皇女和宮の謎

皇女和宮の謎

徳川家茂の写真を復元する

第14代将軍、徳川家茂。 家茂の正室和宮の記事はたくさん書いているのですが、家茂のことは頭の隅っこにしかなかったので放置していました。 ところで、家茂ってどんなお顔だったのか気になります。 家茂の肖像画 家茂に関心のある方は、下の絵をみたこ...
皇女和宮の謎

江戸城無血開城を祝う和宮と大奥女官たちの女子会の光景

慶応4年4月11日(1868年5月3日)、江戸城は無血開城され官軍の手に引き渡されました。  この二日前、無血開城の立役者である静寛院宮(和宮)と実成院 (徳川家茂生母)は江戸城を出て午が淵の清水邸に移りました。  ということは、4月8日(...
ディープ・プロファイリング

和宮の写真として柳沢明子の写真が誤って使われ続けられている不思議

先日もテレビで和宮のことをやっていました。そのときに気になったのが、和宮ではない別人の写真を「和宮として」番組に使っていること。  和宮とされた写真は、大和郡山藩の最後の藩主柳澤保申(やすのぶ)の正室「柳澤明子」です。  このことを指摘した...
皇女和宮の謎

皇女和宮の生誕地を訪ねる

以前、和宮の終焉の地、塔の澤に行った時の記事を書きました。(過去記事『和宮終焉の地、塔ノ沢に行ってきました』)  今回は、和宮誕生の場所を訪問しました。  和宮は、弘化3年閏5月10日(1846年7月3日)、仁孝天皇の第八皇女として生まれま...
皇女和宮の謎

和宮が自殺したことで有名な板橋宿:都市伝説の誤りを暴く!

今から154年前、1861年12月15日(文久元年11月14日)午後5時頃、和宮一行は中山道の最後の宿場町、板橋宿に到着しました。  翌日には江戸に入ります。  この板橋宿は、和宮にまつわる都市伝説で有名な場所で、一度は訪ねてみたいと思って...
皇女和宮の謎

皇女和宮が住んだ麻布のお屋敷の隣人たちとは?

今日はとてもマニアックな記事です。  皇女和宮(静寬院宮)について、ネット上にはたくさんの記事がありますが、そのほとんどは和宮降嫁、あるいは、篤姫との関わりの中での大奥の争いに焦点をあてたものになっています。  管理人は、降嫁にも大奥にも興...
皇女和宮の謎

和宮が初潮を迎えた日はいつなのか?:伝承の誤りを暴く

皇女和宮の降嫁の旅に関する情報は、本当にたくさんあります。中山道沿いの宿場町を売りにしている観光地は、必ずといって良いほど多くの情報を発信しています。  その情報の中で気になったのが、和宮が降嫁の途中で初潮を迎えたという伝承。  最初は、よ...
皇女和宮の謎

土御門藤子のお墓が危ういらしい

2017年02月11日付けの京都新聞に「安倍晴明の子孫の墓ピンチ 京都、連絡取れず寺が供養」というタイトルの記事が掲載されました。  内容は、『平安時代の陰陽師安倍晴明の直系子孫である土御門家の菩提寺である京都市下京区の梅林寺で、一族の墓が...
皇女和宮の謎

「静寛院宮御日記」のダウンロードと幻の『和宮フォント』

皇女和宮の『静寛院宮御日記』というものがあります。明治元年から明治6年まで和宮が付けていた日記です。  『静寛院宮御日記』のオリジナルは、和宮直筆で書かれたもので、管理人にはとても読めませんが、国立国会図書館デジタルコレクションに収録されて...
皇女和宮の謎

和宮が晩年に住んでいた麻布のお屋敷(跡地)に行ってきました

以前、『皇女和宮が晩年に住んでいた邸宅の場所は、現在ではどこになるの?』という記事を書きました。  和宮の足跡を訪ねている方も多いのではないでしょうか。そんな方に役立つ情報です。  前回の記事では、机上のお話しでしたが、今日は、実際の現地の...
皇女和宮の謎

和宮の死の真相に迫る! 和歌に隠された暗号

はじめに 和宮銅像の実写版 (増上寺安国殿で撮影した銅像をベースに実写化。お顔は明治の美女、朝吹磯子にしました)  明治10年9月2日午後5時頃、箱根湯本、塔ノ沢の環翠楼において、皇女和宮(静寬院宮)は31歳の若さで薨去されます。その死因は...
皇女和宮の謎

和宮は本当は大奥にはいなかった! 知られざる歴史

今日は、皇女和宮について、ちょっと違った切り口から迫りたいと思います。  その切り口とは、『和宮は大奥に何日間いたのか』という疑問。  何が疑問なのかと思ってしまいますが、この問いに答えられる人は少ないのではないでしょうか。  昨年、皇居に...
皇女和宮の謎

和宮終焉の地、塔ノ沢に行ってきました

明治10年9月2日、和宮が薨去された箱根湯本塔ノ沢に行ってきました。題して『和宮様を偲ぶ旅 ~塔ノ沢編~』。  『皇女和宮の謎』シリーズを書いていた頃から和宮が亡くなった土地を訪れたいと思っていたのですが、急に思い立ち、今回の旅になりました...
皇女和宮の謎

和宮に麻布のお屋敷を売った南部麻子のお墓

明治維新に和宮が住んでいた麻布のお屋敷。  1874年(明治7年)7月8日、和宮は京都から東京に戻り、用意されていた麻布市兵衛町の御邸に居を定めることとなります。    そこは、八戸南部藩の上屋敷があった場所です。この土地を和宮に売却したの...