「さようなら」の美しき響き・・・の謎を追えない!

生活編

 日本語の「さようなら」の持つ美しい響き。日本人なら誰もが感じたことがあるのではないでしょうか。

 このように書くとすぐにアン・モロー・リンドバーグ(Anne Morrow Lindbergh)を連想する人もいるでしょう。

 アン・モロー・リンドバーグって誰? と思った人もいるのではないでしょうか。

 1929年、単独での大西洋無着陸横断飛行を史上初めて達成したことで有名なチャールズ・リンドバーグ(Charles Lindbergh)の奥さんです。

 この大西洋無着陸横断飛行の年、アンが23歳の時、チャールズと結婚します。そして、翌1930年、長男チャールズ・オーガスタス・ジュニアが生まれます。この子は2年後の1932年、「リンドバーグ愛児誘拐殺害事件」として世界を震撼させる誘拐事件に巻き込まれ、殺害されることになります。

 1931年には、夫婦で北太平洋を探査飛行し、カナダ、アラスカ経由で日本にもやってきました。


    Source: ネコ師

「1932年に長男チャールズ・オーガスタス・ジュニアが誘拐されて殺害される事件(リンドバーグ愛児誘拐事件)が起きる。その後夫妻でヨーロッパに渡り、ナチス・ドイツと親しくし、米国とドイツの連合を働きかけ、帰国後は反戦運動に携わる。戦後、1955年に『海からの贈物』を書いてベストセラーとなり、文筆家としていくつかの賞を受けた。夫はミュンヘンの帽子屋ブリギッテ・ヘスハイマー(Brigitte Hesshaimer)と愛人関係にあった。」(Wikipedia 「アン・モロー・リンドバーグ」)

 リンドバーグ夫妻は1931年に、北太平洋航路調査のためニューヨークからカナダ、アラスカ州を経て中国まで飛行し、途中、日本の国後島、根室市、霞ヶ浦、大阪、福岡に立ち寄っています。アン・モローはこの記録を1935年、『NORTH TO THE ORIENT 』(『翼よ、北に』、中村妙子訳、みすず書房、2001年)として上梓しました。

 この本の中で、日本語の『さようなら』についての記述があり、多くのサイトで引用しているようです。

 その話題の記述は以下のものです。

“For Sayonara, literally translated, ‘Since it must be so,’ of all the good-bys I have heard is the most beautiful. Unlike the Auf Wiedershens and Au revoirs, it does not try to cheat itself by any bravado ‘Till we meet again,’ any sedative to postpone the pain of separation. It does not evade the issue like the sturdy blinking Farewell.
Farewell is a father’s good-by. It is – ‘Go out in the world and do well, my son.’ It is encouragement and admonition. It is hope and faith. But it passes over the significance of the moment; of parting it says nothing. It hides its emotion. It says too little.
While Good-by (‘God be with you’) and Adios say too much. They try to bridge the distance, almost to deny it. Good-by is a prayer, a ringing cry. ‘You must not go – I cannot bear to have you go! But you shall not go alone, unwatched. God will be with you. God’s hand will over you’ and even – underneath, hidden, but it is there, incorrigible – ‘I will be with you; I will watch you – always.’ It is a mother’s good-by.
But Sayonara says neither too much nor too little. It is a simple acceptance of fact. All understanding of life lies in its limits. All emotion, smoldering, is banked up behind it. But it says nothing. It is really the unspoken good-by, the pressure of a hand, ‘Sayonara.”
 Source: Anne Morrow Lindbergh, “North to the Orient

 日本語の”さよなら”は文字通り訳せば、「それがそのようにあらねばならないなら」ということだ。私の聞いた別れの言葉の中でこれほど美しいものはない。ドイツ語のアウフ・ビーダーゼーエン(また会いましょうが原意)やフランス語のオーボアル(同上)とは違う。日本語の”さよなら”は、「またお会いしましょう」とわかれの痛みをさき送りする言葉で言い替えたりごまかそうとはしない。

 英語の「フェアウェル」は父親の別れである。息子に、「外の世界に踏みい出て奮闘し努力せよ」と告げるものだ。激励であり忠告、希望そして信念だ。

 だが別れのその時のかけがえのなさはすりぬけて何も語らない。情感は隠され、つたわる想いは僅かだ。

 一方グッドバイ(神が汝とあることを)やアディオスはつ たえすぎる。別れに橋をかけようとする、ほとんど別れではないかのように。グッドバイは祈りであり、流れおちる涙だ。「いかないでーおねがい。たとえ行く としてもあなたは一人でたれにも守られないわけはないのー神様があなたと共に、神の御手のもとに。」そしてその言葉の内側に、隠されてはいるがそこに確か に、ぬきがたくあるのは、「忘れないでわたしはあなたといることをーいつも見護っているから。」グッドバイは母親の別れの言葉だ。

 けれど、”さよなら”は語り過ぎる事も不足することもない。ただ事実をあるがままに受容する。生きること の理解のすべてがその言葉の中にある。すべての感情がうちでゆっくりと静かに燃えてはいるが、言葉の背後に堰きとめられ情感だけが表出する。言葉にするこ とのない・万感の思いをこめたグッドバイであり、握る手の温もりなのだ、”さよなら”は。
 (日本語訳は、「おや爺のブログ」さんのものを使わせて頂きました。)

 このアンの記述について、「さようなら」の語源を研究する方は間違った解釈だと指摘しているようです。

 ところで、このアンの記述は何を元にしているのでしょうか。つまり、出典です。

 やはり、訪日した時に日本人から聞いたというのが最もありそうな気がします。
 執筆の最中に一文を書くためだけに「さようなら」の語源を自分で調べたとは考えにくい。

 では、誰が教えたのでしょうか。訪日中に出会った日本人でしょうか。それとも米国在住の日系人の方でしょうか。

 本当は、この記事では、「誰が教えたさようならの語源」という内容で書きたかったのですが、なにしろネタがないのであきらめました。

 確かに、「さようなら」という言葉は、日本人の心の琴線に触れるように思います。だから、多くの日本人がアンの文章を引用しており、語源を逆輸入している気がします。

 この記事は、少し前に書いたものなのですが、なかなかアップできない。本当は、『翼よ、北に』を読んでからアップしようと考えていたのですが、図書館が休館中で本を借りられない。読んでから本文を修正します。

 アップできなかった理由はもう一つあります。
 それは、アンの一生を考えると何となく気が重くなったからです。

 愛児を誘拐、殺害され、夫はドイツ人女性と浮気をして子供までもうけている。それも三人も。

 この誘拐事件では、当然のようにマスコミは両親が犯人ではないか、・・・的な報道を繰り広げます。この事件のことはテレビで見たことのある方もいると思います。いつものマスコミですね。米国でも日本と同じ。イギリスはもっとひどいけど。

 誘拐被害に遭ったリンドバーグ夫妻が、マスコミの報道でどれほど打ちのめされたのかと思うと心が痛みます。

 1955年、アンが49歳の時、彼女は家族から離れ、海辺で休暇を過ごすようになります。「リンドバーグと愛人ブリギッテ・ヘスハイマーとの関係は1957年に始まり、彼の死まで継続された」、とWikipediaにはあります。

 リンドバーグ家の崩壊を見ているようで嫌悪感を感じます。

 やはり、ひとりひとりの人生、ハッピーエンドが一番ではないでしょうか。

【参考】
http://www.bookclubkai.jp/people/contents/people047.html
http://www.higan.net/navi/2013/06/20130628.html