「縄文-1万年の美の鼓動」(縄文展)に行くならこのくらいは知っておこう

古代の謎・歴史ヒストリー

 以前から気になっていた東京国立博物館で開催中の『特別展「縄文-1万年の美の鼓動」(縄文展)』に行ってきました!

 ここ二、三年の間に何度か縄文文化を紹介するテレビ番組が放映されていたので、今回の展示はぜひ観に行きたいと思っていたのですが、連日の猛暑のため延び延びになっていました。展示は、9月2日(日)までなので、まだ見ていない方はお早めに!

かつてない規模の展示は圧巻!

 今回の展示を観て驚いたのは、その豊富な展示物。日本中に存在する主要な縄文遺物の全てが展示されているのではないかと思うほどの内容の濃さ。

 一つ一つの展示物の説明を読みながら見て回ったのですが、全部を見終わるのに3時間もかかりました。

 現在、国宝に指定されている縄文時代の出土品はわずかに6点なのですが、その全てが史上初めて同時に展示されています。その他にも、重要文化財に指定されているものも多数展示されています。

東京国立博物館

 展示場は撮影禁止ですが、上の写真は、出口の所にある撮影が許可された場所で撮影したもの。小池都知事って、撮影を許可するようにするって言っていなかったっけ? これでお茶を濁したつもり?

 「日本の撮影禁止という対応は世界的に見ても異例中の異例で、先進国ではここまで撮影禁止が徹底されているのは日本ぐらいだと言えるでしょう。」という記事が2016年10月7日付けの「情報速報ドットコム」に載っていましたが、その後の進展は、この程度のようです。

展示会で気づいたこと

 管理人が展示会を観て気づいたことがいくつかあります。

 その一つが、「展示されている土器等の出土場所が偏っていること。」

 偏っているといっても、東北に偏っているとか九州に偏っているとかではありません。縄文遺跡は全国にあるのですが、重要な土器等が出土している県が偏っているのです。

 目に付いた県は、北海道、青森、秋田、山形、宮城、福島、茨城、千葉、東京、長野、新潟、福岡、鹿児島、など。

 国宝に指定されている縄文土器等は以下のような遺跡から発掘されています。

名  称(区分)出 土遺跡名保    管
 国宝 火焔型土器(縄文中期)新潟県十日町市篠山遺跡十日町市博物館
 国宝土偶 縄文の女神(縄文中期)山形県舟形町西ノ前遺跡山形県立博物館
 国宝土偶 縄文のヴィーナス(縄文中期)長野県茅野市棚畑遺跡茅野市尖石縄文考古館
 国宝土偶 仮面の女神(縄文中期)長野県茅野市中ツ原遺跡茅野市尖石縄文考古館
 国宝 土偶 中空土偶(縄文後期)北海道函館市著保内野遺跡函館市縄文文化交流センター
 国宝 土偶 合掌土偶(縄文後期)青森県八戸市風張(1)遺跡八戸埋蔵文化財センター是川縄文館

 このことに関し、コメントを書けるほど知識がないので、ここはスルーします。


 国宝の縄文土器・土偶全6点
 

出土品のネーミングに疑問

 展示会を観ていて管理人が違和感を感じたのが出土品のネーミングです。

 「縄文の女神」、「縄文のビーナス」というネーミングは、とても奇妙です。時代も地域も、文化圏も異なるローマ神話の愛と美の女神ヴィーナスの名前を縄文土偶の名前に冠する理由は何なのでしょうか。縄文時代に女神信仰があったのでしょうか。

 このような安易なネーミングは、大衆をミスリードする危険性をはらんでいます。

縄文のヴィーナス

 何がおかしいか分かりますか?

 「縄文のビーナス」と聴いた人は、ローマ神話や、ギリシャ神話を思い描くはずです。そして、そして、大抵の人は、ヴィーナス誕生は縄文より古いと錯覚するはずです。

 しかし現実は、1万年続いた縄文時代中期にあたる出土品なのです。ギリシア神話として知られる神々と英雄たちの物語の始まりは、およそ紀元前15世紀頃と考えられています。「縄文のビーナス」と名付けられている土偶は、ヴィーナス誕生よりも遙かに古い時代のものなのです。

 「棚畑遺跡発掘土偶に似たローマ神話のヴィーナス」と説明することができても、その逆はない!

