前回の記事では、中国のコスプレーヤー、池田七帆さんが日本に来たときの撮影スポットの特定を行いました。
その中で、どうしても撮影場所が分からなかった数枚の写真がありました。それが『江戸東京たてもの園』で撮影されたものだと分かったとき、やっと肩の荷が下りたと感じました。
実は、この場所は、管理人の姉が一昨年、訪れた場所でした。姉は一級建築士で、古い建物に関心があり、『江戸東京たてもの園』に展示されている建物のデザイン、構造などに興味を持ったようです。姉は我が家に宿泊して、『江戸東京たてもの園』に出かけていきました。建築にはほとんど関心のない管理人は、その時、姉に同行しなかったのですが、もし、同行していれば、今回の撮影場所の特定に役立ったのにと悔やまれます(笑)。
過去を悔やんでもしょうがない。早速、『江戸東京たてもの園』まで行ってきました。自宅から思ったほどには遠くはない。
今回は、『江戸東京たてもの園』を紹介する記事を書きたいと思います。しかし、他のいくつかのサイトでも紹介しているので、この記事では、写真撮影に焦点をあてた記事にしたいと思います。
そこで登場するのが、ここを2018年8月初旬頃訪れた中国の人気コスプレーヤーである『池田七帆』さんです。彼女が撮影スポットに使った場所などを交えながら、『江戸東京たてもの園』の魅力について紹介したいと思います。こんな切り口のサイトは、世界中探してもここだけでしょう(笑)。
本文の記述を理解するには、過去記事『池田七帆ちゃんの写真をあまり見かけなくなったけど』を事前に読むことをお薦めします。本文中の「過去記事」とはこの記事を示します。
『江戸東京たてもの園』とは
Image: 江戸東京たてもの園正面入口・ビジターセンター、Ⓒ なんでも保管庫
そもそも『江戸東京たてもの園』とは何なのでしょうか。
『江戸東京たてもの園』とは、東京都小金井市の都立小金井公園内に設置された野外博物館です。墨田区にある「東京都江戸東京博物館」の分館です。 日本の古い歴史的に貴重な建物をこの地に移転して野外展示している場所のようです。江戸時代、明治、大正、昭和の日本全国の貴重な建築物がここに集められ展示されています。
敷地はとても広く、建物の数も約30棟あります。簡単に見て回るだけで2時間以上かかります。管理人の場合は、5時間かけて見ました。じっくり見るには、どうしてもそのくらいはかかります。それでも、最後の方は、疲れ果てて、適当に見て回った部分もあります。
この建物群の中でも特に人気なのが、東ゾーンです。時間のない方は東ゾーンだけでも魅力を堪能できると思います。
- 西ゾーン 10棟
- センターゾーン 6棟
- 東ゾーン 14棟
池田七帆さんの撮影スポットは、西ゾーンの「常盤台写真場」、「大川邸」、東ゾーンの「子宝湯」、「花市生花店」、「川野商店(和傘問屋)」です。現時点の情報で管理人が確認したもので、もっとあるかも知れません。
『江戸東京たてもの園』の魅力とは
外国人観光客も多く訪れる、七帆さんも撮影場所に使った『江戸東京たてもの園』の魅力とは何なのでしょうか。
外国人観光客に人気がある理由の一つは、やはり、インスタ映えする日本の風景だと言うことでしょう。それも、江戸時代、明治、大正、昭和といった長いタイムスパンを一度に見ることができ、それを建物の内部まで自由に撮影できるスポットはとても限られています。
日本に関心のある外国の方は、アニメやテレビドラマ・日本映画などで知った日本の生活習慣、居住空間に興味津々。それも、現代ではなく、昔の日本。現代日本では見ることができないシーンをここでなら見ることも撮影することもできる。
池田七帆さんの撮影スポット
通常であれば、『江戸東京たてもの園』について、「西ゾーンからご紹介します」とか、「東ゾーンからご紹介します」となるのですが、そんなものは、東京都のホームページに書かれています。
一般的な『江戸東京たてもの園』についての情報を知りたい方は、東京都の「江戸東京たてもの園」のホームページをご覧下さい。とても詳しく紹介されています。観光サイトを運営する自治体の方は見習ったら良いと思うほど充実しています。どこの会社が受注したのでしょうか?
さて、過去記事を書いているときに管理人が疑問に思ったことがいくつかあります。そのひとつは、池田七帆さんは “ どこで着替えたのか ” ということでした。
というのも、管理人にはとても信じられない写真があるからです。それがこれです。
この二枚の写真はいづれも『江戸東京たてもの園』で撮影されたものなのです!
