幕末最後の幕府幹部とは誰だったのか

古代の謎・歴史ヒストリー

 日本の歴史の中でも人気のある幕末。

 幕府の要職にあった譜代大名たちが新たな変化に機能不全に陥り、明治維新に到る。

 でも、徳川幕府の本当の最後局面で、幕府の要職にあった人たちって誰?

 たぶん、この質問に答えられる歴史愛好家はほとんどいないと思います。

 そこで、松浦玲氏の「勝海舟」の記述に基づきまとめてみました。現在執筆中の「勝海舟の謎」のパーツです。


 正誤:服部常順 ⇒ 服部常純、 後で直します。

 幕末の最後の最後、幕府の体制は、若年寄と総裁によるもので、大老、老中はすべて罷免・辞職の状態だったようです。

 こんな基本的なことを誰も書いていない。こんな表を見たことありますか?

 歴史家の視点が管理人のそれとは異なっているようです。

 このような体制を無視して、やれ大久保一翁がこうしただとか、山岡鉄舟がこうやっただとか、他のメンバーをシカトして、自分に関心のある人物だけで物語を創り出そうとする歴史家の何と多いことか!

 今、日本国民に問います。この幕府最後の要人たちって、結局、何をしたの?

 えっ、答えられない?

 ボーッと生きてんじねーよ!

 この記事は勝海舟の謎のパーツです。上記の問いに答えられた方にも楽しんで頂けるような記事を鋭意執筆中です。

 執筆が終わらないので、パーツでつなぐことにします。

 幕末の最後の最後の幕府高官。沈みゆく徳川丸の運行を任された人たち。こんな泥船からさっさと逃げ出したい人たちがたくさんいた中で、重職に就くことになった旗本たち。

 しかし、これには、慶応3年10月14日(1867年11月9日)の徳川慶喜による大政奉還が大きく影響しています。大政奉還により、諸大名の殿様が徳川幕府の要職を務める意味が失われてしまいます。幕府にとって、頼りにするのは直参旗本のみ。勝海舟が大出世したのはこのためです。

 侵攻してくる官軍に捕らえられ、断罪される恐れもあったわけです。