誰も知らない”和倉昭和博物館とおもちゃ館”の不思議

国内旅行

 先日、石川県七尾市にある『和倉昭和博物館とおもちゃ館』というところに行ってきました。

 今日は、この博物館のご紹介・・、ではなく、ちょっとした不思議なことをご紹介します。

 まずは、Google Mapで場所の確認。

“館長”って誰?

 ネットで調べると、『和倉昭和博物館とおもちゃ館』のことがたくさんヒットします。ホームページもあります。

 そして、ホームページには次のように書かれています。

 「和倉昭和博物館とおもちゃ館」は平成19年4月28日オープン。

 館長が約30年かけて収集した、明治初期から昭和40年代のおもちゃを中心に、ずらり約10,000点のアイテムが勢揃い。常にピカピカな状態で展示されております。

 平成20年の秋、新たに「車両展示スペース」を敷地内に増設しました。

和倉昭和博物館とおもちゃ館HP

 ネット上、たくさんある記事は、このホームページの記述をコピーしたものです。

 ところで、「館長」って誰?

 これがホームページのどこにも書かれていない。ホームページの記述をパクっただけのネット上の記事には当然書かれていません。この博物館を誰が造ったのかも館長の名前も分からない。

 それなのに、「館長が約30年かけて収集した、・・・」とHPに書かれている。何だこれ?

 通常、館長の挨拶とかありそうなのですが、そのようなものはホームページには一切ない。博物館の運営・管理者の組織名も分からない。

 調べてみるとこの博物館は個人所有のもののようです。駐車場はとても広く、車50台くらい駐車できます。そして、博物館の建物も結構大きい。


  Image: Google Map

 とても個人が造れるような規模ではありません。土地と建物だけで数億円! 展示品は約1万点あるようなので、展示品の購入価格も相当な額でしょう。1億円は越えていると思います。

 館長は、金沢にある下水道管施設の調査やメンテナンスなどを行う会社『株式会社クリオ』の社長 広岡保さんのようです。同社と同じ住所にある丸善建設株式会社の社長さんも兼務されていたようですが、今は、丸善建設の方は息子さんに譲られているのではないでしょうか。

 何となくそんな気がしていました。私設の博物館を作ろうと考える人はいても、実際に造る人はごくわずか。大変なパワーが必要です。また、そのような構想を抱くこと自体、人とのつながりの深い仕事をされている方だろうと想像しました。さらに資金力がある。そのような業種は限られています。

 博物館は、元々は2003年8月、金沢市に開館したのですが、2007年4月、七尾市に移転しました。金沢市にあったのはわずか4年足らず。金沢市にあった当時の建物の写真を見ると立派な建物です。たぶん、新築の建物でしょう。どうして移転したのでしょうか。新築の博物館をわずか4年で移転する? 

 とても奇妙です。そこで少し調べてみます。

 金沢おもちゃ博物館があった場所は現在、「くらつきデイサービス スマイルアクア館」になっています。建物はそのまま使われています。

 やはり手狭ということで引っ越したのでしょうか。金沢おもちゃ博物館の1F床面積は約350㎡。これに対し和倉昭和博物館とおもちゃ館(本館)は740㎡くらいです。大体、2倍の広さがあります。

 県庁前の一等地にあった金沢おもちゃ博物館の土地、建物を売却して、七尾市に新たに造ったということでしょうか。それとも、ワタミのように介護の分野に事業拡大したのでしょうか。

昭和を満喫できる展示

 いよいよ和倉昭和博物館とおもちゃ館のご案内。

 ここは、一階が昭和博物館、二階がおもちゃ館になっています。管理人はおもちゃにはあまり関心がないので省略し、主に昭和博物館についてご紹介します。昭和生まれの管理人にとって、昭和、それも戦後の高度成長期の昭和は何とも言えないノスタルジーを感じます。

 日本全国に「昭和館」のような施設はあるようです。岐阜県高山市の高山昭和館や 富山県氷見市の氷見昭和館などが有名で、「昭和館」としてはそちらの方が充実しているようです。どちらも行ったことないけど。

 しかし、管理人は和倉昭和博物館とおもちゃ館で十分満足しました。

 玄関で鉄腕アトムがお出迎えしてくれます。

 玄関の左手には、本物の消防車が展示されています。

 建物外側には、オロナインやボンカレーなどの看板があります。懐かしい!

