二枚目のモナリザの謎の解明

古代の謎・歴史ヒストリー

 2014年11月12日(水)のNHK BS1で午後6時から「BS世界のドキュメンタリー『二枚目のモナリザの謎』」という番組をやっていました。

 『ダ・ヴィンチは二枚のモナリザを描いたのか? 最新の歴史研究や化学的調査から、ルネサンスの巨匠の手によるとされる似て異なる二枚の絵画の裏に隠された秘密を探る。』というサブタイトルが付いています。なんかワクワクしますね。
 番組内容欄はこんな記述です。

番組の概要

 神秘的な微笑みのモナリザは最初から有名だったわけではない。ルーブル美術館から盗まれて姿を消した2年間に、より若く新しい”二枚目のモナリザ”が出現し脚光を浴びたのだ。ダ・ヴィンチは同じ肖像画を二枚描いたのか? 二枚目は習作か? それとも専門家の目さえも欺く贋作なのか・・・? 新たに見つかった歴史的資料や科学的調査から、モナリザの微笑みの裏に隠された秘密を解き明かす。

 この番組はなかなか力が入っています。このドキュメンタリーは、2014年 オーストリア Terra Mater Factual Studios GmbHが制作したもので、NHKが制作したわけではありません。日本の民放のこの手の番組はふざけた内容ばかりで見るに堪えませんが、Terra Mater Factual Studios GmbHが制作した番組なら期待できます。

プロローグ

・1911年8月、ルーブル美術館の一角に飾られたモナリザは、現在ほど有名ではありませんでした。しかし、イタリア人ビンセンツォ・ペルージャがモナリザをルーブルから盗み出したことで、モナリザは一躍脚光を浴びることになります。

・1913年、ディーラーのヒュー・ブレイカーがイギリス、サマセットの貴族の家から驚くべき絵を見つけます。この絵は、貴族の親戚が旅先のイタリアで買い付けたものでした。細部は異なるものの、盗まれたモナリザにそっくりでした。


 Image: Wikipedia 「アイルワースのモナ・リザ

 ヒュー・ブレイカーは絵を買い取り、ロンドン郊外にある自分のオフィスに運びます。その地名から、このモナリザは「アイルワースのモナリザ(The Isleworth Mona Lisa)」と呼ばれるようになります。ちなみに、アイルワースは、テニスでおなじみのウインブルドンのお隣に位置しています。

・同じ年、盗まれたモナリザが発見され、ルーブル美術館に戻ります。

モナリザが二枚存在するということはあり得るのか?

・ミラノにあるレオナルド・ダ・ヴィンチ博物館館長のアレッサンドロヴェッツォシ氏は語ります。

 「さまざまな調査の結果、現在では二つの説があります。かつては、ルーブルのモナリザ一点でしたが、もう一つのモナリザが存在する可能性も否定できないのです。」

・1503年、レオナルド・ダ・ヴィンチは、中産階級の商人の妻の肖像を描くという依頼を引き受けました。

・フィレンツェのウフィッツィ美術館に収蔵されている16世紀のイタリア人画家、建築家のジョルジョ・ヴァザーリが書いた芸術家の伝記『美術家列伝』(1550年出版)によれば、「フランチェスコ・デル・ジョコンドという商人についての記述があり、彼の息子はレオナルド・ダ・ヴィンチが母親の肖像を描いた」と述べています。母親の名前は、リザ(Lisa)。モナ・リザです。「モナ(Mona)」とは古いイタリア語で「貴婦人」を意味します。

・ヴァザーリは著書の中でモナリザをこう評しました。「まつげは限りなく繊細なタッチで描かれ、眉はこの上なく自然であり、唇は肉の質感そのものだ」と。ヴァザーリは著書の中でモナリザのまつげを絶賛しています。作品を批評する上で、まつげの描き方に言及しているということは、モナリザにおいてまつげは大きな特徴だったはずなのです。

