米1俵の重さは60kgなのは誰でも知っていることだか、その俵の中身については誰も疑問に思わない不思議

ミステリー

 今日は、管理人が長年疑問に思っていることを書きたいと思います。

 米1俵は、60kgであることは少し調べれば分かります。では、俵の中には何が入っているか知っていますか。

 「えっ、米に決まっているじゃん」。そんなことは聞いていません。米がどの状態で俵に入っているのかを質問しているのです。

 そもそも俵は「容器」なので、重量とは無関係です。俵いっぱいに米を入れると、60kgになったということで、米1俵60kgというのは、議論が逆さまです。何(どの状態の米)を俵という容器に入れると60kgになるのか。

 俵に入っているのは精米した米でも玄米でもありません。籾米が入っています。その理由は、籾米の方が長期保存ができるからです。年貢米は籾米でした。ところが、60kgの話になると、どうも違うようです。

 昭和に入ってからも、米は米俵に入れられていました。そこに入っていたのは籾米でしょうか。違います。俵の中には玄米が入っていたようです。俵に器具を突き刺してサンプル米を抜き取り、米の等級判別が行われていました。この検査は籾米ではできません。胴割れ米は籾付では判別できません。つまり、俵の中には玄米が入っていたと言うことです。

 町のお米屋さんには必ず大きな精米器がありました。玄米で入荷した俵米をお店で精米して販売していました。

 米の乾燥技術と保管技術の進化により、籾付のままで運搬するのではなく、水分量を調整して、脱穀して玄米の状態で運搬する。無駄な籾殻を運搬しなくて良くなり、輸送コストが2割安くなります。

 玄米を精米して白米として運搬すると、1割運搬コストが低減できます。

 話を戻すと、米1俵60kgという記述のある記事には、俵の中身がどんな状態の米なのかが一切記述がありません。江戸時代と明治、大正、昭和の記述を同じものとして扱っているのではないかと感じます。

 下の表は、尺貫法による米容積とメートル法による容積・重量の単位を表したものです。

 この表に示す米の状態は何なのでしょうか。籾米か玄米か精米か。

 家にある計量器で精米1合の重さを計ってみると154グラムでした。下表の1合150gと近似しているので、この表は、精米を対象に表示したものと思われます。そして、注目すべきは、1俵の重さです。何と、60kgになっています。

 この農林水産省が示す換算値に従えば、1俵60kgとは「精米」を対象としていることに着目する必要があります。

 1俵は容積です。俵に何を入れるかで重量は変わります。1俵60kgの米が入っているとすると、俵の中身は精米した米だということです。

 管理人が何を言いたいのか分からない方のために、少し補足します。

 米は保存・加工の形態により、籾付米、玄米、精米に分かれます。籾付米の重さを100とすると、玄米は80、精米は70になります。

 実は、玄米から精米にする過程は「つきかた」により変化します。我々が食べている米は、もっと深く精米している筈で、10%より多くの米ぬかが発生していると思います。

 つまり、籾付米と精米の重量は、精米の方が30%も軽いということです。

 下の画像は、山形県庄内米歴史資料館に収蔵されている写真のようです。

 お母さんたちが背負っているのは米俵5俵。合計で300kg(5俵x60kg)になるとどのサイトでも同じ数値を使っています。単に背負っただけではなく、これから運搬する作業をするのですから、この画像には誰もが驚きます。その場で重量物を1回持ち上げる重量挙げの女子世界記録は150kg以下です。写真のお母さん方が300kgを背負っているとは考えられないのです。もしそうだとすると、メダリストが二人映っている写真ということ?