 玄関を入ると直ぐに日本ビクターのマスコット「ニッパー」がビクターの経営方針に首をかしげています。JVCケンウッドに吸収合併されることを憂いでいるようです。

 ダイハツ・ミゼット MP5(1971年)。人気のミゼット。今観てもかっこいい! このミゼットは1971年製の最終モデルのようです。

 今はほとんど見かけない郵便ポスト。その横には浴衣を着た永遠の六歳児ペコちゃんが立っていました。

 「永遠の六歳児」として一世を風靡したペコちゃんですが、最近は「チコちゃん」が「永遠の五歳児」として人気を博しているので、ペコちゃんは街頭に出て営業活動をしているようです。いつもはお店の前だけですが、ここではポストの横で宣伝しています。

 懐かしいたばこ屋がありました。たばこ屋の娘はなぜか美人が多いように思います。酒屋の娘も美人が多い。たばこ屋の娘には父親はいません。戦死したからです。

 そう言えば、タバコを売っているコンビニと売っていないコンビニがありますよね。なぜだか分かりますか。

 今日の店番は池田七帆ちゃん

 クリックすると拡大表示できます。たばこ屋の店番は、おばあちゃんか学校帰りの美人の娘がよく似合います。これぞ昭和。

 百恵ちゃんの映画「潮騒」のポスターがありました。潮騒が上映されたのは昭和50年(1970年)のこと。ちなみに百恵ちゃんは今年還暦を迎えました。先日、『三浦百恵さん:キルトの作品集で返り咲く』という記事を書いていますので、よろしかったらご覧ください。

 見るからに昭和30年代と思えるポスター。モデルさんは誰なのでしょうか。まあ、名前を聞いても知らない人ですが。

 スクーターだ! これのブリキのおもちゃで遊んだ記憶が甦りました。

 たぶん、値段が高かったのだと思います。これに乗っている人をあまり見た記憶がない。

 移動・運搬手段はやはり自転車が主流。ごっついスタンドの自転車は、やはり酒屋さんがよく使っていました。

 昭和の子供たちの楽しみといえば、駄菓子屋に行くこと。めんこ、ビー玉、お菓子、そしてサイダー。駄菓子屋の定番お菓子は時代とともにテレビキャラクターものに移行していくのが昭和30年代後半から40年代。

 漫画『20世紀少年』の時代ですね。

 「スバル360」。美しいなぁ! 昭和の映画で必ず走っている車。

 下の写真は「大和火鉢、明治時代」と説明書きがありました。これって観た記憶がない。たしか、銭形平次の家にあったような。普通は囲炉裏や炉だと思います。

 大きな大根おろし器と桶・・・、ではなく、タライと洗濯板。昭和30年代は家庭用プラスチック製品はなく、木桶や竹製品がほとんど。それがプラスチック製品に駆逐されていくのが30年代末から40年代初めです。

 あっ、豆炭だ! 懐かしい!  これって何に使うか知っている? 教えてあげない。

 湯たんぽ。これで何度も火傷しましたね。奧にあるのが石綿カイロ。これに豆炭を使います。

 トースター。これは今でも売っていそうですね。デザインが変わらない外国製品などでたまに見かけます。

 そう言えば、このタイプのトースターのタイマーってゼンマイ式ですよね。これはデジタルにすることは可能なのに、わざとゼンマイ式にしているのだそうです。

 茶の間のちゃぶ台。星一徹がよくひっくり返していたやつです。

 テレビも扇風機も掃除機も電子ジャーもある。これらの家電を持っている家の居間は最低でも八畳の広さがあります。こんな狭い部屋が茶の間ということはそれほど裕福な家ではない。置かれている家電に違和感を感じます。

 マツダ R360クーペ(昭和35年)。展示品の中でも”車”は目を惹きます。この車にはナンバープレートが付いており、一般道を走行可能なようです。

 酒屋のカウンター。コップ酒を一杯引っかけるオヤジ。なんでこんなところで飲むんだろうと不思議なのですが、上で書いたように、なぜか酒屋の娘は美人が多い。ということは、その母親も美人。母親目当てのオヤジたちが、亭主が酒の配達で出かけた隙に・・・、という下心があったのかも。

 博物館一階にはたくさんの展示物があり、それらは骨董品として展示されているのではなく、今も使っていると思えるほどピカピカ。生活感が漂ってきます。

 この博物館にお客は管理人たちともう二組のみ。全然混んでいません。ゆったりと昭和を満喫するには良いと思います。

 博物館の入館料は700円。夏休みの時期にこの客入りでは赤字経営なのでしょう。人件費と光熱費くらいしか稼げないように思います。

 お金持ちはお金を儲けることしか考えないのですが、私財を投じてこのような施設を造った広岡さんに感謝です。