本記事は、全文を書き直し、まったく新しい内容の記事にしました(2015/01/14)。
以前、『技術士を取得する方法』という記事を書きました。その記事の中で、「博士号を取得する方法を書く」と書きました。
技術士の取得は、上の過去記事に書いたことで十分です。技術士取得のために数万円支払って専門スクールに通う必要はありません。しかし、博士号の取得は技術士とは難易度のレベルがまったく違います。
博士号はただ勉強すれば取得できると思っているとしたら大間違いです。修士とは比較にならないほど大変です。小保方氏の博士論文の話題に関しては、なぜ、指摘されているようなことが起きるのか理解できませんが、博士論文の審査は、マスコミが報道しているよりもはるかに厳密です。
指導教官が、「指導面で優れた人」であるのなら、なんら問題ありません。指導教官の指導を受けて執筆していけばよいのです。迷わず、指導教官の指示に従って執筆を進めるべきです。
ところで、博士課程の学生を指導できる優れた教官の数は、とても限られていると思います。教官の指導が適切でない場合、論文審査会で論文が承認されず、その大学では、二度と同じテーマで論文を提出できなくなります。資格審査に論文を提出したら、後戻りができません。
博士論文の執筆は、何の道しるべもなく航海に乗り出す船乗りのようなものです。この意味は、博士課程の勉強をした人だけが理解できると思います。道標もなく道を旅する旅人のようです。いつ出会えるか分からない仇討ちの敵を探す旅にも似ています。そして、目標が達成されないこともかなりの確率で起こりえます。博士後期課程在学中に必要単位をすべて取得したものの、博士論文が通らず、単位取得退学(あるいは満期退学)となることもあります。
管理人は、とても優れた指導教官の下で勉強できました。実は、その教官がいたからこそ、出身大学ではなくその大学院を選び、社会人として修士課程、博士課程を学んだというのが実状です。
大学院、特に、博士課程の情報は寡少だと思います。さらに、他の大学の優れた指導教官は何をどのように指導しているのかといった情報を、実は誰も知らない。この情報にあふれている現代社会の中で、情報がない分野のひとつでしょう。そのような情報が公開されていないのではなく、情報そのものが存在しないのでしょう。
こんな想いから、博士論文の書き方のノウハウを書きましたので、今回、その一部をご紹介しましょう。
博士論文の書き方
Auther: Ph.D. Nekoshi
はじめに
この記事にアクセスされた方は、博士号の取得を目指し、日夜、研究に専念されているものと思います。
管理人が短期間で博士論文を書き上げることができたのは、それまでの蓄積があったことが大きな要因となっています。しかし、現実には、蓄積だけでは博士論文にはなりません。
そこには、執筆のノウハウが必要となります。
博士論文の作成にかかった時間を考えると、その8割が文献調査です。執筆は1割に過ぎません。そして、残りの1割が論文のチェックや手続き関係に費やされます。つまり、執筆はわずか1割ということが重要な点です。そして、その執筆時間と同じくらいの時間が、論文の校正に必要だということを先ず理解して下さい。
このため、論文を効率よく仕上げるには、①文献調査の効率化(調査とその利用、情報管理)、②執筆のルールを踏まえた執筆活動の効率化、③その他の効率化、という三つの分野の効率化をバランス良く図ることが大切です。
管理人は社会人であることから、一般の学生とは違い仕事をしながら論文を書かなければなりません。論文執筆に充てる時間の制約が大きく、実際の所、週末しか研究活動はできません。そこで、効率化が重要になります。
本記事の目的は、効率よく博士論文を書き上げるためのノウハウを提示することです。本記事では、論文の書き方はほとんど書いていませんが、一部だけ記載しています。ところが、そのわずかな記述は、執筆作業にとても役立つものと思います。
「なんでも保管庫」の愛読者の方はご存じのように、管理人は、どこかの書籍に書かれていたり、ネットで簡単に分かるようなことをわざわざ書く気はありません。「博士論文の執筆、博士号の取得」に必要な、どこにも書かれていないテクニックを紹介することを目的に書いています。
