ふと、今年は昭和何年なのだろう? という疑問が湧きました。調べてみると、令和6年は昭和99年だと分かりました。つまり来年は、昭和100年です。
昭和生まれの管理人にとって、昭和が懐かしいという思いとは裏腹に、昭和初期の悲惨な日本の現状が頭をよぎります(生まれていませんが)。
明治100年を迎えたのは、今から57年前の1967年(昭和42年)こと。日本中が祝賀ムードでした。政府は「明治百年記念式典」を執り行います。当然、当時のメディアはこれを大きく取り上げました。
明治百年記念式典は、日本の元号が慶応から明治に改元された「明治元年9月8日(1868年10月23日)」から100周年となるのを記念して1968年(昭和43年)10月23日に挙行された日本政府主催の式典。時の日本政府により行われていた一連の「明治百年祭」において、その最重要イベントとして位置づけられていた一大祝典であった。
出典:Wikipedia
来年が昭和100年だというのに、記念式典の話しは一切聞きませんね。と思っていたら、再来年の2026年に式典を行うようです。あれれ。計算を間違えたかな。
明治100周年記念式典は、明治元年(1868年)から数えて101年目の1968年に行われました。これが周年の考え方になります。
このため、昭和100周年は、昭和元年(1926年)の101年目である2026年となります。再来年ですね。昭和100周年は来年ではなく、再来年なのです。
さらに、昭和百周年記念メダル発行の話しも聞きません。明治百年記念メダルは純金製で、現在の金地金価格高騰によりとても高額で取引されているようです。しかし、昭和百周年記念メダル発行はないようですね。金含有量を低くして大もうけをしようとした財務省の失敗に懲りたのでしょう。そのうち、この経験を忘れた世代が同じ過ちを繰り返すのでしょうが。
昭和100周年に日本国民が無関心な理由は何なのでしょうか。
昭和100周年に日本国民が無関心な理由
昭和レトロなどが人気になっている現在、昭和に対する国民の関心が廃れている分けではありません。それなのに、国民は全く無関心です。その理由は何なのでしょうか。
考えられるのは、現在の日本国内の状況では、国民を煽って昭和100周年行事をする必要性がないことが挙げられます。
10年ほど前なら中国の脅威に対抗し、中国マネーを呼び込むための手段として考える人もいたのかも知れませんが、現在の中国は崩壊に向かっているので、だれも歯牙にもかけません。はっきり言って無関心です。中国国内からの資産移転先として日本を選んだ中国人によるタワマン買い占めにも日本政府は見て見ぬふりをします。その理由は、中国国内で日本資産が差し押さえられた場合の人質として使えるからなのでしょう。米国から少し圧力をかけられると、それを根拠に、すぐに中国人資産を凍結する準備はばんたんです。
明治百年記念式典が政府主導で行われた背景には、当然、政府の思惑があったのでしょう。Wikipediaの「明治百年記念式典」の「開催経緯」を読むと、もっともらしいことが書かれていますが、それが違うのではないかと気づきます。関心のある方は読んでください。というか、この記事は、このWikipediaの記事を知っていることを前提で書いています。読まない人には何のことか理解できない。
目的
明治百年記念準備会議・広報部会(木村毅・林房雄・安岡正篤など)によって「明治百年を祝う」と題する5項目からなる一文が作成される。政府の明治百年行を記念する行事・業は、すべてこれを基調としたものであった。その大筋は、
- 明治という時期を画して封建制度から脱却し、山積する内政外交上の諸問題に直面しながら国家百年の大計に立って諸制度の改革を断行し、近代国家への方向を確立した偉業を高く評価し、
- その改革と近代化の原動力となった先人の国民的自覚と聡明と驚くべき勇気と努力、そしてその所産である事績に感謝し、
- また、過去の過ちを謙虚に反省し、
- 百年間における他に類例を見ない発展と現在の繁栄を評価しながらも、他面、高度の物質文明が自然や人間性を荒廃させている現実を憂慮して、その是正の必要性を痛感し、
- 次の世代をになう青少年の物心両面のいっそうの努力と精進に期待して、
「この百年の経験と教訓を現代に生かし、国際的視野に立って新世紀への歩みを確固としたものにする決意を明らかにする」のが「明治百年を記念する基本態度」である、というものであった。
Wikipedia, 「明治百年記念式典」、「目的」
この「目的」が奇妙なのは誰でも分かると思います。こんなことを目的とする国家行事などあるのでしょうか。特に気になるのが「過去の過ちを謙虚に反省し」の一文。C国人やK国人が喜びそうな文言ですね。
なぜ、昭和百周年記念式典が開催されないのか。これは、上に示した目的の部分から分かります。この文章をよく読むと、当時の力関係が見えてきます。共産勢力に配慮した書き方になっています。しかし、このような記述を現在行ったとしたら国民から強烈なパッシングを受けることになります。そして、この時の行事が批判の対象になるでしょう。だから、昭和百年記念行事は政府としてやれない。明治百年記念式典の目的がおかしいことに気づく国民が出てくるからです。
現在の日本国民は、当時の日本の状況を知りません。だから、現在の価値観で判断しようとします。それはそれで問題なのですが、最も問題なのは、現在の世論を形成する人々・インフルエンサーがアクセス稼ぎに特化した活動をしていることです。
それが良いか悪いかという話しではなく、形成される世論が本当に人々を平和に導いているのか、ということが重要かと思います。
世界的に日本ブームになっているようです。管理人が初めて海外に赴任したときには、日本は中国の一部だと思っている外国人がたくさんいました。ソニーやトヨタなどの企業が有名だったのにです。しかし、アニメの影響で日本という国の認知度が広がりました。やはり、ハードよりソフトの方が強烈ということなのでしょう。
パリ五輪が終わりましたが、管理人がフランスに対して思うのは、第12代フランス首相エディット・クレッソンが言った「日本人は兎小屋のようなアパートに住み、2時間もかけて通勤し高い物価に耐える蟻のような生活をしている」「日本人は黄色い蟻」という発言です。この人種差別主義の女は、謝罪することなく任期を終えています。
管理人のフランスに対する印象は、彼女の発言がまかり通る国、つまり、人種差別を容認する国だというものです。そして、実際に行ったパリで目撃した、公衆トイレがほとんどなく、人々は(夜間)小便・大便を道に垂れ流し、朝には、アフリカ系国人が水で道路を清掃する。
メディアは、パリに移住した元アナや女優を勝ち組として盛んに報道する姿勢を変えませんが、管理人には、単なる負け組としか見えません。メディアの人たちって、本気で言っているのだろうかと不思議に思います。もしかして、一度も海外旅行もしたことがないのではと勘ぐりたくなります。
などと考えていたら、2024年7月5日 のネットニュースで「再来年で昭和元年から100年 時代振り返る記念事業実施へ 政府」という記事が配信されました。どうやら、昭和100周年記念行事をやるようです。