絵画界の謎:ルノワールの絵画「イレーヌ嬢」は英語圏では誰も知らない

 現在、国立新美術館で5月7日まで開催中の『ビュールレ・コレクション、至上の印象派展』のポスターに『絵画史上、最強の美少女』と書かれているルノワールの代表作『イレーヌ嬢』の肖像。

 この絵画のことは、英語圏では誰も知らない。世界で最も美しい肖像画の一枚とも称される作品なんて嘘っぱち。だまされてはいけない。

 Wikipediaを見ていると、とても不思議なことを発見する場合があります。

 それが今日のテーマ、ルノワールの代表作として日本人なら誰でも知っている『イレーヌ嬢』の肖像画。もしかしたら、そう思っているのは日本人だけなのかも知れない。今回はこの謎に迫ります。


 出典:NHKプロモーション

ルノワールの絵画「イレーヌ嬢」はWikipediaには英語版項目がない!

 実は、英語版等ほとんどの言語のWikipediaには「イレーヌ嬢」についての項目が存在しないのです。日本語版Wikipediaには、『イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢』として、しっかり項目だてされています。おかしなことに、その他言語版の欄を見ると、この項目で登録されているのは、フランス語とイタリア語だけ。

イレーヌ嬢に関するwikipediaの他国語リスト

Wikipedia 他言語版欄

 何がおかしいか、すでにお分かりだと思います。フランスは、イレーヌの出身地だから、この項目があって当たり前です。彼女の二度目の結婚の相手がイタリア人なので、イタリア語で項目があるのも分かります。しかし、英語版も、ドイツ語版も、スペイン語版も、中国語版も、ロシア語版も存在しないというのは、日本人の感覚からするととても奇妙です。

 Wikipediaをあまり使わない方は、たまたま載っていないだけと思うかも知れませんが、たまたまということはあり得ないのです。特に、ルノワールのような有名な画家の代表作が項目だてされないということは、通常では考えられないのです。

 項目だてされていない理由として考えられる理由としては、『イレーヌ嬢』の肖像画は、日本でたまたま有名になっただけなのではないかということ。

 これと似ているのが、『フランダースの犬』です。この小説は、イギリスの作家ウィーダが19世紀に書いた児童文学で、舞台は19世紀のベルギー北部のフラーンデーレン(フランドル)地方です。現在ではアントワープに隣接するホーボケン (Hoboken) が舞台となった村のモデルと考えられているそうです。ところが、ベルギーではこの小説のことを誰も知りません。

 以前、テレビで、ベルギー人が誰も知らない、日本人だけが知っている不思議な小説『フランダースの犬』について放映していました。小説の舞台はベルギーなのに、そこの住民は、ネロもパトラッシュも知らないのです。

 日本における流行は、アニメが影響していると思いますが、そもそもアニメ化されるのは、日本人になじみの深い物語だからで、この小説のことを日本人がアニメで知ったわけではありません。もともと日本では有名な小説だったのです。

 しかし、ルノワールの代表作として、日本人なら真っ先に挙げる『イレーヌ嬢』を英語圏の人は誰も知らないとは。

 偶然ですが、イレーヌの父親は、ベルギーのアントワープ出身のカーン・ダンヴェールです。日本人だけが知っている小説とつながります。

 Wikipediaの「ルノワール」の項目を見ると、日本語版では「イレーヌ嬢」の画像が使われています。「ルノワール」は印象派画家として有名なので、当然、Wikipedia英語版でも項目だてされています。しかし、その中には「イレーヌ嬢の肖像」については書かれておらず、当然、画像もありません。英語圏では、完全に「イレーヌ嬢」の絵画は無視されているのです。

 この理由として次に考えられるのは、「ユダヤ人」、そして「ナチス」との関連です。もしかしたら、「イレーヌ」のことは、英語圏では触れてはならないタブーになっているのかも知れない。Wikipediaでイレーヌについての各国語版の少なさは異常としか思えません。オランダ語でさえないのです。Wikipediaの翻訳を国を挙げて行っているオランダ語でさえこの項目はないのです。

 ここまで読んでも、まだ半信半疑なあなた! この記事を読み終える頃には、必ず納得するはずです。

 この背景には、きっと、闇がある! フランス語圏以外の世界の人に知られたくない秘密が隠されているのではないか。そんな気持ちになります。脳天気な日本人はその範疇外です。

 下の画像をご覧ください。少し違和感を覚えると思います。「あれっ? イレーヌってこんな顔だったっけ?」

 見てすぐに分かるほど、日本人は『イレーヌ嬢』の絵画を子どもの頃から繰り返し見ているのです。上の画像で違和感を感じた理由は、管理人が作った実写版のイレーヌ画像だからです。

