江戸時代中期以降、庶民は「白米」を食べていたとメディア情報は発していますが、当時の精米技術から考えて現在のような「白米」を作れる筈もなく、この情報はフェイクだと考えられます。
では、当時の精米技術では「何分突き」を「白米」と称していたのでしょうか。
なぜ、このような疑問を持つかというと、14代将軍家茂とその妻である和宮が「脚気」で亡くなっているからです。当時、「江戸患い」と言われた「脚気」。江戸を離れれば「脚気」が回復する。日本特有の病「脚気」。欧米にはこの病はありません。理由はわかりますよね。彼らは小麦を食べるからです。そして、「江戸患い」とされる「脚気」の原因となるのが「精米技術」なのです。江戸以外では、精米の程度が低かったため、脚気になる人は少なかった。脚気の原因となるのはビタミンB₁の不足です。しかし、それは米ぬかには十分含まれています。
今日は、この謎に迫る・・・ための前段階の作業をします。Google-GEMINIに聞いてみます。
AIはいい加減なことをもっともらしく回答を出力するため注意が必要です。そこで、回答生成に対する制約を設定することで、確からしさを向上した回答を生成させます。
江戸時代に食べられていた「白米」は、現代の基準では何分突きなのか?

江戸時代中期以降、江戸の住民は「白米」を食べていました。ここで質問です。彼らが食べていた米は、何分突きですか? 精米技術が発達していなかった当時、現代の白米とは別のものだったと考えます。これに回答できる情報をGeminiは持っていますか? 出典を挙げて回答すること。出典を示せないのなら、それは単なる作文です。わかりませんと回答しなさい。
Google-Geminiの回答
以下、GEMINIの回答です。
はい、江戸時代中期以降に江戸の住民が食べていた「白米」の精米度合いについて、推測の根拠となる情報があります。
結論から言うと、史料に残る記録の計算から、当時の精米技術で得られた「白米」は、現在の一般的な白米よりも精米度が低かったことが推測されます。
🧐 江戸時代の「白米」の精米度合い
江戸時代に精米技術が未発達であったことはご指摘の通りで、現代の**十分に精白された米(10分突き)**とは異なるものであったと考えられます。
📊 精米度合いの推測
江戸時代後期に用いられた水車精米に関する史料の記録から、精米度合いを推測することができます。
- 史料の記録(幕末期):
- 玄米 $53$石 $9$斗を水車で精米したところ、白米 $39$石 $3$斗 $4$升 $5$合が得られた。
- 精米歩合の計算:$$\frac{39.345(白米の量)}{53.9(玄米の量)} \times 100 \approx 72.99\%$$
この記録から、**約 $72\%$**の精米歩合であったことがわかります。これは、玄米の約 $28%$が糠として除去されたことを意味します。
補足: 精米歩合とは、玄米の質量に対する精米後の米の質量の割合で、この数値が低いほど精米度が高い(削られている)ことを示します。当時の記録では、この約 $72%$の米を「白米」と呼んでいました。
🍚 何分突きに相当するか
現代の分突き米の表現に厳密に当てはめるのは困難ですが、精米歩合 $72%$という数値は、現在の精米度合いの基準と照らし合わせると、かなり玄米に近い状態と言えます。
- 現代の分搗き米の目安(精米歩合):
- 玄米: $100\%$
- 3分搗き米(30%除去): 約 $70\%$
- 5分搗き米(50%除去): 約 $50\%$
- 7分搗き米(70%除去): 約 $30\%$
- 精白米(10分搗き): $10\% \sim 5\%$
上記の目安と照らし合わせると、当時の「白米」(精米歩合約 $72\%$)は、現代でいう**3分搗き米(ぬか層を約 $30%$除去)**に近い状態であったと考えられます。
👣 精米技術と「脚気」
江戸時代に「江戸患い」として脚気が流行したのは、この不完全な精米(現代の白米ほど精白されていないが、玄米や分搗き米よりは糠や胚芽が少ない)により、ビタミンB1の摂取量が減少したことが大きな原因とされています。
📘 出典
上記の情報は、主に酒造りの歴史に関する情報や、分搗き米に関する解説から推測されたものです。当時の精米技術や精米歩合に関する具体的な史料を根拠としています。
- 精米歩合の記録と計算: 酒ミュージアム-白鹿記念酒造博物館の「精米の歴史 江戸時代編」に記載されている、幕末期の水車精米による鳥居米の精米歩合(約 $72\%$)の記録。
- 当時の精米方法: 足踏精米(踏米)や土臼(どうす)など、精白度の低い精米方法が主流であったという記述。
- 脚気との関連: 白米食が脚気(ビタミンB1不足)の原因とされたという一般論(玄米や分搗き米にはビタミンB1が残る)。
当時の「白米」は、現代の完全な精白米に比べ、わずかに糠層や胚芽が残った、いわゆる**「分搗き米」に近い状態**であったと推測されます。
この情報以外に、江戸時代の食に関する具体的な内容についてもお調べしましょうか?
*** ** *** 回答 ここまで ** *** **
AIの回答が正しいかの検証はやりません
Geminiの回答が正しいかどうかは管理人にはわかりませんが、文責はGoogleにあります。
もっともらしい回答なので、こんなものかなぁ、と感じます。ここでさらにGeminiを追求すると、簡単に前言を撤回します(笑)。しかし、今回の回答は、AIの回答としては良い方だと思います。
ここで問題になるのが、オールドメディアの報道姿勢です。「白米」を江戸時代も現在も同じものだと考えているようです。この誤った認識で番組を作るから、視聴者も騙されてしまいます。
江戸時代に10分突きの白米は作れなかった。そこまで突くと米が割れ「破砕米」になる。江戸時代に食べられていた米は、現代の「玄米」程度だったと思います。栄養価が高かった。ところが、将軍や大奥では、これを現代の「白米」レベルにまで精米したことから、脚気が蔓延しました。14代将軍家茂や和宮もこの病で命を落としています。それもそのはず、米一粒づつ吟味し、米ぬかが付いていないことを確認していたそうです。これじゃ、脚気になりますね。
「江戸患い」の原因とされる「高度に精米したお米」は、一般庶民のお米とは別物だったのでしょう。
管理人の疑問は、Geminiの回答でほぼ解消しているので、今回は深追いしません。

