日本の地形と古代文明を考える


公開日:2020年6月7日  最終更新日:2020年7月26日

日本の大きさ

 日本は、南北に長い島国とされていますが、どのくらい長いのか?


画像出典:JICE 1)

 南北は2787kmであるのに対して、東西は3146km。日本は東西に長い国だったのか。

 ところで、地球の半径は6371kmです。ということは、日本の東西方向の長さは地球の約四分の一を占めていることになります。飛行機で飛べば、どこまで行っても日本、という感じでしょう。

 日本の国土面積は、377,975㎢。世界で61番目の広さを持つ国です。

 ついでに、世界の排他的経済水域面積ランキングでは、世界第六位の447万㎢。旧ソ連とほぼ同じ面積です。日本は海洋国家としては大国といえる。


 出典:海上保安庁HP、日本の領海等概念図

 このように広い視点に立ち、日本という国の文明を見てみることにしましょう。

縄文時代

 世界で最も古い土器であるとされるものがある。 縄文土器に付着した炭化物のAMS法による放射性炭素年代測定法[2]の算定で16,500年前(暦年較正年代法による)とされる。2)

 2300年前に弥生時代を迎え、縄文時代が終わる。

 縄文人の寿命は35歳くらい。歯のすり減り方から、固いものを食べていたことが分かる。歯が使えなくなれば、生きてはいけない。それが寿命。

 縄文人の生活は豊かだった

 争いがなく、血族だけの小集団。食事は結構美味しいものを食べていたように思います。

 貧しいから不味いものを食べているという先入観は捨てた方が良いでしょう。

 管理人がラオス、ボリビアなどの田舎の集落の農家で何度も食べた食事は皆驚くほど美味しいものでした。人間の味覚は、世界共通という気がします。ちなみに、管理人はとても小食で、レストランで食事するのがいつも苦痛でした。量が多すぎるので、出された料理の大半を残してしまいます。そんな管理人が言うのですから、・・・、信じてください(笑)。

 そこで気づいたのは、様々な食材から”出汁”をうまくとることで、うまみを引き出していることです。味覚のおかしいアメリカ人よりも縄文人は美味しいものを食べていたと思います。

 縄文研究の情報をいろいろ見たのですが、栄養学の専門家の参加が欠けているように感じました。

 大きな土器は持ち運びに適さないため、大型土器が出現したということは定住生活が始まったことを意味します。

日本の国土は移動に適さない

 日本の国土は、徒歩による移動には適していない地形です。どこに行っても山ばかり。山歩きに慣れている人でも、沢を一本間違えると遭難してしまう。沢が深く、沢から沢に移動するのはとても難しい。

 でも、少し行けば平野に出るしと思います。でも、縄文時代には、その平野がなかった!

 「縄文海進」という言葉をご存じでしょうか。Wikipediaには次のように書かれています。

 「縄文海進(じょうもんかいしん)は、縄文時代に日本で発生した海水面の上昇のことである。約6,500年前-約6,000年前にピークを迎え、ピーク時の海面は現在より約5m高く、気候は現在より温暖・湿潤[要出典]で平均気温が1-2℃高かった。」

 現在、海沿いに広がる平野は縄文時代には海の底。人・物の移動、居住という視点で見ると、現代の平野部は存在しないか、あるいは、河川の氾濫原で洪水のリスクが高かった地域と言えそうです。

 縄文人や弥生人は博打はしない。氾濫原に住んだり、そこを農地にしたりなどはしない。ひとたび洪水が起きれば収穫ゼロ。種籾がもったいない。

日本人の不思議

 日本人とは、との問いの答えの一つが、「日本語を流暢に正しく話せること」という定義を使うことができるかも知れません。

 なぁ~んだ、そんなこと、と思うかも知れませんが、一つの国家の中で、共通語とされる言語を話すことができない国民を抱える国はたくさんあり、日本のように、日本の中ならどこでも日本語が通じる国という方がむしろ少数派のようです。

 たとえば、お隣の中国。普通語と呼ばれる北京語を基本に作られた言葉があります。北京の人は、中国全土で普通語が通じるよ、学校で習っているし、と言うようですが、現実は違います。中国で使われている上海語、広東語は、全く別の言語で、北京の人とはコミュニケーションがとれないようです。広東語と英語が標準語の香港の人たちは、普通語を覚える気もないようです。

 アメリカは、英語が通じるのが当たり前と思っていると、実際には、アメリカ人の10人に一人は英語を話せません。その他、公用語として2言語以上を定めている国もあります。たとえば、カナダは英語とフランス語の2言語が公用語です。インドはヒンディー語と英語。イスラエルはヘブライ語とアラビア語。ボリビアに至っては、スペイン語、ケチュア語、アイマラ語、グアラニー語、その他33の先住民言語となっています。

 公用語が複数あるということは、特定の言語しか話せない人たちが国内に相当数いることを意味します。日常使っている言語が異なることが民族紛争の火種になることもしばしば。

 日本では、この意味において、国家分裂の独立運動は起こりにくいようです。

 日本全土で通じる”日本語の標準語”は、明治時代に作られたもので、学校教育により全国に普及しました。幕末、もし、弘前藩と薩摩藩が倒幕の密会をしたとしたら、言葉が通じず、計画は頓挫したことでしょう。薩摩弁は太平洋戦争で暗号の代わりに使われたほどです(もちろん、電話を使わざるを得なかった緊急時ですが)。アメリカの日本語を解する暗号解読専門家でさえ理解できない言葉として。

 多くの方言がある日本語が、日本人全員が理解できる言語に発展していく過程に、江戸時代の参勤交代が大きく寄与しているようです。殿様は参勤交代で定期的に国元に帰りますが、妻子は同行することは許されません。そもそも、殿様の奥方は江戸にいることが義務づけられていたため、藩主の子どもは皆、江戸生まれの江戸育ち。こうして育った次期藩主は、藩邸内の人たちが使うお国言葉と、周囲の人が使う江戸言葉しか知りません。父の領地には一度も行ったことがない。

 ふと、現代の国会議員の「2世議員」を思い出しました。長年国会議員を務める人の子どもは東京生まれ。父親の生まれ故郷など関心がない。それが、父親の後継者として出馬する段階になると、父親の故郷の住民のふりをする必要が生じます。お国言葉など知らないくせに。

 民族紛争の火種になる「言葉がアイデンティティー」だとすると、藩主の子どものアイデンティティーの源は「江戸」ということになります。国元ではありません。

 参勤交代で随行する侍たちや江戸詰の侍たちが国元に戻るとき、江戸文化の多くを地元にもたらしたことでしょう。

 このような視角で見ると、参勤交代は、日本という国家の礎として大きく貢献したのではないかと思えてきます。歴史学者が主張する「参勤交代」とは、全く別のものが見えてきます。

 参勤交代を制度化したのは徳川家光ですが、当然、家光が考えて実行したわけではありません。実質的な発案・制度化を担ったのが松平信綱でした。次回は、松平信綱のお墓参りのお話です。

 この記事は、とても中途半端な内容ですがアップすることにします。もっともっと書きたいのですが、気力が湧かない。

出典
1) JICE
2) 大平山元I遺跡 – Wikipedia

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA