『中暦』という言葉をご存じでしょうか。もし、ご存じの方がいるとすれば、「お主、できるな!」という感じでしょう。
日本では明治5年(1872年)にグレゴリオ暦が採用され、明治5年12月2日の翌日を明治6年1月1日(グレゴリオ暦の1873年1月1日)としました。つまり、明治6年からグレゴリオ暦(新暦)が採用されているのですが、それ以前の暦、太陽太陰暦の天保暦を「旧暦」と呼びます。
では、『中暦』とは何か?
現実には、このような『暦』は、制定暦としては存在しません。生活する上で、旧暦と新暦の間で発生する齟齬を緩和するために便宜上設けられた『暦』であり、主として民俗学の分野で「中暦」という言葉が用いられています。
例えば、『七夕』。七夕はいつでしょうか。7月7日ですよね。では、その日付は新暦でしょうか、旧暦でしょうか。
七夕祭りで有名な仙台の七夕はいつ開催されているのでしょうか。この答えは、8月7日ですね。
例えば、明治4年7月7日の七夕は、グレゴリオ暦では1871年8月22日です。夏の暑い盛りのイベントです。
もし、『7月7日は七夕』という考え方を新暦に当てはめると、1871年7月7日は、明治4年5月20日になり、季節感が全く異なることになります。
この旧暦と新暦との生活面で生じる齟齬を補うために考え出されたのが『中暦』です。中暦では、旧暦より一ヶ月遅れで行事・祭事を考えます。7月7日の七夕は8月7日に行われることになります。
つまり、計算して算出される暦上の日付けではなく、『一ヶ月(30日)遅れ』というとてもアバウトなものです。
お盆も同様。8月に行われる旧盆が主流ですが、なぜ、『旧盆』と呼ぶのか。旧暦と新暦では説明できません。暦の計算を度外視したアバウトな『中暦』の登場です。
日本人は、暦の変更という生活に直結する大きな変化を『中暦』というアバウトな方法を採用することで受け入れてきたようです。厳密には違うけれど実用上は問題ない。そんなたくましい明治時代の日本人。
『……また自然界の推移が、新暦では一致しにくいという齟齬感もあって、折衷案としていわゆる中暦つまり太陽暦を使用しながら節日を一か月遅らせる方法が採用され、この方法が大いに調法がられたのである。戦後、新・旧・中の三重様式は急速に陽暦へ一本化されつつあるが、今なお著しい矛盾を残している。新聞紙面に、八月十五日盆を旧盆と書いて不思議と思わないという風潮も見られる。』(「日本年中行事辞典」、鈴木裳三、1977)
時間に正確な日本人。働き者の日本人。これって、嘘です。海外で仕事をしていると、とてもルーズな日本人にたくさん出会います。それが本当の日本人の姿なのかと思います。日本人はアバウトな生活が大好きだと思います。
日本人が時間に几帳面になったのは近年のこと。日本社会が無意識のうちにそれを求めています。でも、海外に出た日本人は、そのタガが外れ、糸の切れた凧のよう。本領発揮と言わんばかりに無軌道な生活に突っ走る輩を多く目にします。結局、それが本性なのでしょう。
『中暦』というとてもアバウトな暦を使い、誰もそれを不思議と思わない。テレビや新聞でも何の注釈もなく使っている。とても不思議ですが、このようなアバウトなところが日本人の本質のような気がします。緻密さとアバウトさが共存しているのに本人は気づいていない。外国人から見ると、とてもミステリアス・ジャパン!
【出典】
「要説 宮城の郷土誌」、仙台市民図書館偏、1983