「東京大仏」をご存じでしょうか。東京都板橋区赤塚五丁目にある浄土宗の乗蓮寺(じょうれんじ)にある巨大な大仏様です。台座まで含めると高さ12.5メートル。青銅製の鋳造大仏では、奈良、鎌倉に次ぐ日本で3番目の大きさを誇るそうです。
この東京大仏に行くのは結構大変です。近くに駅がないため、最寄り駅から20分程度歩く必要があります。
「東京大仏」という名前を聞くと、いかにも商業ベースのお寺さんのイメージを受けますが、実際は全く違います。
お寺巡りをしている管理人が驚くほど綺麗に整備されたお寺、そして墓地。さらに、大仏様もとても綺麗です。昨日造ったのではないかと思えるほど手入れがなされていて美しい。
でも、この大仏が建立されたのは1977年(昭和52年)のこと。40年ほど前になります。それなのに、ピカピカの大仏様。境内の整備状況といい、大仏様の維持管理状況といい、驚きの連続でした。何なんだ!? このお寺は!
ここまで入念に管理するのは大変だと思うくらい、とにかく綺麗なお寺です。こんなに綺麗に整備しているお寺を初めて見ました。他のお寺とはレベルが違います。
ということは、それだけお金をかけて整備していると言うこと。ということは、お寺はそれだけの収入があると言うこと。ということは、優良な檀家がいるということ。誰なのでしょうか。
立派な山門があります。
この中には、多聞天尊像や金剛力士像などの像が安置されています。
いつの時代の物かは分かりませんが、とても綺麗です。
ただし、他のお寺の山門と同様に全面が金網で覆われているため、せっかくの像がよく見えない。
そこで、金網を消してみました!
すると、美しい彫像を見ることができます。
この写真は、金網の隙間から撮影した3枚の写真を合成しています。金網が邪魔して肉眼ではこのような像を見ることはできません。
山門を抜けるとよく整備された境内に出ます。
地元の家族連れらしき方が数人いるだけでとても静かな空間が広がっています。そして、何より、境内がとても綺麗。初詣にはかなりの人出があるようですが、普段はひっそりとしていて、とても落ち着いた雰囲気のお寺です。
右手に大仏様が鎮座しています。
大仏様の前に立つとやはり大きい。どうやって造ったのか・・・。いや、それよりも、どうしてこんなにピカピカに掃除されているのか、とても不思議でした。
たぶん、最近修復したのではないかと思うのですが、境内も墓地もとにかく綺麗に整備されているので、大仏様がピカピカでも違和感がありません。
大仏様の脇にある案内板には次のように書いてありました。
この大仏さま(阿弥陀如来)は、当山住職23世正譽隆道(しょうよりゅうどう)が、昭和49年88歳に発願、完成まで約3年の歳月と延3,500人の手によって昭和52年4月完成を見ました。
千葉氏の居城であったここ赤塚城二の丸址に乗蓮寺を建立するにあたり、千葉氏一族、戦没者、そして有縁無縁の霊を弔い、世界の平和と万民救済の願いが込められております。
奈良、鎌倉に次ぐ東京大仏です。
合掌して南無阿弥陀仏と十遍となえましょう。
材質:青銅(ブロンズ)製
重量:32トン
座高:8.2メートル(頭部3メートル)
蓮台:2.3メートル
基壇:地上2メートル、地下1メートル
境内には、冒険家、植村直己さんのお墓があります。彼は、1984年にマッキンリーにて消息を絶ち遺体等は未だ発見されていないのですが、彼を供養するために墓が造られたそうです。
Source: Wikipedia、Mt. McKinley
また、板橋区には、『植村冒険館』があります。植村さんが生前、約15年間に渡り暮らした縁があったことから、板橋区がその冒険家精神を後世に伝えるべく、1994年3月に植村記念財団を設立し、植村冒険館を開館させそうです。板橋区ってすごいなぁ、と思います。この冒険館は、乗蓮寺の東3.5kmに位置し、徒歩45分です。少し遠いので行くのは諦めました。
植村さんの出身地は、兵庫県豊岡市で、同市にも「植村直己冒険館」があります。
この乗蓮寺は、もともとは板橋の仲町、現在の専称院の場所にあったそうですが、安土桃山時代末期に旧中山道沿い『仲宿』へ移転、天正19年には徳川家康より10石の朱印地を拝領しました。さらに八代将軍吉宗以降は御膳所としても利用されています。国道17号線の拡張、環状6号線の開設、特に、首都高速道路の建設により寺域が半減することから、昭和46年から53年までの7年をかけて赤塚城二ノ丸跡の当地へ移転しました。
この仲宿とは、和宮降嫁の際に、和宮が宿泊した板橋本陣のあった場所です。そこで和宮が蔵に入って首つり自殺をした、という都市伝説のある宿場町です(笑)。
「東京大仏」がそれほどメジャーではない理由は、やはり、新しいからなのでしょうか。
大仏建造は、首都高建設による寺の移転に大きく関係しているようです。首都高建設に伴う寺院の移転補償費用で建造したのでしょうか。
お寺の整備状況を見ると、維持管理に多額の経費がかかっていると思います。その経費をまかっているのは、檀家のお布施というよりも、このお寺自体が資産を持っているような気がします。
それにしても、お寺って移転するのですね。檀家の人たちは困りますよね。
大仏建造も大変そうですが、お寺の引越はもっと大変そうです。昔は土葬だったので、一つ一つのお墓を掘り返し、遺骨を拾い集めて新しい墓域に移したのでしょうか。気が遠くなるような作業です。だから7年もかかったということでしょうか。
Wikipediaの「乗蓮寺」のページを見ていて気になったことがあります。
それは、[歴史]の項の「そして1977年(昭和52年)、かつて東京を襲った関東大震災や東京大空襲など、悲惨な震災や戦災が再び起きないよう願いを込め当寺院の代名詞にもなっている東京大仏が建立された。」という部分。
板橋区の資料にもこのような記述はないし、大仏の説明板にもこのようには書かれていない。
関東大震災とか東京大空襲という記述が入ると、時代錯誤のように感じてしまう。天災、震災、戦禍が再び起きないように、という記述だけで良いのでは?