 たとえば、「武井咲に似た顔の吉永小百合」と言ったとしたら、芸能界では生きていけないミスでしょう。「吉永小百合に似てる女優が武井咲」というのであれば、真偽は別にして、ある程度納得する人もいるでしょう。

 安易なネーミングは、大衆をミスリードし、相手に先入観を与えてしまいます。学術分野の出土品に対して、このような先入観を与えるネーミングは避けるべきでしょう。西洋文明を凌駕する縄文文化を広く海外にも発信するという意図も日本文化に対するプライドも感じさせない、自虐的ネーミングですね。

 たぶん、このネーミングをした人は、何か不味いのか理解できないと思います。いくら言っても聞く耳を持たない人たち。なので、ちょっと厳しく指摘。

 このネーミングをした人って、一度も外国に行ったことのない人なのでは? イタリア人やギリシャ人が聞いたら驚くようなネーミングです。「ヴィーナス誕生伝説より古い時代の文化なのに、なぜ、イタリア、ギリシャの女神の名前を付けるのか? あなたは自尊心ってないの? 愛国心もないの? よその国にすぐに迎合するタイプ?」

 このネーミングは、日本の文化紹介としてとても恥ずかしいもの。

 もし、キャッチーなネーミングをしたいのであれば、芸能界ではやっている「15000年に一人の・・・」という理系の人たちがムカつくフレーズを使うのも良いかも。ムカつくからこそキャッチー。

 『やんちゃな縄文人』、『1万年に一人の美女は1万年前に誕生か!?』、『パンダ顔の化粧は縄文人の美の原点- 遮光器土偶』などはいかがでしょうか
 

そもそも縄文時代とは?

 そもそも縄文時代とは、どんな時代のことを指すのでしょうか。

 Wikipediaによれば、「縄文時代(じょうもんじだい)は、約1万5,000年前(紀元前131世紀頃)から約2,300年前(紀元前4世紀頃)」とされているようです。

 これをグラフにしてみると、縄文時代と言われる期間がとても長かったことが分かります。 とてもとても長かった!

 このグラフは、弥生時代の始まりを紀元前4世紀としています。しかし、2003年5月、国立歴史民俗博物館の研究チームが、加速器質量分析(AMS)法によれば弥生時代早期はBC10世紀あるいはBC9世紀に当たると発表しました。水稲栽培開始の時期が500年も遡るという研究成果でした。

 縄文時代は、土器型式上の区分から、草創期・早期・前期・中期・後期・晩期の6期に分けられます。縄文時代の後に弥生時代になったのではなく、双方の時代は、かなり長期間共存状態にあったようです。

土器研究上の時期区分年   代
 草創期約1万5,000 – 1万2,000年前
 早期約1万2,000 – 7,000年前
 前期約7,000 – 5,500年前
 中期約5,500 – 4,500年前
 後期約4,500 – 3,300年前
 晩期約3,300 – 2,800年前

 

縄文時代の気候

 毎日暑い日が続いていますが、縄文時代はどのような気候だったのでしょうか。

 グリーンランドの氷床コアを採取・分析した結果、当時の気温の変化が分かっています。なお、南極のコアとは結果が異なることから、北半球の気温の変化は、グリーンランドのコアの解析結果の方が使えそうです。

15000年前からの気温変化

 このグラフをみると、現在の温暖化など、”ゴミ”レベル。誤差の範囲のように見えます。歴史年代的に見てとてもミクロな産業革命当時から現在までの気温変化を意図的に抜き出し、温暖化について警告をならす人たちって、「もらっちゃった」人たちなのでは? と思ってしまうようなグラフです。

 グラフから分かるのは、縄文時代の気候変動は、紀元後とは比較にならないほど激しく、振れ幅も大きかったということです。

 縄文時代について解説する文献を読んでも、このことは書かれていません。執筆者にとって都合の悪いことだからです。自分の主張したいストーリーが成り立たなくなるのです。気候変動により、縄文人の生活の変化を主張しようとするのですが、その変動の程度は示さない。その理由は上のグラフを見れば分かります。縄文時代には暑かったとか寒かったとかデータに基づいて説明しようとしても、振れ幅が大きすぎて、とても説明できない。その説明自体が破綻しているのです。縄文時代前半の気候はとてつもなく厳しいものでした。これでは文明など発達するはずもない。生きていくのがやっとの時代だったのでしょう。

 縄文人は、このような大規模な気候変動を乗り越えてきたのです。

 展示会で売っていたこの本を買いました。

縄文時代の人口の謎

 縄文時代の日本の人口はどのくらいだったのでしょうか。 

鬼頭宏氏の『人口から読む日本の歴史』によれば、縄文時代の人口は、縄文早期の2万人から縄文中期の最盛期の26万1千人まで順調に増加したが、縄文中期を過ぎると反転し急激に落ち込み、縄文後期は16万人、縄文晩期は7万6千人まで減少した、ようです。 1)

 理系の管理人から見ると、「胡散臭い数字を並べている」としか思えないのですが。誰が千人単位まで、人口を計測したのか? それを書く執筆者のいい加減さが腹立たしい。概数を示すのなら、26万人とすべきでしょう。千人単位まで記述する根拠と、有効数字の考え方を説明して欲しいものです。できるわけがないのはわかりきっているからこそ腹立たしい。管理人なら、ぜったいに書かない数値です。なぜ、管理人がこれにこだわるかというと、読者をミスリードする原因になるからです。計算により算出したデータを使うのであれば、ルールに従う必要があります。