・ヴァザーリが当時目にしたモナリザは現在ルーブルに提示してある絵なのか。しかし、このモナリザの絵には、彼が熱烈に褒め称えた眉やまつげの特徴が見られません。

・最新技術を使えば、消えた眉やまつげの謎が解けるかも知れません。

・フランス人技師パスカル・コットが超髙解像度のカメラを使って絵画をデータ化。この技術を使えば、何層にも塗り重ねられた絵画の、表面からは見えない層を画像化することができます。分析した結果、三つの層で眉が描かれていることを確認できました。眉が描かれている層はとても薄く、そして、絵の表面にごく近い層でした。なぜ、表面の層から眉が消えてしまったのかを科学的に証明することはできません。絵画の洗浄作業の過程で誤って眉を消してしまったのかも知れません。

・ルーブルのモナリザには、ヴァザーリが絶賛した眉はありません。彼が見たのは別のモナリザだったのでしょうか? それとも、度重なる修復作業が彼女の顔を変えてしまったのでしょうか?

 もし、レオナルド・ダ・ヴィンチがアイルワースのモナリザを描いたとするのなら、その特徴は”まつげと眉”に現れていると考えられます。ところが、アイルワースのモナリザの”まつげと眉”はルーブルのモナリザと同じようにほとんど確認できません。


  Source: Wikipedia、アイルワースのモナリザ

・ルーブル美術館のモナリザにはヴァザーリの記録と食い違う決定的な点があります。彼が見たモナリザは”未完成だった”のです。つまり、ヴァザーリが見たのは、もう1枚のモナリザ、「アイルワースのモナリザ」だった可能性があります。「アイルワースのモナリザ」には背景がほとんど描かれていません。これは未完成だとするヴァザーリの記録と一致します。

・1503年、レオナルドがモナリザの制作にとりかかったのと同じ年、フィレンツェで最も名誉ある仕事が舞い込みます。ベッキオ宮殿の壁にフィレンツェ共和国がミラノ公国軍を破った闘い「アンギアリの戦い」を描くという大役でした。レオナルドは蜜蝋を使った絵の具という実験的な手法を試しましたが、蜜蝋がなかなか乾かず壁を流れ落ちてしまいます。レオナルドは、フィレンツェでの最大の仕事に失敗し、フィレンツェを去ります。レオナルドは、他にも未完の作品をいくつも残しています。

・二枚の絵画、モナリザと「アイルワースのモナリザ」を比べると同じ人物のように見えます。ただ、「アイルワースのモナリザ」の方が若く見えます。これは二枚が描かれた時期が違うということなのか。

・しかし、「アイルワースのモナリザ」の保存状態はとてもよく、500年以上前に描かれた絵だとは思えないほどきれいです。もし、レオナルドが同じ女性を二枚描いていたとしたら、「アイルワースのモナリザ」の方が古いことになりますが、この保存状態の謎は解明できていません。

 ん? GIFアニメの文字入れを間違えた! LisaがEisaになっている。

管理人の推理 ラファエロのデッサンの謎

 ルネッサンス期の画家としてレオナルドに匹敵する巨匠の一人にラファエロがいます。彼は、1483年に生まれ、レオナルドが亡くなった翌年、1520年に37才の若さで没しています。

 1504年、ラファエロが21才の時、彼は大都会フィレンツェに出てきます。この時、レオナルドは、サンタ・マリア・ノヴェッラ教会の一室を工房にしてある作品に取り組んでいました。ラファエロはレオナルドの工房を訪れ、レオナルドが執筆中だった「モナリザ」に感銘を受け、それをスケッチします。そのスケッチが下の画像です。

 お気づきのように、ラファエロのスケッチには、モナリザの両側に柱が描かれています。

 「ルーブルのモナリザ」には柱は描かれていません。「ルーブルのモナリザ」の両端が切り取られたと指摘する専門家もいましたが、厳密な調査の結果、「ルーブルのモナリザ」に切り取られた部分は確認されていません。最初から柱は描かれていなかったのです。ラファエロのスケッチと同様に柱が描かれているのは「アイルワースのモナリザ」です。

 1504年、ラファエロがレオナルドの工房で見たのは、「アイルワースのモナリザ」だったことはもはや疑いの余地がありません。

 ラファエロは、この時のデッサンを基に、翌1505年頃に「一角獣を抱く貴婦人」を描いています。その構図はモナリザのデッサンと瓜二つ。人物の両側に柱が描かれています。