もう一枚アップします。
前回の記事で七帆さんの撮影場所の特定に三カ月以上かけて調べました。しかし、上の二枚の写真が同じ場所で撮影されたものだと誰が信じるでしょうか。
一枚は、ドレス姿、もう一枚は浴衣姿です。ヘアセットも当然違います。しかも、モデルは中国人の女の子です。この二枚の写真が同じ『江戸東京たてもの園』内で撮影された写真だとは、誰もが決して思わないはずです。
そして、もう一枚。子宝湯で撮影されたのが下の写真です。
今度はセーラー服姿です。さらに花屋ではかなりスケスケの下着のような服装です。
つまり、四種類の衣装で彼女はこの場所で撮影しているのです。この撮影場所の特定作業がいかに困難なものだったのかが分かるのではないでしょうか。よく特定できたと褒めて下さい!
既にお気づきのように、これは不可能なのです。ドレス姿の写真では頭のセットをしています。浴衣姿では着付けをしてくれる人が必要です。浴衣くらいなら日本人の女の子なら自分で着ることができるでしょうが、ヘアセットが違います。これは、明らかに、着付けの専門家にお願いしていると思われます。そして、セーラー服姿。
このような写真撮影は、少なくとも一日で行うことは不可能だと思います。つまり、数日かけて撮影されたものだということです。
同じ浴衣で同じ髪飾りを付けている姿が鎌倉の七里ヶ浜のシーンにあります(これは誤りで、たぶん三浦が正解です)。それなのに、全く同じいでたちで小金井に現れた七帆ちゃん。どうなっているのでしょうか。
これが撮影場所の特定をきわめて困難にした原因です。なんてミステリアスなのでしょうか。
以下で、撮影場所を具体的に見ていくことにしましょう。
常盤台写真場(ときわだいしゃしんじょう)
『江戸東京たてもの園』の入口から入り、チケット売り場で400円の入園料を支払います。
そのまままっすぐに進み、園内に入ります。その左手正面に見えるのが「常盤台写真場」です。
この建物は、1937年(昭和12)に建築されたもので、板橋区常盤台一丁目にありました。
建物の二階が写真撮影のスタジオになっています。
照明が発達していなかった当時、北向きに大きく開けられたすりガラスの入った窓から差し込む自然光を使って撮影が行われました。建物の移設にあたって、方角を同じにしているそうです。
なぜ、北向きか分かりますか? それは、季節や時間によって光量があまり変化しないからのようです。これを「スラント式」と呼ぶそうです。英語の堪能なガイドの女性が説明してくれました。
七帆ちゃんがここで撮影したのは間違いありませんね。
この写真を見て、いつもの七帆の顔と違う。別人なんじゃないかとも思ったのですが、一連の写真みると、これは七帆ちゃんであることは間違いありません。このスタジオで撮影するととても綺麗な写真が撮れると言うことのようですが、七帆ちゃんの場合は、あまり美人に撮れていない気がします。これはカメラマンが原因でしょうね。
上の写真から分かるのは、江戸東京たてもの園からほど近いところにあるヘアサロンかレンタル衣装屋さんでドレスに着替え、ヘアーセットをしてタクシーで園に向かったということです。
ところで、管理人がこのスタジオで写真を撮っていると、1人の若そうな女性がやってきました。ガイドの女性と英語で話しています。どうやら中国か台湾の女性のようです。
写真撮影をするため、この中国女性が防寒着を脱いだ姿を見て、管理人の目は点になりました。なんと、すっぽんぽん。嘘です(笑)。なんと、着ていた服は女子高生の制服でした。どうやら彼女もコスプレーヤーのようです。
このコスプレーヤーの子とは、下の写真の左端にわずかに映り込んでいる子です。この子に関心のある方は、中国・台湾の方のインスタを探し回って下さい。
同じ衣装で撮影している次の写真は、「田園調布の家(大川邸)」で撮影したものです。
大川邸は竣工年1925年(大正14年)。旧所在地:大田区田園調布4丁目
この大川邸は耐震工事中のため、内部はおろか外観さえ現在見ることはできません。工事の終了は令和2年3月下旬と看板に書かれていました。
東ゾーン
東ゾーンの目玉は、「下町中通り」に配置されている昔の商家・銭湯・居酒屋などの再現ゾーンです。実際に使われていた建築物を移設して下町風に配置してあり、下町の風情を楽しむことができます。
