玉音放送の現代語訳全文って見たことある?|そういえばメディアで一度も見た記憶が無い!

 1945年8月14日の御前会議でポツダム宣言受諾が決定されました。そして、翌15日、昭和天皇が詔書を読み上げた玉音(ぎょくおん)放送がラジオで流れました。

 私たちが知っているのは、「朕(ちん)、深く世界の大勢と帝国の現状とに鑑み、非常の措置をもって時局を収拾せんと欲し、ここに忠良なるなんじ臣民に告ぐ。」の冒頭部分と、「堪え難きを堪え、忍び難きを忍び、もって万世のために太平を開かんと欲す。」という部分。

 終戦記念日が近づくと毎年のようにメディアで報道されるパーツです。さらに、特集番組、ドキュメントでも、同じ内容が流されます。

 そして、不思議なことに、日本国民は、この部分以外の玉音放送の内容を聞いたことがありません。

 天皇の玉音放送が録音されたレコードを奪うクーデター計画があったことは何度もドキュメンタリーやドラマとして放映されてきました。しかし、玉音放送の中身については、どのマスコミも沈黙したまま。

 玉音放送を聞いた国民の多くは、その内容が理解できなかった、という文章もたまに見かけますが、それは、執筆者の感想文です。国民が理解できたか否かの調査など行われていないと思います。そんな調査をしたら、暗殺されてしまいます。そんな時代だったのです。

 昭和天皇の玉音放送の全文はネットで探せば簡単に見つかるでしょう。しかし、現代の人は、その内容が全く理解できません。当時の人は理解できたのか? やはり無理だったと思います。

 難解な玉音放送による昭和天皇の詔書。その現代語訳を見たことがある人はいるのでしょうか。

玉音放送の全文と現代語訳

 2014年8月15日付け西日本新聞の記事「終戦8・15の記憶 玉音放送の全文<現代語訳付き」にその内容が公開されています。

 それを読んで「こんな内容だったんだぁ!」と感動しました。

 当時の官僚がたぶん、数時間で書き上げた詔書。何しろ、録音しなければならないし、翌日にはラジオ放送されます。詔書の草稿を書くために与えられた時間はほんの数時間だったのでしょう。さらに、天皇のチェックを経て、初めて詔書の原稿となります。

 詔書草稿を天皇に上程し、突き戻される。そんなことが何度もあったことでしょう。

 詔書原稿が完成した後も、軍部によるクーデターにより録音したレコードが奪われる恐れもありました。この辺はドキュメンタリーの素材になりますが、天皇が自ら読まれた詔書の内容については、どのメディアも取り上げることはなかったように思います。少なくとも、管理人は一度も詔書の現代語訳を見たことがありません。

 それが西日本新聞の記事に掲載されました。

 詔書の全文は、誰も文句を言う人はいないでしょう。問題は、現代語訳の部分です。これまでメディアが書けなかった部分。それが現代語訳。

 世の中にはいろんな考え方の人がいます。当然、詔書の現代語訳に対して、多くの批判が西日本新聞に寄せられたことでしょう。

 批判する人たちは、現代語訳の対案を示すべきです。もし、示せないのなら、世論の支持を得ることは難しい。批判するのなら、対案があるのが当たり前だからです。対案も示さず批判するのは、そもそも批判にさえなっていないと感じます。

 実は、Wikipediaの「玉音放送」に、同様な現代語訳が掲載されています。Wikipediaが出典としているのは、加藤恕(ひろし)氏という元銀行支店長の方のブログ。Wikipediaの執筆者がネットで見つけたので個人のブログから引用したということなのでしょう。裏を返せば、それだけ「現代語訳が文献にない」とも言えると思います。

 メディアもWikiの執筆者も玉音放送の現代語訳には及び腰。結局、現代語訳に自信がないからでしょう。もし、間違ったら学者生命が終わってしまいます。

 以前、「山川三千子『女官ー明治宮中出仕記ー』が面白い」という記事を書きました。

 山川三千子さんのような方に現代語訳をチェックしていただくと自信を持って公表できるのでしょうが、残念ながら、彼女は1965年に亡くなられています。

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