 二枚の絵画が如何に似ているかは下のビデオを見るとよく分かると思います(YouTubeにアップしました)。特に、二枚の絵の柱の位置に着目下さい。

  Source: なんでも保管庫2

 ラファエロのデッサンを見て気づいたことがもう一つあります。それは、「眉」がはっきりと描かれていること。

管理人の推理 眉毛の謎

 次に、まつげと眉の謎について考えて見ましょう。

 有名なルーブルのモナリザは幾度となく修復が施されてきました。その過程で”まつげと眉”が消えていったと考えられます。しかし、アイルワースのモナリザは有名ではなかったことから、修復はそれほど行われなかったと考えられます。それにもかかわらず、両者の特徴はとても良く似ています。”まつげと眉”が消えている点において。

 もし、アイルワースのモナリザが贋作であるとするのなら、贋作者が模写する時点ですでに見本となるまつげと眉が消えていたため、ヴァザーリの記録にある魅力的な部分を真似できなかったのではないかとも考えられます。アイルワースのモナリザが本物であるとしたら、まつげと眉はもっと鮮明に残っていなければなりません。

年齢の謎

 次に、二枚の絵に描かれている女性の年齢差について考えて見ましょう。

 ジョコンド夫人リザは、肖像画制作当時、二人目の子供を身ごもっていました。まだ、20代前半だったのではないでしょうか。一説にはモナリザは、彼女が24歳から27歳にかけて描かれたと言われています。

 「アイルワースのモナリザ」の年齢は何歳に見えるでしょうか。管理人には10代後半から二十歳そこそこに見えます。ルーブルのモナリザの方は40代前半、43歳くらいに見えます。平均寿命が30歳程度の中世イタリアで妊娠するにはちょっと歳がいっている感じがします。ルーブルのモナリザを見て20代と思う人は皆無でしょう。

 リザは5人の子供をもうけます。ルーブルの『モナリザ』に、「あと4人子供を生んで下さい」というのはどう考えても無理があります。

 ここでも、「アイルワースのモナリザ」がジョコンド夫人であることを示しています。ルーブルのモナリザではない。

 記録に残る史実と現実に見るモナリザとのギャップが大きいのが、この年齢の問題です。

 アイルワースのモナリザが描かれたのは1503年。そして、ルーブルのモナリザが描かれたのがその10年後の1513年という説がほぼ確定しているようです。しかし、二つの絵に描かれたモナリザは20歳程度の年齢差を感じます。10歳の年の差ではない。

 このようなことから、「アイルワースのモナリザ」はジョコンド夫人リザの肖像だったのではないかと(管理人は)考えます。

なぜ、二枚のモナリザが存在するのか

 最後に、年齢の異なる肖像画が二枚存在する理由を考えて見ます。

 上のGIFアニメを見れば分かるように、二枚の肖像はほとんどピッタリの大きさだし、顔もよく似ています。しかし、レオナルドの描く人物は、皆よく似た顔をしています。同一人物を若い頃と中年の頃の二つの年代で描いたのでしょうか。レオナルドはただでさえ遅筆な上、未完成の作品ばかりの画家です。そんなレオナルドに若い頃と中年になったリザという二枚の肖像画を依頼するでしょうか。そして、レオナルドはその仕事を引き受けるでしょうか。特に、裕福ではあるものの名もなき商人の奥さんの肖像画ではあり得ない気がします。すると、ルーブル美術館のモナリザは、別の人物の肖像ということになります。

 しかし、二枚のモナリザは驚くほど似ています。同一人物と考える方が論理的です。何か、別の解釈はできないものでしょうか。

 そこで、管理人の考えたまったく別の大胆な仮説を提示しましょう。

管理人の仮説

 レオナルド・ダ・ヴィンチはジョコンド夫人リザに恋します。最初に彼女を描いものが「アイルワースのモナリザ」でした。1503年のことです。しかし、レオナルドは、アイルワースのモナリザが制作途中で未完成だったにもかかわらず、依頼主の強い要求により相手に渡してしまいます。レオナルドは恋しいリザを思い浮かべながら、アイルワースのモナリザと同じもう一枚の絵を描きます。実際には、依頼主に引き渡す以前に複製画ができあがっていました。

