今日は、日本の古代史が大好きという方にとって垂涎の話題を提供します。それは、古代の海面の高さにまつわる情報です。
古代の海水面が現在より高かったということは常識です。しかし、それはどのくらい高かったのか。
これは、誰にも分からない。貝塚の位置から推測する方法もありますが、反証データがあるため、決定打にはならないようです。
それなのに、日本の古代史についての文献には、海水面が5メートル高かった、などと出典も示さずにそれを根拠として持論を展開している本を見かけます。しかし、そのような本の著者が当時の海岸線の図を示すことはありません。
できないのです。示したくとも。
ところが、時代は移り変わり、それが可能な時代になりました。
今日は、そんな話をしたいと思います。
地形図を表示する
「Ground Interface.」というサイトが公開している『All Rivers, All Lakes & Topography 川だけ地形図』
これで、北九州のあたりを表示すると下の図のようになります。地形と川が表示されるだけで、余計なものは一切表示されないシンプルな表示設定です。地形を見るにはこのような表示の方が見やすいと思います。
等高線
「基盤地図情報5mメッシュ(標高)」から生成。主曲線は2m、計曲線は10mごと。
Google Earthに等高線の入った地形図を表示させるだけなら、国土地理院の地理院地図KMLデータ を使えば可能です。ただし、自分の欲しい等高線間隔ではないため、ちょっと使えない。
任意の等高線を表示する方法
地形を調べているとき、任意の間隔の等高線を表示したいと思ったことはないでしょうか。
たとえば、比較的平坦な地形だと、等高線はほとんど表示されません。しかし、微妙な高低差を知りたい。そんな時は、1メートル間隔の等高線があると便利です。
通常の地図サービスではこのような等高線を表示することはできません。
下の画像をご覧下さい。Google Earthに表示した江の島の等高線図です。等高線の間隔は2メートルで表示しています。
この画像を見ると、どこが低いのかが一目で分かります。
この等高線は、『Web等高線メーカー』というサイトで作成できます。
等高線の間隔も自由に設定できます。そして、何より便利なことは、表示された等高線をKMLファイルで出力できること。これにより、Google Earthに表示することが可能となります。
このサービスは、使い方にコツがあるので、ざっと説明します。
等高線を表示できる範囲は、画面に表示している範囲です。表示画面の外側の範囲は等高線が表示されません。
表示縮尺を小さくして広範囲に等高線を表示しようとすると、時間がかかったり、フリーズすることがあります。ある程度範囲を絞って作業した方がよいでしょう。1メートル間隔で表示するときは、とても時間がかかるため、いくつかのブロックに分けて作業した方が効率的です。
これを何に使うのか。
何に使うのか
近年頻発している異常気象による風水害。これまでは、災害対策としては地震対策が主体でしたが、最近は洪水対策も欠かせなくなりました。
全国の自治体はハザードマップを作成・公表しています。
自治体によっては、詳しい水害ハザードマップを提供しているのですが、問題は、自分の自治体の情報しかないこと。あるいは、ピンポイントでもっと詳細な図面を見たい、と思うこともあるでしょう。道路のあの地点は水没する可能性があるのか、などミクロの詳細情報を知りたい場合もあります。
そんな時、一つの目安として、上で紹介した地形図が役立つかも知れません。ただし、データの過信は禁物。誤差があるので、あくまでも一つの目安として考えた方がよいでしょう。
管理人が着目しているのは、水害ハザードマップではなく、古代史での活用です。
「縄文海進」による海水面の上昇とは
「縄文海進」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。
Wikipediaには次のように書かれています。
縄文海進、Wikipedia
縄文海進にしろ海水面の上昇についての研究は、スパンが長すぎるため、知りたい年代の海水面がどのくらいだったのかを知るのは難しい。
もし、Wikipediaの記述が正しいと仮定すると、6000年前には現在より海水面が5メートル高く、時間と共に水面が低くなり、現在の海水面に到っているということになります。もし、 海水面の低下が直線的に生じたと仮定すると 、紀元前後の海水面は、現在より167cm程度高かったことになります。同様に計算すると、卑弥呼の時代の海水面は、142cm程度現在より高かったことになります。