 この絵画には、世界の人たちに知られたくない「闇」が隠されている。この謎をひとつひとつ解きほぐしていきましょう。

Wikipediaの項目立ての意味とは

 Wikipediaによれば、2018年4月2日 (月) 現在299言語のウィキペディアが開設されている、そうです。

 各言語別に総記事数、総項目数を示したものが下表です。
 
 この表から分かるのは、英語による記事数、項目数の圧倒的な多さです。そして、その言語を話す人口から考えても奇妙なのがセブアノ語、スウェーデン語が二位、三位に位置していることです。これは、”スタブ”とも呼ばれ、機械で生成したゴミWikiで、1行だけの記事ばかりのようです。Wikipediaでは、成長していない項目をスタブと呼んでいますが、ゴミをたくさん集めてもそれが成長するわけがない。成長させるにはパワーが必要となるので、ゴミを生成したのでは、むしろマイナスの効果しかありません。Wikiの”断捨離” が必要でしょう。

 英語の項目数の多さは、他の言語の追随を許さないほど圧倒的です。

 ルノワールの代表作といわれる「イレーヌの肖像」の項目が、わずか三つの言語にしか存在しないという異常さが分かっていただけるのではないでしょうか。Wikipediaの記事数で、5位、8位、13位の言語にしか『イレーヌの肖像』の項目が存在しないのです。

 たとえば、ゆるキャラの「くまモン」でさえ、日本語も含め8カ国語で項目だてされています。

順位言語原語表記 / 英語記事WP純記事数総項目数総編集数
1英語Englishen5,602,65744,640,766829,478,339
2セブアノ語Cebuanoceb5,383,0348,964,16321,801,565
3スウェーデン語svenskasv3,783,7947,652,21442,603,751
4ドイツ語Deutschde2,169,0346,102,879174,808,262
5フランス語francaisfr1,970,8219,372,665146,639,755
6オランダ語Nederlandsnl1,927,7133,948,38051,253,324
7ロシア語русскийru1,463,8185,621,79991,558,357
8イタリア語italianoit1,427,9245,287,36495,619,860
9スペイン語espanoles1,400,5136,283,032106,286,999
10ポーランド語polskipl1,273,0032,824,50652,900,937
11ワライ語Winaraywar1,262,9002,875,7466,187,088
12ベトナム語Tiếng Việtvi1,169,88313,105,37938,694,321
13日本語日本語ja1,101,4543,259,46267,828,946

出典:Wikipedia、Wikipedia:全言語版の統計

 Wikipedia上、世界最大の項目数を誇るWikipedia英語版にイレーヌの項目がないということは、とりもなおさず、英語圏の人々はイレーヌの肖像のことを知らない、と言うことができます。いや、そんなはずがない、英語圏でも知られているよ、と思いますが、それでは、なぜ、項目がないのか説明してください。できますか?

「イレーヌの肖像」がたどった数奇な歴史とは

 管理人がこの謎に気づいたのは、2018年3月4日(日)、NHK Eテレで放映された『日曜美術館「イレーヌ ルノワールの名画がたどった140年」』という番組を見て、改めて、この絵のことを調べたのがきっかけでした。ところが、普通なら英語で検索すれば簡単に得られるはずの情報が、・・”見つからない!”。

 番組では、ゲストとして、ピアニスト・作曲家の西村由紀江さん、カメラマン・グラビア写真家の渡辺達生さん、多摩美術大学教授の西岡文彦さんが出演し、とても濃厚なトークを聞くことができ、芸術に造詣が深い方々の感性に感動しました。

 最初に、Wikipedia日本語版の「イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢」の記載内容を確認しましょう。

 「印象派の絵画のうち、最も美しい肖像画の一枚とも称される作品。1880年の夏に、パリのユダヤ人銀行家であるカーン・ダンヴェール家(フランス語版)の庭で描かれた。描かれている少女は、ベルギーのアントワープ出身のルイ・カーン・ダンヴェール(フランス語版)伯爵の長女イレーヌ(1872-1963)であり、当時8歳だった。

 第二次世界大戦の最中、ナチス・ドイツに没収されベルリンで保管されていたが、戦後の1946年に当時74歳のイレーヌに返還された。しかし3年後にナチスドイツを始め世界各国に兵器を売って巨万の財を成した武器商人で、スイスに帰化したドイツ人の印象派コレクターのビュールレが競売で入手しビュールレ・コレクションに収められるという皮肉な経緯を辿り現在に至っている。イレーヌの娘ベアトリスも二人の孫もアウシュビッツで死亡している。」

 「日曜美術館」の放映内容および管理人が調べた事柄をこのWikiの記述に追加すると次のようになります。

・ピエール=オーギュスト・ルノワール(Pierre-Auguste Renoir、1841年2月25日 – 1919年12月3日、享年78)によって「イレーヌの肖像」が描かれたのは、ルノワールが39歳の時のこと。

 印象派の画家として、ルノワールは、時代によって作風を変化させていきます。それは、経済的見通しを重視し、時代のニーズに合わせたものだったのかもしれません。皮肉なことに、現在有名になっているルノワールの大作『ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会』は1877年(36歳)に描かれたものです。さらに、1878年、当時、ルノワールのパトロンで出版界の大物だったシャルパンティエの家族を描いた肖像画「シャルパンティエ夫人と子どもたち」もサロンで評判を呼びました。


Photo source: Wikipedia

・そして、1880年、ルノワールの評判を知ったイレーヌの両親が娘の肖像画をルノワールに依頼します。サロンに出展されたイレーヌの肖像画は評判が良かったのですが、依頼主はこの絵の出来映えが気に入らず、ダンヴェール家でイレーヌの肖像が人目に触れる場所に飾られることはなかったのだそうです。