 時は移り、レオナルドはこの複製のモナリザに手を加え続けます。それは、毎年、年を重ねていくリザをキャンバスの上に再現し続ける作業でした。その作業は、リザが43歳で亡くなるまで続きました。その肖像画が現在ルーブル美術館に展示されているモナリザです。ジョコンド夫人リザの最晩年を忠実に写しだしているのです。リザが亡くなったことで、絵の中のモナリザはもう歳をとらなくなったのです。

 レオナルドは、「モナリザを依頼主に渡さず、生涯手元に置き、手を加え続けた」ということを言っている人がいますが、とてもおかしな主張です。天才レオナルドなら、いくらでも複製をつくることが可能で、描いた絵はさっさと依頼主に渡して報酬をもらったはずです。簡単に複製できるのに、なぜ、依頼主に渡さない? 渡したに決まっているじゃないですか。

 その複製(依頼主に渡した方が複製かも)に生涯、手を加え続けたと考える方が論理的です。彼が遅筆なのは色々アイディアが出てくるためで、単純な複製なら自分の絵なのでとても簡単だったでしょう。気短な依頼主は、納期を守らないレオナルドの仕事ぶりに嫌気がさし、半ば強引に未完成でも引き取ったと思います。特に、商人にとって時間は重要。タイム・イズ・マネーですから。未完成の背景など、後でレオナルド工房の弟子たちに描かせればいい。アイルワースのモナリザの背景が未完成なのは、絵の制作途中にもかかわらず、依頼主がレオナルドに強引に絵の引き渡しを要求したからでしょう。

 

 仮に、「アイルワースのモナリザ」が20代前半、ルーブル美術館のモナリザが40代で同一人物だとすると、30歳代のモナリザの肖像画は、下のようだったかも。

30代のモナリザ

 今回の番組で、ルーブルのモナリザに魅力的な”まつげと眉”があったことを知りました。ラファエロが残したモナリザのデッサンに描かれているように、もし、それを復元できたなら、モナリザはとても美しく蘇るのではないかと思います。

仮説の検証

 モナリザについて調べていくと、モデルとさているリザには様々な呼び名があることに気づきます。

 リサ・ゲラルディーニ
 リザ・デル・ジョコンド

 リザの本名は、Lisa di Antonio Maria Gherardini。 ゲラルディーニ家の娘でした。

 フランチェスコ・デル・ジョコンドという人と結婚して、リザ・デル・ジョコンドと呼ばれるようになったらしいです。

 さて、検証スタートです。

 研究データに基づいて記載することにします。リザについての調査はかなり進んでいます。

 『モナリザ』のモデルとされるリザ・ゲラルディーニ(Lisa Gherardini)が生まれたのが1479年6月15日、没したのが1542年7月15日(享年63)です。裕福な絹商人フランチェスコ・デル・ジョコンド(Francesco del Giocondo)と結婚して、リザ・デル・ジョコンド(Lisa del Giocondo)となります。

(注:この生没年の日付がグレゴリオ暦に換算してあるかどうかは確認していません。たぶんユリウス暦。理由は、「暦のミステリー:イギリスの1586年10月15日は何曜日か?」をご覧下さい。)

 『モナリザ』の制作開始年は、リザが次男を出産した1503年ごろだといわれています。(『レオナルドが『モナリザ』を描き始めている』という1503年10月付けの本への書き込みが見つかっている) すると、その時のリザの年齢は24歳ということになります。この時、リザは二人目の子供を妊娠していました。

 ルーブルの『モナリザ』はどう見ても二十代に見えない。リザは5人の子供をもうけます。ルーブルの『モナリザ』に、「あと4人子供を生んで下さい」というのは無理があります。24歳のリザを描いたのは、やはりアイルワースのモナリザだと考えられます。

 上の仮説では、リザが43歳で亡くなったというストーリーだったのですが、夫の死後、フィレンツェの聖ウルスラ女子修道院で、63歳で亡くなったそうです。サン・オルゾーラ(Sant’Orsola)に埋葬されたそうで、2012年に遺体の発掘調査が行われました。