縄文時代※の人口は、縄文早期の2万人から縄文中期の最盛期の26万1千人まで順調に増加したが、縄文中期を過ぎると反転し急激に落ち込み、縄文後期は16万人、縄文晩期は7万6千人まで減少した。1万年ほど前、日本列島の年平均気温は現在よりも約2度低かった。しかしその頃から気候は温暖化しはじめ、6千年前には現在より1度以上高くなった。気候温暖化に支えられて、関東・中部の人口は縄文中期までに環境の人口支持限度いっぱいに達していた。そのような状況にあるときに気候の悪化が起きるとまず動物相に影響があらわれる。そして生産力の低下にもかかわらずいっそう環境から多くのものを引き出そうとするから、環境の悪化ないし破壊を加速してしまう。その結果として一人あたり食料消費量は減少し、栄養不良の状態が拡がることになる。同時に、縄文時代後半には大陸から新しい文化をもった人々が渡ってきていたが、縄文人にとっては免疫のない新しい病気ももたらされたと考えられる。
鬼頭宏著「人口から読む日本の歴史」

 この「人口支持限度いっぱいに達していた。」という記述の根拠は何なのでしょうか。この広大な日本がわずか26万人で環境支持限界なんて、どんな計算なのでしょうか。気温だって、現在より高かったのに。日本の国土面積は世界232ヵ国中第61位です。イタリア(72位)、フィリピン(73位)、イギリス(80位)より広いのです。

 鬼頭宏氏の推計人口を縄文時代の土器区分に落とし込んでみます。

 この図から分かることは、縄文時代の人口がとてもとても少ないということです。これでは、戦争などできません(笑)。人口が増加しない理由は、乳幼児の死亡率が極端に高かったからでしょう。

 人はどこに住むのか。狩猟採取を生業としていた縄文人にとって、居住地を決める最大の要素は、食べ物が手に入ること。地形でも水の存在でもなく、食べ物の存在が優先されたように思います。

 通常は、水の存在を最優先に考えるのが一般的なのでしょうが、ボリビアのアンデス高地に住む人たちの生活を考えると、水の存在は二の次のようにも思えます。アンデスに住む人たちは、水場までの険しい道を1、2時間の時間をかけて毎日水くみに通います。水場のそばに住んでいないのです。

 研究者たちが水の存在を重視する理由の一つが、木の実のアク抜きには豊富な水が必要となること。水のある場所に縄文遺跡が見つかっている。でも、別の見方をすれば、平野の近くの現在人が多く住んでいる地域の開発にあたって、たまたま発見される縄文遺跡とも言えそうです。山の中にたくさんの縄文遺跡が埋もれているかも知れません。

 狭い日本。でも、26万人で住むにはとてつもなく広い。

 世界最古の土器は、青森県大平山元(おおだいやまもと)遺跡の縄文土器で、放射性炭素年代から推定すると、約1万6千年前と推定されているそうです。新たな発掘により、他の国でもっと古い土器が発掘される可能性もありますが、ここで着目すべきは、なぜ、歴史年代の最も古い時期に、日本で土器が発達したのか、ということ。

 それは、必要だったから、ということなのでしょう。大型動物が絶滅し、食料を木の実等に頼らなければならなくなった縄文人にとって、あく抜きをするために、長時間煮詰めるという作業が必要になった。

 水にさらすことでアクを除去できる水溶性のアクを持つドングリとは異なり、トチの実の場合、非水溶性のサポニンやアロインといったアクを取り除くために、木の灰を混ぜた液体で長時間煮る方法が採られたようです。

 有史以来現在までの期間と比較しても、とてつもなく長期間の寒冷な気候を乗り越えてきた縄文人。狩りが難しくなる冬の期間をどうやって乗り越えるかが、彼らにとって最大の課題だったのでしょう。

 長期保存が可能な木の実を、土器を使って調理して食料にする方法を編み出したことで、長い冬を乗り切ることができるようになった。

 国宝に指定されている土器・土偶は、いずれも優れた造形美を持っています。これらの土器・土偶は、当時、世界最先端の工芸品だったでしょう。ところが、そこから先は、四大文明のような大きな発展につながらない。

 その原因は、当時の人たちの寿命が影響しているように思います。平均寿命は20代という研究もあるようです。

 この記事はなかなか書き終わらないので、このバージョンでアップします。続きはこのページに追記します。
 
 この記事は、邪馬台国の謎についての記事を書くにあたっての下地のようなものです。

 「邪馬台国の謎を追ってみるけど、もう解決しているらしい」という過去記事を執筆途中で放棄している理由は、疑問に思っていることの範囲が広すぎて調べ終わらないからです。

 今、執筆中の言語学からのアプローチの部分ができると、続きを書けそうです。

出典:
1) 『人口から読む日本の歴史』、鬼頭宏、講談社学術文庫、2000
2) 『過去11,600年間における急激な気候変動』、小端拓郎、水文・水資源学会誌第23巻 第1号、2010、pp.75-82

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