・イレーヌの母ルイーズは、自分の肖像画『ルイーズ・カーン・ダンヴェールの肖像』を古典的な表現で人気を集めた肖像画の重鎮カロリュス・ディランに依頼しています。イレーヌの両親の肖像画に対するイメージは、ディランの肖像画のような中世の王侯貴族のような姿を描く作風であったらしく、印象派のルノワールの作風が気に入らなかったのです。

ルイーズ・カーン・ダンヴェールの肖像
 ルイーズ・カーン・ダンヴェールの肖像、1870、ルイーズ25歳の時のもの。

 しかし、そんなことは、ルノワールに依頼する前から分かっていたことであり、ルノワールにとっては、パトロンになってもらいたくて心血を注いで描いた絵が依頼主に認められなかったことは大きな打撃となりました。

 イレーヌに続いて描かれたのが、彼女の二人の妹の肖像『アリスとエリザベス・カーン・ダンヴェール』(1881)。元々、ルノワールは、三人、それぞれの肖像画を描くつもりでした。しかし、両親がイレーヌの絵を気に入らなかったため、妹たちは二人まとめてしか描かせてもらえず、期待したほど報酬も支払われませんでした。

 ルノワールは憤慨し、「あの家族は本当にしみったれだ。ボクは金輪際手を組まない」と言ったといいます。

 それから60年後、イレーヌの肖像はヨーロッパを揺るがす激動に巻き込まれていきます。

 1939年、ナチスドイツがポーランドへ侵攻、第二次世界大戦が始まります。翌1940年4月には、デンマーク、ノルウェーにも侵攻。5月以降、オランダ、ベルギー、さらにフランスへ攻め込みます。ナチスドイツに対し、フランスは早々に降伏。パリは占領下に置かれました。

 ヒトラーには二つの野望がありました。ひとつはユダヤ人の絶滅。もう一つは美術館の建設です。青年時代に画家を目指しながら挫折したヒトラーは、権力を握り、ドイツ帝国を象徴する美術館を夢見たのです。そのための美術品がヨーロッパ中で略奪されました。占領下で奪われた美術品は数十万点。美術史上例のない大量略奪です。その最大の被害を受けたのがフランスでした。

 パリでは、裕福なユダヤ人を標的にした強奪が繰り返されました。ユダヤ人が所有する美術品は所有者なしとされ、問答無用で奪い去られたのです。略奪された美術品は、セーヌ川沿いの「ジュ・ド・ポーム美術館」に集められました。ここを繰り返し訪れていたのがナチスのナンバーツー、ゲーリングです。ゲーリングは印象派を愛好し、気に入った絵を持ち去っていきました。イレーヌの肖像もゲーリングの目にとまり、奪い去られてしまい、その後、行方が分からなくなります。

 ヒトラーは、印象派以降の近代美術全般を「頽廃芸術」の対象とし、弾圧を始めます。これらに該当する美術品(絵画5000点、版画12000点)が押収され、売却や焼却処分にされました。もしかしたら、ゲーリングがイレーヌの肖像画を持ち出したことで、焼却から免れたのかもしれません。

 イレーヌは二度結婚し、最初の夫との間に二人の子どもをもうけました。当時、イレーヌの肖像画を所有していたのは長女のベアトリスでした。

 ベアトリスは、同じユダヤ人と結婚し、二人の子どもをもうけ、親子4人パリで暮らしていました。絵を奪われた後、一家は強制収容所に送られます。そして、ベアトリス夫妻とイレーヌの孫たちは再びパリに戻ることはありませんでした。

 1944年、連合軍は反撃に転じ、西ヨーロッパの開放を目指しました。このとき、兵士たちの中に美術品奪還を任務とする部隊がありました。メンバーは美術史家や学芸員、彫刻家など。彼らを中心に、奪われた美術品が各地で奪還されていきました。

 イレーヌの肖像画は、戦後、ベルリンで発見され、戦争を生き延びたイレーヌのもとに返還されます。それはまさに奇跡の再会でした。

 晩年、イレーヌは南フランスに移住し、そこで、1963年、91歳の生涯を閉じます。失った家族について触れることは決してなかったといいます。

 イレーヌは晩年、肖像画をある実業家に譲ります。この実業家の名は、「エミール・ゲオルク・ビュールレ(Emil Georg Bührle:1890-1956)」

 冒頭で紹介したポスターに出てくる「ビュールレ・コレクション」とは、彼が20年間に600点集めた世界屈指の印象派コレクションです。ビュールレが個人で楽しむためにだけに集められたものです。

 いよいよ、最後の謎解きに入りましょう。

触れてはならぬ世界はあるのか?