特に、「看板建築」と呼ばれる特殊な壁面構造の建物群が目を惹きます。
子宝湯(こだからゆ)
下町中通りの突き当たり、一番奧にあるのが『子宝湯』です。
子宝湯は、1929年(昭和4)、足立区千住元町3に建築された銭湯です。開業は同年10月。
玄関には神社仏閣を思わせる大型の唐破風(からはふ)がのっており、また、玄関の上には、船に乗る七福神の精巧な彫刻、脱衣所には趣向を凝らした坪庭つきです。
七帆ちゃんが撮影した場所は、女湯ですね。
せっかく、銭湯に来たので、ひとっ風呂浴びて頂きます。
川野商店(和傘問屋)
次は、傘問屋の川野商店です。七帆ちゃんは、この家の縁側で撮影しています。
川野商店は和傘問屋で、大正15年(1926年)に、現在の江戸川区南小岩に建てられた出桁造り(だしげたづくり)の建物です。
七帆ちゃんが浴衣を着て縁側に座っている写真。これは、川野商店の縁側で撮影したものです。
こんどは浴衣を着ての撮影です(再掲)。
同じ角度から撮影しました。
そして、この写真。古い店先に座り込んでイチゴ氷を食べている七帆ちゃん。
ここは「鍵屋(かぎや)」という台東区下谷二丁目にあった居酒屋の店先です。のれんの色が違いますが、家の作りからここに間違いありません。
内部にはちょっとしたカウンターがあり、一杯引っかけるのには最適なつくりになっています。
この家は、1856年(安政3)に建築されたものです。安政3年と言えば、和宮様が10歳の頃ですね。建物と店内は1970年(昭和45)頃の姿に復元しています。
この建物は、千と千尋の神隠しで千尋の両親が豚になるシーンのモデルとされています。
花市生花店
次がこの写真。
七帆ちゃんが花の香りを嗅いでいる写真。管理人が二ヵ月以上かけて撮影場所を特定した貴重な写真。
ここが「花市生花店」です。
花市生花店は、1929年(昭和2年) 、神田淡路町一丁目に建てられました。
その隣にあるのが武居三省堂という文具屋さんです。筆や硯がありました。
西川家別邸
次の写真はどこでしょうか。
七帆ちゃんの着ている服がまるで下着姿のように見えたので、どこかの民宿で撮影した写真かと思っていた一連の写真。これも江戸東京たてもの園で撮影したものです。
撮影場所は、「西川家別邸」です。1922年(大正11年)に建築された建物です。
場所の特定にあたり、軒下にある竹竿のような物が決め手になりました。
都電7500形
「下町中通り」に入る入口の近くに「都電7500形」が展示されています。
七帆ちゃんはここでも撮影しています。今度はセーラー服姿で登場です。
この写真もどこで撮影したのか分からない写真の一枚でした。
着替えの謎
七帆ちゃんは「江戸東京たてもの園」での撮影では四種類の衣装で撮影しています。
常盤台写真場でのドレス姿、子宝湯や電車でのセーラー服姿、花屋や西川家別邸での薄着のスケスケワンピース姿、そして、川野商店縁側と鍵屋では浴衣姿です。
これらの写真は何時頃に撮影したものでしょうか。子宝湯については推定できそうです。
子宝湯の入口は南向きです。左が男湯で右が女湯です。
子宝湯で撮影された写真を見ると、男湯の明かり取りの窓から差し込む光を浴びている七帆ちゃんがいます。つまり、この日差しは西日と言うことです。夏の太陽高度から考えて、午後3時過ぎ頃に撮影した写真であると推測できます。
このセーラー服姿の写真は、子宝湯と電車以外のシーンを確認できません。
常盤台写真場および大川邸でのドレス姿の写真は、日光の状況から、お昼前後の撮影と思われます。太陽高度がかなり高い。
また、縁側の浴衣姿の写真は、少し日が傾きかけた夕方近くのようです。夏なので午後四時頃と思います。
さて、七帆ちゃんは、「江戸東京たてもの園」で何日かけて撮影したのでしょうか。ドレス姿と浴衣姿があるので、一日で撮影することは無理でしょう。時間的に考えても同じ日の撮影はあり得ない。
ドレスの着付けと頭のセット、浴衣の着付けと頭のセット。これを同じ日にはできません。この園の近くを虱潰しに探しましたが、これができそうなお店を特定できません。残念です。たぶん、中央線沿いのお店だとは思うのですが・・・。
七帆ちゃんは、たぶん、二日かけて撮影していると思います。管理人の推測では、撮影日は2018年8月4日と5日だと思います。未公開写真がたくさんあるのでしょう。今後新しい画像が公開されるのが楽しみです。