2008年5月1日に発生したウユニ塩湖での車両の正面衝突、爆発炎上事故により、13名の尊い命が失われたことに衝撃を覚えました。管理人は、当時、日本におり、ネットでボリビアのメディアの報道ぶりを調べました。
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起きるはずのない事故はなぜ起きたのか
このような痛ましい事故が二度と起こらないように、なぜ、起きるはずのない事故が起きてしまったのかを書きたいと思います。
現在、本館でシリーズで書いているウユニ観光とは異質の内容なので、本館ではなく、このサイトに書くことにします。最新のウユニ塩湖の模様は、本館でご覧ください。2010年1月2日のウユニ塩湖です。500枚程度、画像をアップ予定です。
この事故のニュースをネットで見たとき、スクレからウユニに行く途中の事故だと思いました。狭く険しい道が続き、私も怖い思いをしたので。でも、まさか広大なウユニ塩湖の湖上で、しかも正面衝突するなど想像もできませんでした。
このため、なぜこのようなことになったのか、現地に行って確認したいとずっと思っていました。
そして、その機会が訪れました。何と、管理人がボリビアに長期赴任することになったのです。
ボリビアに赴任し、その年の年末年始の休暇で、再びウユニに行くことにしました。
さて、このような話を聞くには、現地のガイドがうってつけです。現地の状況に精通している上に、自分の同業者が亡くなったということで高い関心を持っているからです(日本人から見れば、日本人のことしか関心が無く、衝突した車に乗っていたイスラエル人観光客のことは誰も感心を示しません。世の中、そんなものです)。
ガイドから聞いた事故の模様は次のようなものでした。
(聞き取った内容を正確に書きますが、ガイドの勘違いにより内容に誤りがある可能性があることをご了解ください。また、管理人は、聞き取った内容を寸分違わず正確に記載していますが、ガイドが本当のことを言っているとは限らないこともご理解下さい、ボリビアはラテンの国なので。)
事故の模様
事故は、2008年5月1日、午後3時頃、ウユニ塩湖湖上で発生しました。二台のジープが正面衝突し、二台の車両に乗っていた計14名のうち13名が爆死しました。場所は、塩のホテルと魚島の間で、塩のホテルから10分くらいのところです。
ウユニの町側からウユニ塩湖に入る場合、入口から数キロの所にある塩のホテルが基点となり、そこから魚島までは3つのルートがあります。ルートといっても、一面平坦な湖上です。多くのタイヤの跡があるという程度のルートで、特にそこを走らなければならないという分けではなく、全くタイヤ痕の無い場所もガイドは平気で走ったりします。
事故は、魚島に向かって右側(東側)のルートで発生しました。ここで、なぜ、爆発炎上したのかを考えて見ましょう。
湖上に車を乗り入れるには、燃料を満タンにします。何が起こるか分からないからです。途中にガソリンスタンドはありません。標高の高い所を走る4WDは、全てガソリン車です。ディーゼルでは馬力が出ません。
3日間のツアーの場合には、車の上のキャリーに燃料ポリタンクを2つくらい乗せます。途中で給油できる場所はありません。また、煮炊き用にプロパンガスを積み込み、料理人が同行する場合もあります。
このような状況で、2台のジープが正面衝突したのなら、爆発炎上は避けられません。上で書いたように、高地のため、ジープの燃料はディーゼルではなく、ガソリンです。
日本人観光客が利用した旅行会社は、「Ciertos旅行社」です。日本人5名、運転手、ガイドの計7名が乗っていました。運転手はウユニ最古参のベテラン運転手でした。しかし、遺体からアルコールが検出され、酒気を帯びていたことが分かりました。これが居眠り運転につながったものと考えられています。この車両の搭乗者は全員死亡しました。
しかし、これには疑問があります。塩のホテルは、観光スポットのため、ここで必ず止まります。そこから、わずか10分の距離で事故が起きました。このような状況から、この運転手が居眠りをしていたと考えることは、現実的には、かなり無理があります。ぶつかる瞬間まで、全員が目覚めていたと思います。
イスラエル人観光客が利用したのはPukara旅行社でした。イスラエル人5名、運転手、料理人の7名が乗っていました。この車両は3日間のツアーを終え、ウユニに帰るところだったようです。この長距離運転の疲れから、運転手は居眠り運転をし、それが事故につながりました。
この車両の搭乗者は、衝突の衝撃で車外に投げ飛ばされ、重傷を負ったものの奇跡的に助かった運転手以外全員死亡しました。事故後、運転手はポトシの病院に搬送されました。この車の方たちは、もしかしたら、長旅の疲れから全員が寝ていたのかも知れません。
状況から推察すると、イスラエル人観光客を乗せたジープが、日本人観光客を乗せたジープに突っ込んできた、ということだと感じました(真偽は不明です)。
驚いたことに、この二つの旅行社は現在も営業を続けています。(当時の新聞には、日本人観光客の利用した旅行社はAgencia Natursとなっています。別の記事では、二つの旅行社の名前をlas empresas de turismo Kantuta Tours y Natoursと紹介しています。)
事故現場の現状
現在、事故現場には慰霊碑が設置されています。
事故でなくなられた方々のご冥福をお祈りしました。
傍らに、イスラエル人観光客の慰霊碑がありました。同じく、ご冥福をお祈りしました。
この話をガイドから聞いて教訓としたいと思ったのは、次のようなことでした。
1.日本人は車に乗るとすぐに寝てしまいます。電車でよく寝る日本人を外人は不思議に思うようです。自分の命を預ける運転手の動向には常に注意している必要があります。居眠りしそうなら、話しかけるなり、休憩をとるなりして、眠気をとることが必要です。自分が眠る場合には、監視・話しかけの役割を他の人に頼みます。
2.運転手にはアルコールを飲ませないことです。前の日の深酒も居眠りにつながります。
3.頻繁に車を止めることです。写真撮影でもトイレタイムでも何でもかまいません。頻繁に車を止めると居眠りはできません。
ウユニからの帰りは、スクレまで12時間かかりました。ポトシで昼食に時間がかかったのと、キャリアに積んだポリタンクを走行中に紛失したことに気づき、探しに戻ったためです。スクレまでの間、30分に一回は停車し、タイヤの状態、ポリタンクのロープのゆるみのチェックなどをしました。12時間の長旅は相当疲れましたが、運転手はもっと疲れたと思います。
途中、ほとんど正面衝突というようなきわどい場面を2回見ました。他の車同士ですが。以前、ウユニに行った時は、崖から落ちそうになってかろうじて留まっているジープを見ました。運転マナーが悪く、こちらが慎重に運転していても危険な目に遭うこともあります。スピードを控えて走るのが何よりも大切だと思います。
このような痛ましい事故は、実は、ボリビアではよく起きます。本館では、南米での事故について、たびたび警鐘を鳴らしています。「自分だけは・・」と思っていると、「自分が・・・」という被害に遭います。日本人がワンパターンの強盗のカモにされているように思います。
事故や強盗などの被害は事前の準備や計画次第で防ぐことができます。
管理人が問題だと思うのは、「たまたま被害に遭わなかった旅行者」が自慢げに「問題なかった」というコメントを書いていることです。それを読んだ人は、間違った情報のために、取り返しのつかない被害に遭遇するかも知れません。
本館では、管理人の長年の海外経験から、ただ危ないという警鐘を鳴らすのではなく、どうしたらそのリスクを軽減・回避できるかを記載しています。よろしかったら、本館の記事もご覧下さい。