 管理人の仮説が脆くも破綻しました(涙)。と思ったら、亡くなったのはリザではなく、レオナルドの方でした。仮説はまだ生きている。

 レオナルドが亡くなったのは、1519年5月2日のこと。この時、リザは40歳でした。ルーブルのモナリザの年齢と一致するように思います。絵の中のリザが年をとらなくなったのは、描き手のレオナルド自身が死んでしまったからなのです。

 1503年、レオナルドが『モナリザ』の制作に着手したのは、彼が51歳の時でした。リザはこの時24歳で、二人の年の差は27歳です。彼は、1506年までの4年間をかけて『モナリザ』の完成を目指しますが、未完のままに終わります。この時期のレオナルドの動きを確認しましょう。
1482年から1499年までの18年間、ミラノに滞在。
 1496年、ミラノ公ルドヴィーコ・スフォルツァの娘ビアンカの肖像『美しき姫君』を描く。
 1499年 第二次イタリア戦争が勃発し、レオナルドはヴェネツィアへ避難。
 1500年 フィレンツェに戻る。
 1502年 フィレンツェの東に位置する海辺のチェゼーナを訪れ、ローマ教皇アレクサンデル6世の息子チェーザレ・ボルジアの軍事技術者として、イタリア中を行脚し、イーモラの開発計画となる地図を制作
 1503年 『モナリザ』制作開始
 1504年 ラファエロがレオナルドの工房で『モナリザ』を模写
 1506年 未完のまま制作終了 
 1519年5月 68歳の時、弟子たちに看取られてこの世を去る。

アイルワースのモナリザの背景

 アイルワースのモナリザの背景は未完成であることは一目瞭然です。どのような背景を作者が描きたかったのか分かりませんが、背景が未完成なために、アイルワースのモナリザの評価が下がっているような気がします。

 左側の背景を見ると、水面に投影された樹木のようにも見えますが、この位置に水面があるのは明らかにおかしい。何を描きたかったのでしょうか?

 もし、アイルワースのモナリザの背景が、ルーブルのモナリザの背景と同じだったらどのような絵になるのか?
 早速作ってみました。

 背景が完成すると絵から受ける印象がまるで変わります。

エピローグ

 Wikipediaの日本語版『モナリザ』の記述に違和感を覚える。

 リザの名前は「リザ・デル・ジョコンド」。つまり、ジョコンドの(妻の)リザということ。ところが、Wikipediaでは、「ジョコンドが次男を出産した」と書いてあってビックリ。旦那が出産したのか。

 ここは、「リザが次男を出産した」と書くべきではないでしょうか。

 続く文章には、「デル・ジョコンド一家の新居引越しと次男アドレアの出産祝いだったと考えられている。」と書かれている。これって、「の佐藤家」とか、「の鈴木家」と言っているようなもの。英語だと「Of the Sato」。「デル・ジョコンド一家」って、イタリア語では言うのかなぁ? 「デ」が余計だよ。 

 と思ったのですが、以前、外人の友達が、ある人の名字について、「デル」も含めて名字だよ、と言っていたのを思い出しました。「デル・ジョコンド」で正しいのかも。とても違和感がありますが・・・。英語の資料を読むと「デル・ジョコンド」という記述を見つけました。そういう風に言うらしいです。


 Isleworth Mona Lisa、背景はルーブルのモナリザをはめ込み。服の一部を透かし加工処理

 最後に、管理人が感じた疑問点をまとめて書きたいと思います。それはラファエロのデッサンについてです。

 ラファエロのデッサンでは、服装が二枚のモナリザいずれとも異なっています。全く違うと言って良いと思います。
 次に、背景。これも全く違います。スケッチをした時期にモナリザの背景はほとんど描かれていなかったのかも知れません。

 このスケッチは本当にラファエロが描いたものなのでしょうか。管理人がこのスケッチを見て感じたのは、へたくそだと言うことでした。レオナルドの描くスケッチはどんな題材でもどれも美しい。それに比べてラファエロのスケッチはまるで学生が描いたようで天才のスケッチとは思えない。本当にラファエロのスケッチなのでしょうか。

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