数ある世界遺産の中でも、これだけは欠せないというものがあります。その一つがペルーのインカ遺跡『マチュ・ピチュ』です。海外の世界遺産を訪問したいと考えている人にとっては、一度は絶対に行きたい、という遺跡だと思います。
一生に一度は行きたいあこがれの地
麓からはその存在を覗い知ることができない山頂に築かれたこの都市遺跡は、失われたインカの空中都市とも呼ばれています。
その神秘性は、世界遺産の中でも群を抜いています。今回は、遺跡の発見の経緯と遺跡の紹介だけでなく、クスコのことも少し書きたいと思います。
マチュ・ピチュは、インカの古都クスコと同時に1983年にユネスコの世界遺産に登録されています。
マチュ・ピチュ(Machu Picchu)という言葉は、「老いた峰」を意味する現地語で、Macchu Picchuとも書くようです。この現地語はケチュア語ですが、ボリビアのケチュア語では、マチュ・ピチュのことを「Pata Pata」と言います。
中南米というと、マヤ文明とかインカ文明とか有名ですが、その中でも『マチュピチュ遺跡』は、なかなか行けない場所にあるため、私にとって憧れの場所の一つでした。
マチュ・ピチュ遺跡は標高2,280mの山頂にありますが、クスコの標高は3,360mですので、マチュピチュの麓の村の駅までは、クスコからかなり下って行きます。マチュ・ピチュの標高がすごく高いように書いている記事を見かけますが、実際には、インカの遺跡としては、海抜標高はそんなに高いわけではありません。
マチュ・ピチュまでは、道路がないため車で行くことができないので、クスコから列車で行きます。この汽車はなかなかしゃれていて、車内で女性の車掌さんが、ファッションショーをやったりして、なかなか楽しめます。車掌さんの着ていたものは、買うことができ、というよりも、即売会です。
クスコからマチュ・ピチュの麓の村アグアス・カリエンテスまで列車で約3時間半です。そこから山頂近くまでバスで約20分くらいです。
マチュピチュの発見
ケーブルテレビの「ナショナル・ジオグラフィク・チャンネル」で、「あなたは、ご存じでしたか? マチュ・ピチュをナショナル・ジオグラフィク・チャンネルが発見したことを」自慢していますが、同チャネルが発掘のスポンサーだったようです。発見はイェール大学のハイラム・ビンガムです。
彼は、1911年7月24日、この遺跡を発見しています。正確には『再発見』でしょう。または、欧米人が初めて知った、というのが正しいかも知れません。地元の人は知っていたのですから。
などと思っていたら、「マチュ・ピチュ、クスコの農場主が発見」の記事が2001年7月の現地紙に載りました。
この記事は、日本ペールー協会のホームページで、日本語で読めます。
このネタを発展させたのが、ワシントン在住のフリーライターDaniel Buck氏。米国の平和部隊(ピースコー)の隊員として1965から67までペルーに滞在していた人です。
昨年来、Augusto R. Berns がビンガムより30年も前にマチュピチュを発見したとwebサイトで議論を巻き起こしています。マチュピチュはドイツの冒険家が最初に見つけたというもので、ビンガムをさんざんこき下ろしています。NYタイムズで取りあげられたのがきっかけのようです。 英語版wikiにも載っています。
ビンガムは計3回の発掘を行ない、その研究をまとめた「失われたインカの都市」がベスト・セラーになりました。
だれが発見したかということを論じるのはあまり意味がないことでしょう。「誰が世界にそれを知らしめたか」の方が重要だと思います。
仮にその農夫が「発見した」ことを証明できたとして、「じゃあ、それ以前に他の農夫はそこに行ったことがないのか」という話しになるのではないでしょうか。
ビンガムの発掘のスポンサーだったナショナル・ジオグラフィック誌が紙面全てを使ってマチュ・ピチュの特集を行ったことで一躍有名になりました(1913年4月号)。
以下の写真は、私が撮影したものです。季節は12月、夏の真っ盛りですが、ちょうど小雨が降ったりやんだりで、最初は、遺跡全体が霧で覆われていて、見ることができるか心配しました。
都市建設の謎
インカの遺跡が人々を魅了するのは、巨石をどうやって運んだのかという「運搬面」の話と、どうやってカミソリの刃も入らないような石組みが可能であったのか、という「加工面」についてではないでしょうか。
エジプトのピラミッドは、平坦な丘の上に建造されているため、石材を運び上げる傾斜路を建設することは容易です。
(ギザのピラミッドを前にして、私はどうやってキャップストーンを設置したのかと、当時の仮設計画を考えていました)
でも、マチュ・ピチュの場合、そのスペースはありません。マチュピチュでは、巨石を運び上げたのではなく、運び下ろしたのだと思いました。
タケシのTVでも遺跡の上部に石切場の跡を発見したと報じています。
個々の石組みはすばらしいのですが、私の関心は水の流れです。雨水の排水を考慮した施設が至る所に完備されています。
私は最初、平地に遺跡となる建物群ができた後で、造山運動があり、平地にあった遺跡が隆起したのではないかと疑ったのですが、どうもそれはないようです。そもそも、そんな太古の遺跡ではありません。
やはり、石を上から降ろしたのだと思います。
クスコの博物館で、発見当時の写真が飾ってありました。この写真は見たことがないので新鮮な感動を受けました。モノクロのところが良いですね。
この山の形がマチュ・ピチュのイメージになっています。何度見てもいいです。
南米の山岳地帯のアイドルはなんといっても『リャマ』ですね。本当にかわいいおとなしい動物です。ただし、臆病なので、知らない人が近づくと鼻水をかけられてしまいます。
『アルパカ』と『リャマ』はよく似ていて、私は区別が付かないのですが、「毛の多いのがリャマだ」と地元の人が教えてくれました。ホントかなぁ
アルパカのセーターはあるけど、リャマのセーターって聞いたことがない。
ペルーは観光地化されていて、住民も観光ズレしているので『閉口』します。写真を撮っていると、1ドル要求されることもしばしば。ボリビアとは大きな違いです。
そういえば、ボリビアの指人形が、スクレの3倍の値段で売っているのでびっくりしました。
マチュ・ピチュ遺跡は、ぜひまた行きたい場所の一つです。
気に入ったところは何度も行きたいと思いますが、でも、マチュ・ピチュに行くのは、なかなか難しいです。いつになることやら。