結婚式の前の晩に婚約者から捨てられてしまいます。

 スカッフスから負ったスカッフ(Scuff)は、擦り傷などではなく、彼の心を深く傷つけました。この痛手を癒やすため、1920年代にアメリカに移住します(注:これらの定説は誤りです。以降で解説します)。アメリカ各地を転々と仕事した後、フロリダ南部の海岸部に腰を落ち着けます。

 以下、「古代文明の謎はどこまで解けたかⅠ」1) より引用します。(出典記事の最後に記載)

 「そしてただ一人、近くで採ってきた石と非常に硬いサンゴ、そしてところどころに材木を使って建造物を造るという、奇妙な営みにとりかかる。リーズカルニンは周囲にめぐらせた2.4メートルのサンゴの壁の中で密かに作業を進め、自分だけの石のワンダーランドを作り上げていった。材木や金属廃材を利用して作った道具や機械を使って、リーズカルニンは30トンにもなる石のブロックをせっせと運んだ。星を観測するための目印として7.6メートルのオベリスクを立て、ゴルディロックスと三匹のクマ(イギリスの昔話)をテーマとした岩屋、フロリダ半島をかたどった巨大な石のテーブルとロッキングチェア、さらには - いつか恋人が思い直して自分と結婚してくれる気になったときのために - 二つのベッド、ゆりかご、子供たちのための小さなベッドのある、手の込んだ寝室を造った。とくに見事なのが入口の扉で、9トンもある一枚岩が重心で支えられており、ごく軽く触れただけで開くようになっている。(pp.250-251)」


 軽く押しただけで開く重さ9トンの石の扉  Source: http://www.coralcastle.com/9tonbig.htm

 リーズカルニンは、結核を患ったことから、治療のため季候のよいフロリダに1923年頃定住し、公園のようなものを作り始めます。この頃は『ロック・ゲート公園』と呼んでいたようです。その後、1936年、16Km離れた現在の場所に引越をしました。引越の理由は秘密を守るためとか諸説あるようです。

 結核に磁気の治療が有効だとの噂から、磁気について勉強したようです。

 引越にあたり、1100トンにのぼる石材を3年がかりで運んだと言われています。引越後、リーズカルニンは、64歳で死ぬまでコーラル・キャッスルを造り続けます。

コーラル・キャッスルとは

 コーラル・キャッスルの全景は下の写真のようになっています。城といっても、大きな建物はなく、写真右上の建物が最も大きなもので、住居兼道具室になっています。これ以外は、塀と庭の中の彫刻のようなもので構成されています。城と聞くとヨーロッパのノイシュヴァンシュタイン城のような尖塔がいくつもある城を思い浮かべますが、その意味では期待外れです。

Coral Castle Panoramic View

 「1951年にリーズカルニンが死ぬと、秘密もいっしょに失われた。誰の手も借りた形跡がなく、たった一人でこれほどの驚くべき作業をどうやってやり遂げたのかはいまも謎だ。(前掲書p.251)」

どうやって造ったのか

 数トンもある岩を積み上げるには、機械が必要と考えられますが、リーズカルニンは、大型重機などは一切使わずに、そして、誰の手も借りずにたった一人で城を造りました。

 「近所の人たちは何度も新聞やテレビの取材を受けたが、リーズカルニンが実際に作業をしているところを見た人は一人もいなかった。こっそり覗こうとしてもうまくいかなかった。 - リーズカルニンは覗かれていると第六感で分かるようだった。(前掲書p.251)」

 ここでの謎は大きく三つあると思います。

1.一つは、たった一人で巨石をどうやって積み上げたのか。
 大部分の岩は5トンの重量があり、最も大きなものは30トンもあります。どのような作業にしろ、補助してくれる人が必要に思います。 

2.二つに、巨石を移動し、積み上げるのはどうやったのか。
 最大30トンもの巨石は、動かすだけで容易なことではありません。さらに、それをきれいに配置するには、高度な技術が必要になります。

3.三つ目は、使われた作業工具(Hand Tool)はどのような構造だったのか。

 この城は1930年代以降に造られています。古代のピラミッドのように機械がなかった訳ではありません。

 彼は大型重機は使わなかったのですが、中古の大型トラクターを購入し、パーツに分解、そのエンジンを使ったようです。また、重量物を簡単に持ち上げることのできるチェーンブロックも既に開発されていました。

 なぁ~んだ。謎は解けているじゃないか! そう思ってしまいますが、実はこの謎はそんな簡単なことではないのです。

 高い位置まで石材を持ち上げるためにはチェーンブロックが使われたようです。そのためには巨大な三脚が必要になります。その三脚はどうやって設置するのでしょうか。人がたくさんいれば比較的容易に設置できるでしょうが、”たった一人”で設置するのはかなり難しい。

 この答えを以下の動画が示しています。


   Source: YouTube “Eds Coral Castle Quarry and Flywheel, Engineering Mystery Solved”

 どうやら、たった一人でも三脚を立てることができるようです。これって、結構すごい!
 どうやって、彼は初歩的な道具だけでこの偉業を成し遂げたのでしょうか。
 そのヒントとなるのが、リーズカルニンが著した冊子「The Magnetic Current」です。



Coral Castle: Mystery Solved

リーズカルニンが残した謎の冊子「The Magnetic Current」

 リーズカルニンは、51ページからなる冊子「The Magnetic Current」を残しました。この中で、磁気、磁流についての説明がなされているのですが、内容的には意味不明です。ざっと読んでみましたがさっぱり分からない。

