レオナルド・ダ・ヴィンチの組絵とその謎の解明

古代の謎・歴史ヒストリー

 ルネッサンス期の巨匠レオナルド・ダ・ヴィンチは、制作数が少ない寡作の芸術家として知られています。

 そんなレオナルドが、生涯手元に置いた三枚の絵があります。『モナリザ』、『聖アンナと聖母子』と『洗礼者聖ヨハネ』の三枚です。

 以前、『ダヴィンチの暗号:生涯持ち続けた三枚の絵は組み絵だった!?』という記事を書いた時、素材が足りなくてイメージが湧かないので、少し素材を作ってみました。やはり画像があるとアイディアが膨らみます。

ダヴィンチの絵の謎

 ダヴィンチが描いたこれら三枚の絵を見て管理人が思うことは、とても不思議な絵だということです。絵画の解説をしている人がいますが、それは解説している人の考えであり、ダヴィンチの考えとは違う。そう思います。

 なぜ、そう思うのか。解説者は自分が知っている知識をつなぎ合わせて都合の良いように解説しているからです。

 『聖アンナと聖母子』で、なぜ、太ったマリアが自分の母親の膝に腰掛けているのでしょうか。この不自然な構図について誰も解説しません。

 『洗礼者聖ヨハネ』は、人差し指を上に向けて立てていますが、具体的に何を指さしているのでしょうか。誰も解説しません。

 そして『モナリザ』。この絵は謎だらけです。これについては研究者の間でも意見が分かれる・・・・、というか、結局のところ、誰にも理解できないというのが本当のところだと思います。

 研究者でも理解できないのであれば、素人の管理人が新たな仮説を立てても良いかも。そこで考えてみました。

 それぞれの絵のサイズはおおむね下の画像のようになります。『聖アンナと聖母子』がとても大きく、他の二枚の肖像画がすっぽりと収まる大きさです(詳細は過去記事参照)。

ダヴィンチの3枚の絵画のサイズ比較

 ダヴィンチは生涯手放さなかった三枚の絵を彼の工房に並べていたと考えられます。ちょうど下の画像のような感じになるのではないでしょうか。画像があるとイメージが膨らみます。

ダビンチの工房

組絵仮説の完成

 前回の記事で、レオナルドが生涯持ち続けた三枚の絵は実は『組絵』になっているのではないか、との仮説を立て、その解明を行おうとしました。しかし、どのように組み合わせたら良いのかが分からない。

 久しぶりに過去記事を見直してみて、新しい視点で配置を考えてみました。

 まず、『モナリザ』と『聖アンナと聖母子』の配置は、前回の記事で示したもので問題なさそうです。

 次に、『聖アンナと聖母子』と『洗礼者聖ヨハネ』の配置です。前回は、『洗礼者聖ヨハネ』の十字架のラインを『聖アンナと聖母子』の絵の右端に合わせました。すると、『洗礼者聖ヨハネ』が幼子イエスを指さす構図になります。

 前回は、この配置で満足しました。絵画の中にでてくる人物が指さす先に、絵の中心人物がいます。それはイエスです。

 『聖アンナと聖母子』は、フィレンツェの教会サンティッシマ・アンヌンツィアータ (Basilica della Santissima Annunziata) の祭壇画として制作を依頼されたものでした。そもそもキリスト教絵画は、聖書を読めない人々の布教目的で描かれました。そのため、キリスト教絵画には登場人物を見分けるアトリビュート(持物)に始まり、人々の性格や作品の意味を伝えるシンボルなど、ビジュアル的な情報が多く盛り込まれています (「キリスト教絵画~レオナルド・ダ・ヴィンチ~」、小野美咲)。

 ところが、この結論はあまりにも一般的すぎます。そもそも組絵にしてまで秘密にするような内容でもありません。

 絵の中に書き込まず、複数枚の絵を組み合わせることで初めて制作者の意図が伝わる。もしそうであれば、とんでもない秘密が隠されているはずです。つまり、配置が違うのです。

 いろいろ悩んだ末に思いついた配置が下のようなものです。

枚の絵の配置

組絵の配置の詳細

1.『モナリザ』と『聖アンナと聖母子』の配置: 『モナリザ』の背景にある石の土台と『聖アンナと聖母子』の背景がぴったり一致する位置に配置(前回の記事参照)。

2.『聖アンナと聖母子』と『洗礼者聖ヨハネ』の配置: 聖アンナの顔の中心線(なぜかラインが入っている)と洗礼者聖ヨハネが持っている十字架を合わせる(横方向)。二枚の絵画の底面を合わせる(縦方向)。

このような配置にすると、不思議なラインが見えてくる。
線分「A-A」は、聖アンナの眉間とマリア、イエスの目を貫く直線になる。
線分「B-B」は、聖アンナの眉間と聖ヨハネの十字架を貫く直線(そのように絵を配置)
線分「C-C」は、聖ヨハネの両目とモナリザの両目と眉間を貫く直線になる。
線分「D-D」は、聖ヨハネの眉間を通り、線分「C-C」と直角な直線。これが、線分「A-A」とほぼ平行線になっている。
線分「E-E」は、聖アンナの両目とモナリザの両目を通る直線