 まず、「ビュールレ・コレクション」をWikipedia日本語版で確認します。すると、所蔵作品リストの一番初めに『イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢』が載っています。

 では、英語版はどうなっているのか、他国語版リンクで確認します。すると、ルノワールの名前はあるものの、イレーヌの肖像についての記載はなく、画像もありません。
 
 ルノワールが描いたイレーヌの二人の妹の肖像『アリスとエリザベス・カーン・ダンヴェール』(1881)については、『Pink and Blue (Renoir)』としてWikipediaの英語版に項目があります。イレーヌだけがないのです。

『アリスとエリザベス・カーン・ダンヴェール(Pink and Blue)』(1881)

 ちょっと蛇足ですが、この絵の日本語のタイトルはおかしい気がします。エリザベスは次女、アリスは三女です。『エリザベスとアリス・カーン・ダンヴェール』とするのが正しいのではないでしょうか。

 ここまで来れば、英語版Wikipediaは、イレーヌの肖像のことを意識的に隠している。そう思わざるを得ません。あるいは、英語圏の人間は誰も知らない肖像画かのどちらかです。その場合、日本語版Wikipediaの記述「印象派の絵画のうち、最も美しい肖像画の一枚とも称される作品。」や今回の展示会のポスター「絵画史上、最強の美少女。」は嘘だということになります。

 管理人がイレーヌのことを調べていて感じたことは、ユダヤ人ばかりが登場するということでした。さらに銀行家という言葉もキーワードになっている気がします。イレーヌの両親もユダヤ人だし、彼女の夫もユダヤ人。娘の夫もユダヤ人です。

 そして、最後にイレーヌの肖像を手に入れた「エミール・ゲオルク・ビュールレ」なる人物。名前から分かるとおり、ドイツ人です。彼は、1890年8月31日、ドイツ南西部のプフォルツハイムで生まれています。武器商人として成功を収めたようです。

 ビュールレは、1909年~1911年、フライブルク・イム・ブライスガウにある国立アルベルト・ルートヴィヒ大学で、文学、哲学、美術史を学びました。美術家を目指したようです。その後、銀行家の娘と結婚し、機械工作工場を引き継ぎます。1937年にスイスの市民権を得て、ドイツを最大の顧客として武器の販売を続けました。
 
 管理人は、テレビ番組でよく使われる「ナチスドイツ」という表現は好きではありません。まるでナチスという組織が単独で存在し、ユダヤ人の虐殺を行ったかのような印象を与えるからです。現実にはドイツ国民が支持したからこそ成立した政党です。

 ナチスがユダヤ人を虐殺したのではなく、ドイツが虐殺したのです。

 イレーヌの娘が持っていた肖像画を略奪し、その家族も死に追いやったドイツ人。ドイツ、連合国双方に見境なく武器を売って巨万の富を築いたビュールレ。 血で塗られた資金で購入した絵画コレクション。ビュールレはゲーリングと仲がよかったそうです。

 彼には、イレーヌの肖像を持つ資格がないように思います。

 ビュールレは自宅の娘の部屋にこの絵を飾り、毎日眺めていたそうです。その光景を思い描くと胸くそ悪くなる。

 美術を学び、美術に執着した男。彼が売った武器が数十万、数百万の人命を奪ったのです。ヒトラーと重なります。

 彼のコレクションの中にナチスがユダヤ人から略奪した13点の絵画が見つかり、返却した後に買い戻すということもありました。

 ビュールレのコレクションは、文字通り、血で塗られている。巨万の富を築いたユダヤ人、虐殺されたユダヤ人、ナチスの犯罪。これらの話題を避けるには、このコレクションのことは封印する。少なくとも、表だっては情報を流さない。そういうことでしょうか。

ビュールレに注目が集まれば、戦時中にスイスが行ったさまざまな犯罪行為が明るみに出る恐れがある。特に、ホロコーストとスイスに凍結されている資産についての関係に関心が集まるのは避けたい。肖像画の持ち主が収容所で殺されたといういわく付きの絵は、その存在をできるだけ隠したい。しかも、その来歴を知りながら、その絵を買って個人で楽しんでいたという変態実業家のことが知れ渡るとマズい。美術館は有名なので、絵の情報の方をネット上から消し去るしかない。

 管理人が妄想するに、今回の結論はこんなところでしょうか。
 
 問題はもっと奥深いところにある気もします。

 ビュールレが、本当はユダヤ系ドイツ人だったのではないか。ネット上には、彼の両親についての情報がありません。

 すると、どちらの陣営からも、この話題にはあまり触れられたくないことになる。

ディープ・プロファイリング

 さて、本サイトの特徴である、やたらと詳しいディープ・プロファイリングを始めます。

 なぜ、イレーヌについての情報が、英語ではほとんど発信されていないのか。管理人の疑問は、そこからスタートしました。

 その結果、イレーヌにつきまとう影、そして闇にたどり着きました。

 その闇とは、イレーヌの母親の不倫、そして、イレーヌ自身の不倫と愛人との駆け落ちへとつながっていきます。

 イレーヌの肖像を、なぜ、ルノワールが描くことになったのか。そこには、イレーヌの母ルイーズの浮気が関係しています。

 当時、ルノワールは、自分の作品が広く認められることを切望し、また、経済的な問題も抱え、新しい顧客を引き付けるため公的サロンに彼の絵画を出品する機会を窺っていました。そこで、フランス芸術界に強い影響力を持つユダヤ人、チャールズ・エフルシー(Charles Ephrussi :1849 – 1905)に頼みます。