一言で博士論文といっても、自然科学系と社会科学系では、そもそも証明の形態が異なるので、その書き方は大きく異なると思います。しかし、論文として成立するかどうか、論文構成の考え方などの博士論文執筆のルールは共通しています。したがって、本記事では、どちらの系統でも使えるような方法を記載します。
(以下、1.~7.までの節を掲載します。全体版はもっと長いのですが、気が向いたら続きもアップします。)
1.執筆の手順
博士論文は、内容もさることながら、ある程度の量も求められます。短期間で執筆するには、とにかく、書けるところから書いて、書きためることが何より重要です。
書きためるといっても、闇雲に書くのは時間の無駄です。執筆は、目次に従って、章別、節別に書いていきます。中身のレベルはどうであれ、全ての章を書くと、達成感が生まれ、ゴールが見えてきます。そして、完成までにかかる時間を計算できます。このことは論文を完成させる上でとても大切なことです。
孤独な研究活動の中で、何度も「博士号の取得など無理」という気分になります。それは、先が読めないからです。先の読めないことに対しては、気力が続きません。ゴールが見える形に早く持って行くことが重要です。そのためには、内容はともあれ、全ての章を書き上げることを最優先します。
管理人の場合は、この書き溜めた文章の約半分を論文に使いました。別の見方をすれば、残りの半分は論文に使えなかったのです。理由は大きく分けて三つあります。その理由の一つは、レベルの低さにあります。執筆していく間に、論文の内容がどんどん高度化していきます。これは、指導教官のアドバイスに拠るところが大きいのですが、このレベルの向上により、最初に書きためた部分の多くが使えなくなります。
二つ目は、論文のテーマから外れる内容だということです。執筆の途中で、ばっさりと章ごと切り捨てるということも起こります。書き溜めた文章を校正して使うよりも、新たに書いた方が時間の節約になる場合もあります。書き溜めた文章をすべて使おうとせず、あまり固執しない方がよいでしょう。
最後に、時間切れによって、論文に入れることができないケースです。最終審査に間に合わせるためには、校正が必要な部分は泣く泣く切り捨てる場面が発生します。
このように、論文を書き溜めていると、「切りしろ」ができ、最初に考えたものとは違ったとしても、論文を短期間で完成させることができます。
2.目次構成
論文で目次がとても重要なことは、読者の方ならご存じだと思います。ところが、目次を作るのは大変で、論文執筆計画作成時点の目次と完成した論文の目次とでは大きく異なることもあります。それは、論旨の展開の仕方が変更になるからです。つまり、目次とは、どのように論旨を展開するか、を示しているとても重要なものなのです。
ところで、最初から良い目次を作れるのなら執筆は楽勝なのですが、現実は、目次の作成でつまずきます。そこで、最初のうちは、目次をあまり重視せず、論旨の展開のみ気にしながら、「仮の目次」構成に従って執筆作業に専念することが良いと思います。
3.論旨の展開
論文の中で、どのような論旨を展開するかで、論文の構成が全く違ったものになります。論旨の展開方法にはいくつかのパターンがあるようですが、論文のテーマや内容によっても異なります。重要な点は、論旨の展開の方法が、博士論文として成立するのかということです。これは執筆資格審査で問われる部分だと思います。指導教官とよく相談しましょう。
4.タイトルの重要性
論文のタイトルは、論文の「顔」なのでとても重要です。しかし、これは、最後の段階で変更できます。
論文の内容は、執筆を進めるうちに変わってきます。大学の規程で、ある段階以降は変更できないように書かれているかも知れませんが、論文のタイトルが最終的な論文の内容を正しく示していない場合は変更できます。管理人は、最後に変更しました。
従って、論文タイトルは、最後に再考できるので、最初のうちは、あまり気にしなくても良いということです。
5.問題の構図