 以上から、三枚の絵が一定の規則を持って配置されているのが分かります。

組絵の意味するものとは

 組絵仮説が正しく、かつ、この配置が正しいとすると恐ろしい結論になります。
それは、従来考えられていたものとは全く別の絵画ということ。

 聖ヨハネが指さすところにいるのがイエスです。すると、これまで聖アンナと考えられてきた人物がイエス本人ということになる。ということは、前にいる女性は、イエスの妻「マグダラのマリア」、そして、子供はイエスの子供ということに。この絵は、イエスの家族について描かれたものということになります。

 『聖アンナと聖母子』を見て、とても不思議だったのが、なぜマリアが母親の膝に座っているのかということでした。でっかいおばさんが年寄りの膝の上に座っているという構図はどう考えてもおかしい。このことは誰も指摘しませんが、あり得ない構図です。ところが、後ろにいる人物が聖アンナではなくイエスだとすると、とても自然な構図になります。夫の膝に腰掛ける妻。その傍らには幼い子供がいる。とても自然です。

 さらに、後ろの人物の視線は、マリアに向けられています。子供ではありません。レオナルドが描いたこの絵の下書きが残されていますが、そこでもこの人物の視線はマリアに注がれています。この人物がアンナだとすると視線の方向が絵の主題から考えて不自然です。

 レオナルド・ダヴィンチの描く人物は中性的で男性か女性かよく分かりません。後ろの人物が聖アンナではなくイエスだといわれるとそのようにも見えてきます。ふくよかなマリアと比較しても、後ろの人物は男性ととらえる方が良いように思えます。下絵を見ても男性のようにも見えます。

 当時のキリスト教社会では決して描いてはいけない構図。口に出すことさえはばかられる「イエスの妻と子供」。その人物を特定し、制作者の真の意図を理解するための秘密の組絵。
まさに『ダヴィンチ・コード』です。

 中世ヨーロッパでは、古代に関連するあらゆるものが異端として受け止められていたのに対し、ルネッサンスにおいては次第に古典古代(ギリシア、ローマ)の文化を復興しようとする文化運動が受け入れられていきました。レオナルドは、異端の画家だというよりも、これまでの中世的な固定概念にとらわれない考えの持ち主だったのではないでしょうか。

 ルネッサンスの巨匠、天才レオナルド・ダヴィンチが終生手元に置いて描き続けた三枚の絵画の主題とはなんだったのか。単なる宗教画だったとは思えないのです。

 レオナルド・ダヴィンチがイエスの家族の絵画を描いていたとしたら、歴史が変わるかもしれません。レオナルドを天才賛美する人たちでさえ、このようなことは考えつきもしなかったでしょう。

 今日はここまで。この説明だと『モナリザ』の役割が不明です。もう少し考えてみたいと思います。

もう一枚の聖母子画が裏付けるものとは

 レオナルド・ダヴィンチが終生持ち続けた3枚の絵を『洗礼者聖ヨハネ』、『聖アンナと聖母子』および『モナリザ』として推理してきました。この根拠は、以下の出典によります。

“In his diary entry for 10 October 1517, Antonio de Beatis reports visiting Leonardo’s workshop in Clos-Lucé, near Amboise. He mentions seeing three paintings by Leonardo: a St. John the Baptist, a Virgin and Child with St. Anne, and a female portrait, probably the Mona Lisa. “, Oxford Bibliographies

“The Virgin and Child with St. Anne”は、『聖アンナと聖母子』のことです。ところで、レオナルドはこれと似た構図の絵をもう一枚描いています。現在、英国ナショナル・ギャラリーが所蔵する”The Virgin and Child with St. Anne and St. John the Baptist”『聖アンナと聖母子と幼児聖ヨハネ』です。

聖アンナと聖母子と幼児聖ヨハネ、141.5 x 104.6 cm
  聖アンナと聖母子と幼児聖ヨハネ、141.5 x 104.6 cm

 木炭と、白黒のチョークで描かれたこのドローイング(素描)は、その大きさから絵画作品の原寸大下絵として制作されたと考えられています、このドローイングを直接の下絵としたレオナルドの作品は存在していません。しかし、『聖アンナと聖母子』と構図はそっくりです。

 拡大してみてみましょう。画像が暗いので、色を抜いて表示してみます。


Close-up The Virgin and Child with St. Anne and John the Baptist

 この右側の人物が聖アンナだといわれているのですが、どう見てもマリアとそれほど年の違わない『男性』に見えます。レオナルドの絵は、そこに描かれている植物の品種まで特定できるほど正確無比に描かれています。それなのに、この右側の人物がアンナだと信じ込んでいる人には、それ以外の見方ができなくなっています。

 キリスト教宗教画の世界に詳しくなればなるほど、「こうでなければならない、こうであるはずだ」という固定観念に取り憑かれてしまいます。

 教会から依頼を受けて描いた絵だから、聖書の一節が盛り込まれているはずだ、という思い込みです。しかし、それは依頼者の都合であって、レオナルド自信がどこまでそれらの要素を盛り込んだのかは分かりません。

 天才であればあるほど、一般人が考えていることとは全く別の視点を持っていたのではないでしょうか。レオナルドを天才だと持ち上げ賛美する人ですら、一般人の尺度でしか彼の作品を評価していません。

 「イエスの家族を描いた絵画」という見方もあながち的外れではないのかもしれません。