 この「The Magnetic Current」は、PDF版で読むことができます。関心のある方はダウンロードして読んでみてはいかがでしょうか。PDFファイルはいくつかのサイトで公開していますが、下のリンク先のものが文字認識されているので、機械翻訳にかけるには適していると思います。(リンク切れのため削除)


  Source: Sayslife’s Blog

情報がボロボロ

 「コーラル・キャッスルの謎」について書こうと思った時、どうもうさんくさい話だと思いました。お話しができすぎているのです。誰かが意図的に作り上げた謎のように感じました。

 最初に、彼に関する情報がいかにいい加減なものかを示しましょう。

 書籍「古代文明の謎はどこまで解けたかⅠ」の記述に誤りがあります。つまり、定説に誤りがあるのです。

 この本には、彼の身長を150cm(5フィート)そこそこだと書かれています。また、体重は45Kgと小男だったかのような書き方をしていますが実際は違います。多くのサイトでこの情報がコピーペされています(コーラル・キャッスルの案内板がそもそもこの記述になっています)。

 実際の彼の身長は170cm(5フィート7インチ)で、体重は54.4Kg(120ポンド)。これは、彼の入国書類の記載内容や帰化証明書(Certificate of Naturalization)から確認できます。決して小男だったという訳ではないようです。ネット上にある彼の写真を見ても小男ではないようです。

 彼がアメリカに着いたのは1912年4月6日のこと。ドイツ経由でアメリカに入国しました。本に書いてある「1920年代にアメリカに移住」した分けではありません。これも意思表明書類(Declaration of Intention)で確認できます。

 ちなみに、彼の職業は石製家具職人になっています。
 夜中に誰にも知られずこっそりと作業をしていたわけではなく、石の加工が彼の本業だったということです。この部分の情報を隠して話を進めるので謎めいた話になる。

 リーズカルニンの家族は1905年にロシア帝国の当時の首都サンクトペテルブルクで起きた「血の日曜日事件」の後にラトビアを離れ、リーズカルニンも1910年にラトビアを後にしています。

 このように、基本的な部分で真実とは大きく異なっている記述が見られます。

  リーズカルニンが「Ed’s Sweet Sixteen」と呼び、本名を書かなかった、彼を捨てた元婚約者の名前アグネス・スカッフス(Agnes Scuffs)も違います。彼女の名前は、エルミン・ルシス(Hermine Lusis)です。彼女は10歳年下でも16歳でもありませんでした。彼女は彼より2歳年下でした。

 リーズカルニンとエルミンとの婚約が破談になった原因は、彼女の父親が結婚の条件として要求したお金をリーズカルニンが持っていなかったからのようです。(出典6)参照)

 いつの日か、自分を捨てた婚約者が戻ってくることを願ってコーラル・キャッスルを造り続けたリーズカルニン、というロマンチックなストーリーはいかにもアメリカ人が好きそうです。

 リーズカルニンの死後、マイアミ市がHermine Lusisを招待したが彼女はコーラル・キャッスルを訪れることはなかった、との記述も目にしましたが、残念ながらその原典を確認することができませんでした。できすぎている話は怪しい。

 リーズカルニンは誰にも見られないように夜中に作業をしていた。そんなの当たり前でしょう。昼間は仕事をしていないと食べていけない。移民である彼の生活は決して楽ではなかったはずです。趣味の城造り作業は夜中しかできません。日中は石の家具造りの職人。ここら辺を誰も調べていないのが不思議です。反重力装置を調べる暇があるのなら、リーズカルニンが製作して販売した石の彫刻を調べるべきだと思います。

 コーラル・キャッスルの謎は、浅い歴史しか持っておらず、歴史的遺物が少ないアメリカの人たちがセンセーショナルな話に仕立て上げるためにねつ造したもののようです。 

 リーズカルニンはコーラル・キャッスルを長い年月をかけて、石鋸を使って石材を切断し、チェーンブロックと動滑車でそれを持ち上げるという普通の方法で造った。これが結論のようです。未知の技術などどこにも必要がありません。それが必要なのは、ミステリーだと騒ぎ立てる人たちばかりのように思います。

Leedskalnin 石材の吊り上げ

 そもそも、この謎の目玉である”たった一人で造った”という内容は証明されていません。作業の一部で人を雇った可能性も十分考えられます。すると、謎などどこにもないことになります。

 上の写真で、三脚の最上部にボックスが見えます。これを反重力装置だといって騒いでいる人がいますが、もし、反重力装置があるのであれば、三脚も、チェーンブロックも、動滑車も必要ないことになります。

 世界の謎が大好きな管理人にとって、「コーラル・キャッスルの謎」はいまいちつまらない。やはり、歴史の浅い、嘘つきの多いアメリカにある謎は要注意だと思いました。

参考資料

1) 「古代文明の謎はどこまで解けたかⅠ」、ピーター・シェイムズ、ニック・ソープ著、太田出版、2002、pp.250-252
2) CORAL CASTLE MUSEUM
3) “Broken Hearted Mystery in Homestead“,Sayslife’s Blog
4) energetic forum
5) Magnetic Universe Forums
 ここのフォーラムはかなり盛り上がっています。
6) Edward Leedskalnin, “A Book in Every home“, 1936