ところで、『古代の技術を知れば、『日本書紀』の謎が解ける』、長野正教、PHP新書、2017、という本があり、興味深く読んでいるところです。
この本の中で、「紀元前後の海水面は現在より四、五メートルは高く、現在平野といわれる場所の多くは海の底であった。」p.25 という記述があります。その根拠についてはこの本には書かれていません。
通常であれば、無知な歴史家がいい加減な知識で書いているのだろうと考えるのですが、この本の著者である長野氏は、元国土交通省の技術者の方です。しかも、海洋関係の専門家で工学博士。まあ、管理人も博士なので、長野氏がどのような根拠でこのような記述をされたのかが気になりました。
ちなみに、この本は、面白いのですが、技術者が書いた本なら、もっと図面を使って欲しい、と感じます。海水面が高かったというのなら、その時代の海水面で日本国土を表示して欲しい。
ところが、これは無理な注文です。このような図化作業はとても時間がかかるため、だれもやっていません。邪馬台国の本を読むと、海水面の上昇の話は結構見かけるし、地形図から推測したらこうだったという記述もあります。しかし、それは文字だけの記述です。実際の当時の海水面を表示した図面を一度も見たことがありません。
歴史好きの方は、見たことある、と言われるかも知れませんが、もしそのような図面があるとしたら、出典はどう記載されていますか? たぶんそれは、出典を示すことができないイカサマ図面です。
卑弥呼が生きた3世紀の海水面の高さは、誰にも分かりません。貝塚の位置から推測する方法も採られていますが、東北で見つかるデータと関東のデータとでは全く異なるため、決定打にはならないようです。
さらに、地盤の隆起と沈降の問題もあります。タイムスパンが長いほどこのような影響を考慮に入れる必要があります。・・・、ともっともらしく書く人もいますが、ピンポイントで見るならば、現地の遺跡から得られる情報は間違いありません。もし、その情報が他の地域と整合性がとれないとしても、その地域の情報を正確に示している筈です。整合性の話は、次元が違うということです。
ところで、邪馬台国ファンの人たちが着目するのは、そのような長いスパンの話ではなく、卑弥呼が生きた170年~248年頃の日本周辺の海水面の高さです。まさに、ピンポイント。古代史の本を読むと、出典を示すことなく、5メートル高かったなどと書かれていますが、本当はどうなのでしょう。
邪馬台国の人口を養うために、平野が必要、という考えは、邪馬台国の場所を比定するときに重要な視点でしょう。しかし、もし、当時の海水面が5メートル高かったとしたら、現在、平野として知られている場所の多くは海面下になっている?
この検証に必要な図をだれも示していない。もしあったとしても、出典が不明のものでしょう。それをどうやって図化したのかが分からない。
自分でやってみれば、確信を持って提示できます。そして、前提条件も明確になる。前提条件とは、当時の海水面の高さを推定式で算出していること、当時の地盤標高が現在までの間に、1メートル以上の隆起や沈降が起きていないこと、などなど。
古代の海水面が、現在より5メートル高かった。その時代の海岸線はどうなっていたのか。歴史好きの人にとっては、まさにこれが知りたかった、と言うことでしょう。
まずは、他人を当てにせず、自分でやってみましょう。
歴史家の人たちって、自分の手を動かしていない気がします。過去の文献(他人が書いた書物)を調べることで満足しているようです。当時の海水面の図面一つ誰もつくっていないのがその証。誰かの資料をパクることしか考えていないのかと思えてきます。
管理人は、”歴史”に関心があるわけではなく、”不思議なこと”に興味があります。それは、「謎」とされていることだったり、「未解決」というジャンルに入るものもあります。中でも古代史は、不思議がいっぱいで興味津々の分野です。
古代史の謎とされている事柄が、現代我々が使うことができるツールにより解決できると楽しいと思います。
誰か時間のある方は挑戦してみて下さい。現在より5メートル海水面が高かったときの九州の海岸線の図化作業。考えただけでワクワクしますが、実際には気が遠くる地道な作業が必要です。