 エフルシーはこの願いを聞き入れ、当時愛人関係にあったイレーヌの母ルイーズに彼女の娘たちの肖像画の制作者としてルノワールを推薦します。ルイーズは、愛人の依頼を受け、肖像画の制作をルノワールに依頼することになります。

 ルイーズにとって、印象派などの作風はどうでも良いことで、重要だったのは不倫相手からの頼み、ということでした。

 この時、絵の値段の交渉は行われませんでした。これが後でトラブルのもととなります。1880年、イレーヌの絵ができあがります。続いて、二人の妹たちの絵も翌年完成します。

 ところが、イレーヌの両親は、絵が気に入らないと支払いを渋り、最終的に、絵の価値よりも遙かに低い金額1500フラン(妹たちの肖像画の代金)がルノワールに支払われたに過ぎなかったのです。

 これに対し、ルノワールは憤慨しますが、それはひとまず置いといて、この「Pink and Blue」の出来映えを見てみましょう。

イレーヌの両親は、なぜ絵が気に入らなかったのか

 この絵は、イレーヌの両親のみならず、描かれた妹たちも気に入らなかったため、女中部屋に架けられていました。気に入らなかった理由は、可愛く描かれていないことではないでしょうか。

 管理人が「Pink and Blue」を観て感じるのは、「あまり可愛くない子供たち」ということです。小太りで二重あごの次女エリザベスとどこか影のあるような三女アリスという印象を受けます。こんな絵では、描かれた本人たちもこの絵が好きではなかったのは当然という気がします。

 ところで、この絵に少し修正を加えるだけで可愛い姉妹になるのでは、と思います。早速やってみます。

 この絵で可愛くないと感じさせる箇所を修正します。

 だいぶ可愛い肖像画になったのではないでしょうか。

 ルイーズにとって、絵のことなどどうでもよいことでした。ルイーズにはたくさんの愛人がおり、浮き名を流していました。

 イレーヌの肖像は、カモンド家のホテルに飾られることになりました。

 カモンド家の対応に、ルノワールは憤慨し、以降、『反ユダヤ主義』へと傾倒します。

 ナチスによるユダヤ人迫害で、ユダヤ人が一方的に虐げられたかのような印象を受けますが、ヨーロッパで『反ユダヤ主義』が発展していくのには、それなりの理由があったと言うことです。

 一部の銀行家、そしてそのほとんどをユダヤ人が占め、貧しい庶民から資金を集め、投資して、1882年には金融恐慌が起き、銀行が破綻。庶民の怒りが銀行家、そしてユダヤ人に向けられます。

 前述の1500フラン事件以降、ルノワールは、裕福なユダヤ人後援者とは完全に縁を切ることを宣言し、反ユダヤ主義を唱えるようになります。当時の印象派画家のほとんどが反ユダヤとなっていました。

 そんな中、フランスで起きたのが『ドレフュス事件(1894年)』でした。ユダヤ人のアルフレド・ドレフュスがスパイ容疑で逮捕されたことを機に、反ユダヤ運動は大きな動きとなります。ドイツ人の一部、ナチスだけがユダヤ人を嫌っていたのではないのです。ユダヤ人は、ナチスの迫害からなぜ逃げなかったのか。逃げる場所がなかったのです。『反ユダヤ主義者』はヨーロッパ中にいたのです。

 1891年、イレーヌは19歳の時、12歳年上のユダヤ人銀行家モイス・ド・カモンド(Moïse de Camondo: (1860- 1935)と結婚します。パリでも有数の大富豪家族同士の婚姻でした。イレーヌのこの結婚のことを「政略結婚」と書いている人もいますが、ユダヤ教では結婚相手は親が決めるので、日本人の規範で考えるのは間違いです。

 イレーヌは、二人の子どもを産みますが、夫との仲は次第に疎遠となり、破綻します。そのきっかけは、イレーヌが不倫したことでした。イレーヌは夫の友人であるイタリア貴族サンピエリ伯爵と愛人関係となり、二人は駆け落ちしてしまいます。そして、イレーヌはカトリックに改宗してしまうのです。さらに、名前もイタリア風のものに変えます。実は、このことがイレーヌがホロコーストを生き延びることができた理由とされているので、人生、どう転ぶか分かりません。

 大富豪のユダヤ人妻が不倫の末に駆け落ちしたのですから、当時のパリの社会基盤を揺るがすような大事件でした。ゴシップネタにされ、それは長く続くことになります。トルストイの不倫をテーマとした長編小説『アンナ・カレーニナ』を彷彿させるようなこの事件は、パリの上流ユダヤ人社会の性道徳の乱れを象徴しています。イレーヌの母も娘も不倫していたのですから、男どものことは推して知るべしです。

 このイレーヌの行動は、二つの大きな打撃をユダヤ人社会に与えます。一つは、ユダヤ人社会のモラルのなさが露呈してしまったこと、もう一つは、イレーヌがユダヤ教からカトリックに改宗したことです。保守的なユダヤ教を支える要がモラルでしょう。モラルが緩めば宗教の維持が困難になります。