論文を執筆する上で最も重要なのが、問題の構図です。何を明らかにしようとするのか、そのバックボーンになるのが問題の構図です。これが、論文を支える柱になります。この構図は、執筆途中で何度も何度も確認し、見直す必要があります。これは論文の柱になることから、ブレは許されません。ブレがあると論文として成立しないことになりかねません。問題の構図自体が大きく変更になることは通常はありません。変更になる場合は、そもそも、論文のテーマが変わったことを意味します。
6.論文の構成
博士論文は、大海のようにとても大きなものになります。それ故、執筆者自身が、大海に飲まれて、どこにいるのかさえ分からなくなります。つまり、何を主張したいのか、それが文脈上、どのような位置関係にあるのかが、往々にして分からなくなります。それ故、執筆を続けるには、問題の構図を常に確認し、自分の立ち位置を再確認する必要があります。
ところで、自分一人で論文を仕上げることは、現実には無理があります。博士論文を仕上げるには他者の意見が必要です。しかし、執筆途中の博士論文に対してアドバイスをしてくれる人など周りにいないのが普通でしょう。参考意見を聴きたくても、博士論文執筆経験者の数は圧倒的に少ないのが現状です。このため、通常は指導教官の意見が重要になります。また、論文のレベルを上げるには、指導教官等の助言が不可欠です。優れた指導教官であれば、的確な指導をします。ただし、博士論文の指導教官は、修士の時のような丁寧な指導はしません。それ故、指導教官から的確な指導が受けられるように、論文全体を早い段階で指導教官に示し、その構成について指導を受けることが重要です。
7.管理人の経験
概念ばかりだと読んでいて疲れるので、コーヒーブレイクとして管理人の経験を書きたいと思います。
管理人が、執筆資格審査に申請しようと決心したのは、4月のこと。その理由は、指導教官が退官されるという情報を入手したためです。
執筆資格審査の書類の提出締切りは5月初め。1ヶ月しかありません。その時点では、1割もできていない状態でした。そこで、1ヶ月間、論文執筆に集中しました。
執筆資格審査に提出する論文はサマリーのようなものですが、相当の部分が書き終えていないと書けるものではありません。
この時の提出論文を書き終わった時点で、かなり考えがまとまり、年末までに書き終えられるかも知れない、という気がしました。執筆しているうちに、頭の中では、かなり詳細な部分までできあがっていました。
ところが、執筆資格審査資料を提出し、いざ、本格的な執筆に入ると、筆が進まない。文献調査が不足しており、文献を読み進めながら執筆を進めることになりました。この期間、ほとんど執筆が進まない日々が続きました。日本語文献がほとんどない分野のため、原文を読まなければならず、かなりの力仕事になりました。
次の関門は9月の「1次審査」です。この時点の論文は、12月までに書き終える程度まで内容が詰まっているかどうかが評価されます。かなり荒削りですが、論文の構成としておかしくないように注意しながら書きました。
1次審査の結果を待っていると2次審査申請に間に合わないので、執筆を進めます。
正念場は12月の2次審査申請なので、とにかく、一度執筆を終わらせ、全体版を完成させることに集中しました。しかし、書き上がった論文を読み返すと、自己矛盾している部分がたくさんあったり、文献調査が不足しているため独りよがりの部分があったりで、2次審査申請ができるのか不安になります。この時期は、おかしな部分を潰していく作業に追われました。
この段階での指導教官からの指導は、『7ページ程度の要約を作ること。そして、それを最低5回は読み直し、校正すること。』というものでした。論文本体がまだまだ終わっていないのに、要約の話になったので反発を感じました。しかし、今はこの要約づくりこそが成功の鍵だったと思っています。
