明治維新の女子留学生の最年長者吉益亮子。彼女は一年足らずで帰国してしまいます。
彼女に関心をお持ちの方もたくさんいると思います。
では、吉益亮子って、実際にはどんな顔立ちの方だったのでしょうか。
彼女の写真がとても少ない。このため以前から復元しようとしていたのですが、うまくいかない。あまりにも画質が悪いため、通常の修復手順ではお手上げ状態です。
それでも比較的きれいなバージョンができたのでアップします。亮子も含め5名の女の子たち全員の写真をできるだけきれいに仕上げました。
吉益亮子
吉益亮子は、美人ですね。
ワシントンの写真館で5人で撮した写真の中で亮子の顔が不鮮明のため、特にきつい顔立ちに見えます。これを修復すると、とても優しい顔立ちだったことが分かりました。
上田悌子
上田悌子は、たいていの写真で『不美人』に見えます。でも、それほど不美人ではなかったように思いました。時間があれば、もっと美人に復元したいのですが。
山川捨末
米国に渡航して直ぐの捨末の写真は画質が悪く、実際と違った印象を受けると思います。捨末はどの写真を見ても不機嫌そうで気の強い女の子、という印象を受けます。そこで、多くの写真を使ってできるだけ美しく復元してみました。背景を見ると管理人の苦闘の痕跡が見えます。
永井繁子
ワシントンに着いた女子留学生たちは、集合写真のほかに、ひとりづつ個人写真も撮影しています。この時の個人写真でネット上に高画質版が公開されているのは永井繁子の写真だけです。
捨末と繁子は同じデザインの服を着ています。このことは、写真修復をしないと気づかないこと。このため、最初、この写真を捨末と勘違いしていました。
津田梅子
津田梅子以外の4人の写真は1872年1月にワシントンで撮影したものですが、梅子の写真は画質があまりにも悪いため11歳頃の写真でつくりました。
でも、1人だけ撮影年が違うというのも変です。
一応、皆と同じ日に撮影した写真もアップします。
5人の写真をアップしていますが、管理人の当初の目的は吉益亮子の写真を修復することでした。当時の彼女の面影を復元できたのではないかと思います。
彼女たちがアメリカに渡った1871年末、皇女和宮は25歳でした。そして、オーストリア皇后エリザベートは34歳。エリザベートの誕生日はクリスマスイブ。それは女子留学生たちが横浜を出航した翌日でした。皆、同じ年代に生きた人たちです。
このサイトでは、このような記述が多くあります。それは、歴史を『点』や『横断的』に捉えるのではなく、より『立体的』に捉えようとする管理人の工夫です。これにより当時の『時空間』をよりクリアーにイメージできるのではないでしょうか。その時に役立つのが鮮明な『画像』。19世紀後半の世界にタイムスリップするには不可欠なアイテムです。
せっかくなので記念切手にしてみました。同じフレームで作るとこんなこともできます。
消印のないバージョンです。