 ユダヤ教を信じる人たちは、迫害の歴史を前面に掲げ、いつの時代でも、常に被害者である風に装う必要があります。決して、加害者になった歴史など存在しない。そして、自分たちの宗教は優れていると信じます。そんな彼らにとって、イレーヌの存在自体が邪魔なのではないでしょうか。

 イレーヌが産んだ二人の子どもは、第一次世界大戦で、空軍パイロットだった長男はドッグファイトの末に戦死。長女とその家族は全員、アウシュビッツ収容所、あるいは移送途中に亡くなります(アウシュビッツ到着前に列車の中で死亡した者もいたようです)。

 戦後、ナチスに強奪されたイレーヌの肖像画は、イレーヌの手元に戻ります。しかし、もともと、彼女はこの絵に愛着がなかったのではないでしょうか。描かれてからは、自宅に飾られることもありません。再婚してすぐに、当時8歳だった娘ベアトリスに渡しています。この絵は、イレーヌにとって、良い思い出がなかったのではないでしょうか。

 手元に戻ってから程なくして、売却してしまいます。

 最後に、誰も見たことがないイレーヌの履歴を書いて、この記事を終えることにします。彼女が死後に残したものは、子どもでも孫でもなく、一枚の肖像画だけでした。

西暦年齢出  来  事
1870イレーヌの両親結婚。ベルギー生まれのユダヤ系銀行家の父Louis Cahen d’Anvers(1837-1922.85歳)、イタリアのユダヤ系大富豪の娘であった母ルイーズ・デ・モゥパーゴ(Louise de Morpurgo: 1845-1926,81歳),
1871長男誕生(Robert Joseph Meyer Cahen d’Anvers:1871-1931)
18720歳長女イレーヌ誕生
18742歳次女エリザベス(Elisabeth: 1874-1944)誕生
18764歳三女アリス(Alice:1876-1965)誕生
18797歳次男Charles(1879-1957)誕生
18808歳8歳のイレーヌの肖像をルノワールが描く。
18819歳妹たちの肖像をルノワールが描く。
189119歳12歳年上(31歳)のユダヤ人銀行家モイス・ド・カモンド(Moise de Camondo: (1860- 1935)と結婚
189220歳イレーヌの長男ニッシム(Nissim de Camondo :1892-1917)が生まれる。
189422歳イレーヌの長女ベアトリス(Beatrice de Camondo:(1894-1944)が生まれる。
189626歳夫と別居
190128歳イレーヌは家族を捨てて、愛人のイタリア貴族サンピエリ伯爵と駆け落ち。二人の子どもは夫の元に残る。
190229歳1月8日、離婚。1896年に駆け落ちし、1897年に離婚と書いてあるサイトもある。
190330歳サンピエリ伯爵(40歳)と再婚。二人の間に子どもは無し。二人の子どもの親権は元夫に。『イレーヌの肖像画』はイレーヌの実家に送られ、母ルイーズが保管。
191037歳イレーヌの母ルイーズが、『イレーヌの肖像画』を孫のベアトリスに与える。
191745歳第一次世界大戦で、パイロットをしていた長男Nissim de Camondo中尉が、ロレーヌの空中戦で撃墜され戦死
191846歳イレーヌの娘ベアトリスがユダヤ人で著名な学者セオドアライナック(Theodore Reinach:1860-1928)の息子レオン・ライナック(Leon Reinach:1893-1943)と結婚
192048歳イレーヌの娘ベアトリスがファニー(Fanny:1920.7.26-1943)出産
192250歳イレーヌの父ルイス死亡(85歳)
192351歳イレーヌの娘ベアトリスがバートランド(Bertrand:1923.7.1-1943)出産
192452歳サンピエリ伯爵との結婚生活は20年ほどで破綻し離婚。
192654歳イレーヌの母ルイーズ死亡(81歳)
193563歳イレーヌの元夫Moise de Camondo (1860-1935, 75歳)死亡。遺産の多くを娘ベアトリスが引き継ぐ
193967歳第二次世界大戦始まる。ベアトリスは離婚し、カトリックに改宗(ユダヤ狩りに対する偽装離婚と改宗との見方もある)。
194169歳ナチスがイレーヌの肖像画を強奪。
194472歳長女ベアトリス、その息子レオン・ライナッハとその子孫、ファニーとバートランドは、アウシュヴィッツ強制収容所で死亡。イレーヌの妹エリザベスも、50年前にカトリックに改宗していたものの古い記録が見つかり逮捕され、アウシュビッツに向かう途中死亡(行方不明)。末妹のアリスはイギリス人と結婚していたため難を逃れる。
194573歳第二次世界大戦終わる
194674歳終戦後、ナチスが略奪した美術品は返還され、パリのオランジュリー美術館に展示。イレーヌが所有権を主張し、イレーヌの元に戻る。
194977歳肖像画を売りに出し、ギャラリーを通じて、10月、武器商人ビュールレに売却
196391歳11月25日、イレーヌ、91歳で亡くなる

 