 人間、300kgの荷物を背負い、それを運搬できる、とは到底考えられません。200kgでも無理です。

 管理人は、彼女たちが背負っているのは籾米の入った俵で、1俵が60kgより軽いのではないかと考えました。

 繰り返しますが、俵は容器なので、重さとは関係ありません。

 ところで、炭俵ってご存じでしょうか。通常の四角い炭俵の重さは15kgと決められていました。これは、容積ではなく、重量で規格が定められていました。炭俵1俵は15kg。それが合格したことを示す検査札が付けられ、販売されていました。検査札のない炭俵の販売は禁止されていたのです。

 しかし、炭の生産過程でできる破砕した炭や粉になったものは、「ザク」や「粉炭」として販売され、これには重量規程がありません。袋に入るだけ詰め込まれます。このため、1袋が20kg以上ありました。「ザク」は米俵に、「粉炭」はセメント袋に入れられ売られていました。

 米俵を見たら60kg。それって典型的なステレオタイプの人間の発想です。

 何度も書きますが、中身が何かにより、重さは変わるのです。米俵の中身は米。しかし、その米はどの状態の米なのか。

 籾米から脱穀で2割の重量が減ります。玄米から精米の過程でさらに1割減ります。つまり、籾米を100とすると、白米では、籾米の72%の重量しかないことになります。上で示したように1俵=60kgとする場合の俵の中身は精米したお米です。もし、籾米が入っているとすると、1俵43.2kg程度の重さしかないということです。江戸時代の力持ちの逸話の中に、米俵を何個担いだというものがありますが、その俵は60kgではなく43.2kg。2個担いでも86.4kgです。

 上の写真でお母さん方が背負っているのは300kgの米俵なのでしょうか。それとも、216kg(60kgx5俵x0.72)の米俵なのでしょうか。100kgの荷を担ぐだけでも驚異的なのに300kgや200kgはあり得ないと感じます。

 彼女たちが背負っている俵の中身は本当にお米なのでしょうか。俵は容器です。俵には様々なものが入れられ運搬されました。もし、彼女たちが背負っているのが炭俵だとすると、20kgx5=100kgと、(当時の)一人の人間が運べる常識的な重量に落ち着きます。

 でも、それは違います。炭俵と米俵の最大の違いは俵の閉じ口の構造です。炭俵の閉じ口は木の小枝を使います。米俵は、米がこぼれないように縫い込むような作り方をします。したがって、彼女たちが背負っているのは、米の入っている米俵と見て間違いないと思います。俵にも「米」と書かれています。

 結論を言えば、この写真は単にデモンストレーションとして撮影されたものだと思います。その根拠は、縄の細さにあります。荒縄はとても切れやすい。写真に写っている太さの縄では100kgの荷物さえ支えることができず切れてしまいます。重量物を背負うのにこんな細い縄は強度の面からも使わないし、そもそも縄が肩に食い込んで痛い。それを防ぐ肩当てなどの防具や縄を編み込んで幅を広げるなどの細工がない時点で、この写真は宣伝用のヤラセであると考えられます。俵の中身は、張り子のように中空なのでしょう。

さらに、「米」というマークがお母さん方の前掛けにも俵にも入っていること。普通、俵にマークは入れないと思います。このロゴを使っている商店の宣伝写真なのでしょう。

 管理人の理解はこんな感じです。

 疑問点を整理すると、江戸時代と昭和では米俵の中身の状態が違うのに同じ1俵60kgが使われている不思議。

 この答えは何なのでしょうか。だれか実験で証明してくれないかなぁ、と思います。

 1俵60kgは精米に基づいていることは上で検証しました。ところが、江戸時代の米俵を1俵60kgと説明している人もいます。でも、その主張が間違っていることは今回確認しました。では、なぜ間違っているのか。それが分からないのです。米の状態により重さが3割も違うのに、1俵60kgがまかり通る歴史の世界。

 管理人にはこの謎が解けないのです。江戸時代に1俵を重量で考える人などいません。当たり前のことですが、1俵とは容積です。米を計量するのに重さで量る人はいません。皆さん、計量カップを使って容積で計量しています。これが重量と関係づけられたのは戦後のことです。ということは、江戸時代の1俵を60kgと記載している歴史家の記述がおかしいと容易に想像できるのですが、なぜおかしいのかが管理人には分からない。 そもそも、繰り返しますが、米を重さで量るようになるのは戦後のこと。国際社会の基準に沿った形で重量換算が導入されました。それ以前は、米は容積で量っていました。

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