皇女和宮の謎

皇女和宮の謎

和宮の死の真相に迫る! 和歌に隠された暗号

はじめに 和宮銅像の実写版 (増上寺安国殿で撮影した銅像をベースに実写化。お顔は明治の美女、朝吹磯子にしました)  明治10年9月2日午後5時頃、箱根湯本、塔ノ沢の環翠楼において、皇女和宮(静寬院宮)は31歳の若さで薨去さ...
皇女和宮の謎

和宮は本当は大奥にはいなかった! 知られざる歴史

 今日は、皇女和宮について、ちょっと違った切り口から迫りたいと思います。  その切り口とは、『和宮は大奥に何日間いたのか』という疑問。  何が疑問なのかと思ってしまいますが、この問いに答えられる人は少ないのではないでしょうか。...
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和宮終焉の地、塔ノ沢に行ってきました

 明治10年9月2日、和宮が薨去された箱根湯本塔ノ沢に行ってきました。題して『和宮様を偲ぶ旅 ~塔ノ沢編~』。  『皇女和宮の謎』シリーズを書いていた頃から和宮が亡くなった土地を訪れたいと思っていたのですが、急に思い立ち、今回の旅にな...
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和宮に麻布のお屋敷を売った南部麻子のお墓

 明治維新に和宮が住んでいた麻布のお屋敷。  1874年(明治7年)7月8日、和宮は京都から東京に戻り、用意されていた麻布市兵衛町の御邸に居を定めることとなります。    そこは、八戸南部藩の上屋敷があった場所です。この土地を和...
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皇女和宮は達筆だったか

 昔の人は皆さん字が上手です。字がうまいと教養がありそうに思われます。反対に、字が下手だと教養がないように思われてしまう。字のうまい人がうらやましい。  さて、和宮は、字がうまかったのでしょうか。  宮内庁書陵部に「静寛院宮御詠...
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皇女和宮の写真の真偽を確認する

プロローグ 皇女和宮の写真は、1枚しか存在しないとされています。その和宮の写真について、「Wikipedia」には次のように書かれています。 『近年、和宮が降嫁に際し中山道を通って江戸へ向う途中、信州小坂家で休息した折、小坂家の写真師が...
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皇女和宮が抱えていた湿板写真を復元したら驚きの結果に!

 和宮のナゾの中で解明したい本当のナゾは、和宮の左手のナゾではなく、和宮が棺の中で抱えていた湿板写真に誰が写っていたのか、ということ。  この写真を「乾板」と書いている人もいますが、「湿板」が正しい。 和宮の遺骸が抱えていた写...
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皇女和宮が晩年に住んでいた邸宅の場所は、現在ではどこになるの?

 皇女和宮(静寛院宮)が晩年に住んでいたのは、東京麻布の御邸(おやしき)。    1874年(明治7年)7月8日、和宮は京都から東京に戻り、用意されていた麻布市兵衛町の御邸に居を定めることとなります。実際には、降嫁の際に宿泊し...
皇女和宮の謎

明治時代の新聞報道から皇女和宮薨去の原因を読み解く

 皇女和宮の晩年の情報が極端に少ない。  特に、和宮が箱根で亡くなってから葬儀・埋葬までの間の情報が皆無と言ってよいほど見つからない。  それを良いことに、さまざまな憶測がもっともらしく語られています。  和宮について書いた大学の先生方も、...
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皇女和宮の埋葬のナゾに迫る

和宮親子内親王(かずのみやちかこないしんのう)に秘められた謎。 14代将軍家茂に降嫁した皇女和宮の左手のナゾというものがあります。和宮様の左手は生まれつきなかった、あるいは、事件・事故で失われたという噂です(和宮は「左手」で最も有名な...