庭でポーズをとる『イレーヌ嬢』の写真

 イレーヌの肖像は、自宅の庭で描かれたようです。当時、カメラが出始めた時期で、写真を使って絵を描く画家も多くいたようですが、ルノワールはモデルを使うことにこだわり、写真を使うことはなかったそうです。

 庭でポーズをとるイレーヌの写真が残されています。こんな写真、未だ誰も見たことがない。

 もちろん、フェイク写真です(笑)。顔がいまいちかわいくできない。もと画像はカラーですが、白黒の方がもっともらしいので、白黒版のみアップします。レトロ風の加工すると、本当にイレーヌの写真のように見える。

イレーヌの写真

 ついでに、ルイーズも妖艶なマリリンの顔にしてみました。

妖艶なマリリン風イレーヌの母ルイーズ

ルノワールが絵を売って得た代金は、伊藤博文の月給並だった

 気になっていたことが一つあります。それは、ルノワールがイレーヌと彼女の妹たちを描いて手に入れたお金1500フランの価値です。1500フランと書かれても、何のことかさっぱり分かりません。当時の物価水準も分からないし、当時の1フランの現在価値も分からない。

 実は、この計算はとても複雑なので、やりたくないのですが、今回は、計算サイトを使った結果をご紹介します。

 『Historical currency converter (test version 1.0)』という歴史上の様々な国の年代別通貨換算サイトを活用します。1880年のフランを同年の米ドルに換算します。金本位なので、一度金の値段に換算して算出します。

 その結果は、1500フラン = 285米ドル

1500 French franc [1795-1960] in year 1880 could buy 433.74805334978294 gram gold. The price of 433.74805334978294 gram gold in year 1880 was 285.1329625784008 US dollar [1791-2015].

 さて、285米ドルは円に換算するといくらになるか。これは、以前『明治のお雇い外国人にとって、日本でもらった給料は良かったの?』という記事で書いたものを使います。この換算はとてもめんどくさいので、今回は詳細計算は省略します。

 まず、19世紀末のお雇い外国人の教師の月給は200ドル程度でした。有名な高級お雇い外国人はその3倍程度です。

 伊藤博文の月給が400円(400ドル)程度なので、ルノワールが手にしたイレーヌの妹たち、エリザベスとアリスの肖像画『ピンクとブルー』の代金1500フラン(285米ドル)は、伊藤博文の一ヶ月分の給料以下と言えそうです。賃金の高かった米国の石工の月給が77ドル程度なので、3.7ヶ月分くらいでしょうか。この安い値段では、ルノワールが怒るのも無理はない気もします。

 現在価値に直すと、・・・という考えはやめましょう。他国の賃金水準、物価水準も為替レートも分からないのに数字だけが一人歩きするという見本です。数字を見て、全て分かった気になるという典型的な悪癖です。

 欧米ではこの後すぐに経済危機を迎えることになります。この時期、計算のベースとなるデータが大きく変化するため、ピンポイントで基本データを探すのは困難でしょう。上の記事を書くときもかなり苦労をしたので、また、この変動を知っているので、今回は最初から調べるのをやめました。

あとがき

 この記事を書き始めた時と書き終えたときとでは、イレーヌの肖像に対する印象が変わりました。記事を書き始めたとき、このような結論になるとは夢にも思いませんでした。

 今回は、本当に英語版の情報が少なくて、調べるのにとても苦労しました。管理人はユダヤとの関係から読み解いていったのですが、本当のところは何なのでしょうか?

 この記事を書くにあたり、たくさんのサイトを調べました。ドレフュス事件のことや、ヨーロッパの反ユダヤ運動のことも初めて知りました。ユダヤ人⇒被害者、ナチス⇒反ユダヤ、といった単純な一方通行の歴史ではなく、そこに至る歴史と、その逆のケースもあるということも知りました。

 ハリウッド映画の制作者にはユダヤ人が異常に多いようです。

 管理人が子どもの頃、『コンバット』というテレビ映画を観て、ヴィック・モローが演じるサンダース軍曹を応援した記憶があります。日本の同盟国ドイツではなく。ドイツ軍がバタバタと銃弾に倒れていくシーンを観て、喜んでいる自分がいる。

 完全に意識操作されている!

 この『潜在意識操作』が解けるきっかけになるのが、『イレーヌ』。

 家族の絆が固い立派な家族がユダヤ人家族の象徴。ところが、現実のユダヤ人社会では、男性中心社会で、女性は補助的な存在にすぎず、男やラビに対して逆らうことは許されず、いつも従順で貞淑な態度を求められている。

 イレーヌを除いては!

 「不倫」、「駆け落ち」、「改宗」というユダヤ人社会にとって驚愕すべき不祥事を働いたイレーヌは、これまでユダヤ社会が築いてきたイメージ戦略(被害者、従順、貞節)を台無しにする行為をはたらいてしまいました。

 なんとしても、その存在を消し去りたい。

 その結果が、Wikipediaに現れています。イレーヌが生まれたフランス、イレーヌが二度目の結婚をした夫のイタリア、そして、脳天気な日本を除いては、その隠蔽工作は成功しました。完全に! 