この指導は、非常に役立ちました。2、3ページの要約では、巨大な論文の中身を説明することは難しいのですが、7ページもあると、章毎に、かなり詳細に記述する必要があります。これにより、論文構成のおかしい所や不足している部分が明らかになります。7ページの要約を作るには、章の中の節別に書いていきます。すると、つじつまの合わない部分やつながらない箇所、さらに、各節・各章が竜頭蛇尾になっていないか、が見えてきます。また、各章に記載されている内容も明確になります。それにより、不足している部分や説明不足の部分を知ることができます。これは、口頭試問まで役に立ち、論文の質を上げたと思います。
この時期、焦ってばかりで、論文の中身で何が問題なのかを把握できていなかったと思います。論文全体を俯瞰できるような心理状況にはなかった。しかし、この7ページの要約をつくることで、最終段階で必要な3ページの要約も簡単につくることができました。
その次は、12月の公開発表会。この発表会は、プレゼンの時間配分を間違い、ボロボロでした。
次の関門は、正月明けの最終論文の提出。ここで提出すると後戻りできません。誤字の訂正もできません。提出書類に間違いがないかのチェックなど、かなりナーバスになりました。
そして、2月に行われた最後の「口頭試問」。これは、発表ではなく試験であり、学力が試されます。
これで、実質9ヶ月、口頭試問まで含めれば11ヶ月の長い戦いが終わりました。試験官からは好意的な意見が出され、胸をなで下ろしました。
3月の時点では、大学院をやめようかと悩んでいました。何のために博士課程に在学しているのか、自分でも明確な答えを出せずにいました。
こんな管理人の気持ちを変えたのが、大学事務室からの一通のメールでした。
「○○教授は、来年度で退官されます。先生は、○○さんはじめ、担当した院生を卒業させたいと考えていらっしゃいます」
このメールは、大学の事務の方が個人的に送って下さったものでした。このメールで管理人は奮起しました。もともと、管理人が、たくさんある大学院の中から○○大学の修士課程に入学したのも、その後、2年のブランクの後で博士後期過程に進んだのも、この指導教官の存在があったからでした。
院生の指導においては日本でも有数の先生だと思います。そこで、どんな指導が行われたのかを書きたいと思います。「論文の書き方」という本はいくつかあります。読んだ方は分かると思いますが、それらの本は、ほとんど役に立ちません。
同じようなことをこの記事で書くつもりは全くありません。どこにも書かれていないことを書きたいと思います。ただし、全ての指導内容を書くわけにはいきません。それは、読者の分野によって大きく異なるからです(管理人もよく理解できないことも多いため)。
世の中で起きている事象は複雑です。これを研究対象とするには、定式化の過程が必要になります。ところが、定式化の過程、理論仮説、作業仮説、事例研究、・・・の意味を本当に理解している大学教官はどのくらいいるのでしょうか。その内容を説明できる教官はどのくらいいるのでしょうか。
管理人が指導教官を選んだ理由はここにあります。
問題は誰でも見つけることができます。その中から論文のテーマを見つけ出すことも誰でもできます。そのテーマを論文として成立するためにどのように定式化するか、という作業は、・・・、実は、誰でもできるわけではありません。
院生が考えた定式化の図式について指導できるかどうかが博士論文の指導教官に求められる資質です。これを指導するためには、指導教官自らが、分析のフレームを持っている必要があります。院生は様々なテーマで論文を書こうとします。それを指導する教官が、分析するフレームを持っていないのでは、指導することは困難です。多くの大学院では、指導教官の資質の欠如から、院生が無駄な学費と労力を費やしているのではないでしょうか。
上述したフレームは非常に重要で、それを持っているのと持っていないのとでは、決定的な違いとなって現れます。それは、課題についての分析能力が圧倒的な違いとなって現れます。
既知の課題については、その違いは明確になりませんが、未知の課題に接した時、その違いが歴然とします。フレームを持っている人にとっては当たり前のことが、持っていない人は未知の事象に右往左往するだけです。分析フレームを持っていない人は、既知の経験に頼りますが、経験のない事象に対しては無力で、どのように分析したらよいか分からないのです。
以上、7節までアップしました。