 不思議が大好きな管理人ですが、イレーヌの駆け落ちのことを知ったとき驚きました。「誤訳しているのかも」とも考えたのですが、複数の情報にあたった結果、文脈から、間違いないことが確認できました。不倫はいつの時代、どこの国でもあるので驚くにはあたらないのですが、問題は、”子どもは誰の子か”、という疑問が常につきまとうことです。

 イレーヌは、肖像画を売ったお金を何に使ったと思いますか?

 なんと、自分の資産と絵の代金を合わせてカジノにつぎ込み大儲けしたそうです。不運続きのイレーヌにも、最後に神様が微笑みかけてくれたようです。なんとなく、ホッとします。

 その神様が何教の神様なのかは、残念ながらプロファイル不能です。

 カジノで思い出したのが、競馬。イレーヌが不倫した相手は、夫の競走馬のトレーナーだったそうです。

 そもそもユダヤ人という人種は存在しません。ナチスがユダヤ狩りをするときに、排除すべきと主張してきた”ユダヤ人”を特定することができなかったのです。そんな人種はいないからです。イスラエルはユダヤ人の国ではなく、ユダヤ教徒の国です。国として成り立つには、戒律が要になります。その要が外されれば、国として存続できない。

 最後に、イレーヌが生まれた1872年、日本から大使節団がパリを訪れています。岩倉使節団です。使節団は、1872年12月16日にパリに到着し、63日間滞在しました。こんなことがすぐに書けるのは、年表に整理しているからです。

 イレーヌってどんな顔だったのだろう? 肖像画が描かれた8歳の時からどのように成長したのだろうか?

 おばあさんになってからの写真ではなく、若いときの写真が見たい。
 
 そんな要望に応えます。19歳の時のイレーヌの写真。 

 『ルノワールの絵画「イレーヌ嬢」のモデル、本物のイレーヌ高画質写真』に掲載していますので、よろしければご覧ください。

 ハーヴェイ・ワインスタインというアメリカの映画プロデューサーをご存じでしょうか。米国映画界の実力者として、業界内で非常に大きな影響力を持ち、業界の人々から恐れられ、逆らいがたい存在となっていた(そしてそれを悪用し、女優など多数の女性に対し、セクシャルハラスメントや性的暴行を長年にわたり繰り返していたが、被害者らはワインスタインによる報復を恐れ、被害届を出せずにいた)。」(Wikipedia)

 身から出た錆。同情の余地はありませんが、彼は、「東欧から移民したユダヤ人でダイヤモンド加工業者のマックス・ワインスタイン(Max Weinstein)を父、ミリアム(Miriam)を母として、(ユダヤ系アメリカ人として)、ハーヴィは1952年にニューヨークのクイーンズ区のFlushingで誕生」しました。(Wikipedia)

 ユダヤ人が抱える下半身の問題が露呈した珍しいケースです。本来なら、ワインスタインの強権により闇に葬られていた事件です。

 ユダヤ人イレーヌの不倫・駆け落ち騒動も、ユダヤ世界が隠蔽することに失敗した珍しい事例です。管理人が掘り出さなければ、ほとんどの日本人は知らなかったことです。そして、なぜ、イレーヌの肖像画がWikipedia英語版になぜ項目だてされていないのか、イレーヌの肖像画が英語圏で徹底的に無視されているのか、誰も知ることはなかった。

それは、たまたまでしょ?

 そう思ったあなた。「オレオレ詐欺」に引っかかりやすいタイプのようですね。きっと、この意味も分からないのでしょうね。 

出典

Histoire de l’Europe et de la Méditerranée”  イレーヌの家系、生没年の調査に活用しました。
The Portrait and Story of Mademoiselle Irène Cahen d’Anvers” コメント欄に英語でのイレーヌについての記事がとても少ないことが書かれています。
The Influence of Jewish Patrons on Renoir’s Stylistic Transformation in the Mid-1880s“, Nineteenth-Century Art Worldwide
イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢」、Wikipedia
ESSAY: Death with a blue ribbon“, THE CANADIAN JEWISH NEWS

Story of a painting in my parent’s living room“, Much Ado About Paris
https://m.facebook.com/notes/mia-feigelson-gallery/pierre-auguste-renoir-the-portrait-and-story-of-mademoiselle-ir%C3%A8ne-cahen-danvers/647734681907771/  カジノの話
Irene: Renoir’s poor little rich girl“, repository
Villa les Araucarias, then Carmencita
Irene Cahen D’Anvers“, MyHeritage
“History“, Moïse de Camondo
Nissim de Camondo Museum: The Glory and the Tragedy“, FRANCE REVISITED
Never Lost in Translation

Louis Cahen d’Anvers“,Wikipedia(Fr) イレーヌの母ルイーズのたくさんの愛人たちの名前が書かれている。
Pink and Blue (Renoir)“, Wikipedia(En) イレーヌの妹たちの肖像画についてのWikipedia(En)の記述。イレーヌのことは一言だけ書かれているが、それは驚くほど素っ気なく、絵の収蔵美術館だけが記述されているに過ぎない。絵の代金が1500フランだったこと、元々は妹たちも別々に描く予定だったことが記されている。この項のルノワールの作品リストにも、当然記載すべき姉イレーヌの肖像のことは書かれていない。

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